鹿原の金剛院
私が今回訪れたのは京都府舞鶴市にある金剛院という大変古いお寺です。関西花の寺第三番霊場でもあるこのお寺は、今、見事な紅葉の時期を迎え、多くの参拝客で賑わいを見せています。しかし、わざわざ紅葉狩りのためだけに出かけたわけではありません。時間とお金をかけ、我が家から300Km以上離れていても行きたかった理由とは。それは二つあります。一つは、私にとってかなりプライベートなものに相当するため割愛するとして・・・。もう一つは、三島由紀夫の代表作でもある『金閣寺』にも登場する舞台でもあるからなのです。『金閣寺』(※以下参照)は私にとって愛読書であり、多感な思春期に鮮烈なインパクトを与えてくれた一冊です。その『金閣寺』における主人公は吃音に悩み、いつも自由に言葉を操ることのできない己を嫌悪するのですが、あるとき近所の美しい娘に恋をするのです。もちろんその娘は、吃りで陰気な主人公のことなど歯牙にも掛けません。もしろストーカーじみた主人公を気味悪く思うようになり、親に告げ口をします。そのことで主人公は叱責され、このときから娘に憎しみを抱くようになります。逆ギレというやつです。主人公はいつか復讐してやろうと目論むのですが、その必要はなくなります。なんと娘は、主人公が手を下すまでもなく、憲兵に捕えられてしまうのです。娘と脱走兵が関係を持ち、妊娠したことが原因でした。その脱走兵が逃げ込んだところ。そう、それがこの鹿原の金剛院なのです。「金剛院の御堂は、もっと昇ったところにある。丸木橋をわたると、右に三重塔が、左に紅葉の林があって、その奥に百五段の苔むした石段がそびえている。石灰石であるために滑りやすい」(『金閣寺』三島由紀夫・著より)私はこちらのお寺に、過去二度ほどお参りに来たことがあるのですが、今回ほど意味のある参拝はこれまでにありません。まるで導かれるように紅葉の林を前にしたとき、確かな手応えを感じるのでした。山が粧うというのは、こういうことを言うのかと改めて実感するひと時でもありました。最近の私はあまりに苦しくて苦しくて、泣きたくなるというよりはむしろ吐いてラクになりたい一心でした。得体の知れない鵺(ぬえ)のようなものから逃げよう逃げようと必死で足掻く傍で、もうどうにでもなれとヤケになっている自分も存在するのです。何が正しく、何が間違っているのかなんて、ちっぽけで無力な人間に判断などできるはずもないのです。私はただその刹那に、自分がやれることをやろうと思いました。今、何をするべきか、何をしたら良いのかを考える。まずはそこからだと。きっかけが何であれ、そこに負の感情を持ち出すことなく、清廉でありたいと願いました。鮮やかで色香の増す金剛院の紅葉を胸に焼き付け、一歩を進めてみようと決意しました。「丹後のもみじ寺」と呼ばれる金剛院の紅葉は、正に今が旬です。入山料¥300。ぜひ足を延ばしてみてください。(※)こちらのブログで要約していますので、よろしければ参考にご覧ください。こちらです。