007 / NO TIME TO DIE
【007 / NO TIME TO DIE】先月末に緊急事態宣言も解除され、世間は少しだけ明るさを取り戻したような気がする。もちろん、いろんな分野でコロナ禍以前の状態にまで持ち直すのは、まだまだ途上にあり難題ではあるが・・・一人でも多くの人が、一刻も早く新型コロナウィルスに対する免疫がつくことを願ってやまない。とは言え、これまでの感染症をひもとくと、新型コロナウィルスから始まったわけではなく、ご存知のとおり結核・ジフテリア・コレラ・赤痢・腸チフス・日本脳炎など、それはもう人類と感染症との壮絶なる闘いの歴史は古いのである。そこで素人考えでは、これだけ科学が進歩した時代ならば、遺伝子レベルで様々な病原体に強い「組み換え」をおこなってしまえば良いのではーーというもの。あるいはゲノム編集して遺伝子を改変してみたらどうだろうか、と。そうすることで人類を脅かす感染症に対する強力な耐性がつくのではなどと浅はかにも考えてしまう。だが、この安易な考えは非常に危険である。なぜか。それは言葉にしてつらつらと科学的根拠を書きつらねるまでもなく、皆が一様に感じている神の領域を侵すことへの恐怖心とだけ言っておこう。時代はここまで来てしまった。今やアクション映画の題材として取り上げられるのは、麻薬や金塊、稀少な宝石類などではない。遺伝子情報なのだ。そんな折、私は『007/NO TIME TO DIE』を観た。会場で購入したパンフによれば、ボンド役であるダニエル・クレイグ版の集大成とのこと。要はダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンドが本作で幕を閉じると言うわけだ。ショーン・コネリーをはじめとする歴代のボンドとは明らかに一線を画すダニエル・クレイグという役者の抜擢は、結果として素晴らしい成功を収めた。クールでスタイリッシュ、ムダな動きがなく、どこもかしこも洗練された演技。ダニエル・クレイグの魅力はそこに存在するだけで何らかのドラマが生まれ、アクションが正義の代行として相応しいものへと昇格されるところにある。もちろん歴代のボンド役を演じた役者らを否定するものではない。これは私個人の意見だが、時代に即したストーリー展開と、絶対的正義と溢れ出るセンシティブな感情の狭間に苦悩する人間ジェームズ・ボンドを掘り下げた作品は、過去にはなかったように思える。ストーリーはこうだ。ジェームズ・ボンドはMI6を勇退し、恋人であるマドレーヌとともにジャマイカで平穏な日々を過ごしていた。そんな折、旧友であるCIA諜報部員フェリックスが同僚のアッシュとともに現れる。彼らの依頼は、誘拐された科学者の救出というものだった。ジェームズは、いったんはその要請を断る。一方、マドレーヌはジェームズの過去の恋人である亡きヴェスパーのことを気にしていた。ジェームズはマドレーヌとのこれからを完璧なものにするため、ヴェスパーの墓前にケジメとして一人訪れる。ところがそこに供えられた花には、スペクターのマークが描かれたカードが添えられていて、それに気付いた直後、爆発する。一瞬気を失い、傷を負いながらもジェームズは犯人を追いかける。犯人とその仲間に取り囲まれながらもどうにかマドレーヌのいるホテルまでたどり着くが、ジェームズは彼女が自分を裏切ったのではと疑う。その疑念が晴れないままジェームズは一方的に別れを告げ、彼女を強引に列車へ乗せるのだった。作中、驚きの余り息を呑んだのは、これまで数々のアクション映画に取り上げられて来た核兵器モノとは異なり、遺伝子組み換えによりある特定の人物を狙った生物兵器の開発・濫用というものである。ターゲットには猛毒になり得るものでも、その他大勢には効果がない。(体内に蓄積はされるようだが)髪の毛一本から個人の情報を解析し、その人物の遺伝子にのみ反応する毒を放つという脅威。そら恐ろしく、絶望的な気分になる。こんな必殺の生物兵器、実は現実にも開発に成功しているのでは?と疑いたくなってしまう。これが映画の中の話で良かったと、つくづく思う。本作では日系人の監督がメガホンを取ったこともあり、かなり和のテイストが感じられる。悪役サフィン扮するラミ・マレックが身につけた能面は、文化の違う外国人にとってはかなり不気味な代物で、インパクトが強かったに違いない。また、ジェームズ・ボンドが畳の上で土下座して謝罪するシーンなどは、日本人として切なかった。しかし何より衝撃的だったのは、ジェームズ・ボンドとマドレーヌとの間に子どもが誕生していたことだ。ジェームズが鉄の感情の持ち主ではないことの証明であり、愛を渇望する一人の孤高な男であることの表現なのだ。国家のために自らを犠牲にするという愛国心を打ち立てるものではなく、愛する恋人、愛する我が子を救うために命を懸けるという人間ドラマがここに完結する。主役を見事に演じ切ったダニエル・クレイグは役作りにたっぷりと一年間かけるらしい。ストイックでプロフェッショナルな彼は、誰よりもジェームズ・ボンドという役を愛し、彼オリジナルの人物像を作り上げて来た。007シリーズはこれまでも時代を反映した脚本作りに定評があり、いつも新しい風を吹き込んでくれる目の覚めるような作品だった。そこに通算5作となるボンドの足あとを残したダニエル・クレイグは、私たちに人間として苦悩する新しい姿を披露してくれた。超人ボンドではなく、人間ボンドの誕生である。感動の嵐が吹き荒れる私には、言葉としての表現を自由に操れない自分がもどかしく、悔しい気持ちでいっぱいだ。だが、これだけは言っておきたい。こんなにも素晴らしい作品を届けてくれたスタッフ・キャスト並びに関係者の方々に厚く感謝の気持ちを捧げたい。ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・ああ、やっぱり映画って素晴らしい!!2021年10月公開【監督】キャリー・ジョージ・フクナガ【出演】ダニエル・クレイグ、ラミ・マレック、レア・セドゥ、レイフ・ファインズ