要約 やや暴力的に 石原慎太郎
第十六回※表題作より2篇の掌篇小説を要約することにした。◆救急病院にて回診の際、認知症病棟の彼女は、初対面の私に自分の身の上について話して来た。実は彼女の実家は、神田の本屋街にある薬屋で、隣は医学書専門の有名な松野書店であると。私は以前、松野書店にはよく出かけていた。裕福な家庭に育ったおかげで頻繁に医学書を買い求めたり、立ち読みをした経験があったのだ。正直、私はその書店の隣に薬屋があったかどうかは覚えていない。だが認知症の彼女は、松野書店に出入りしていた私のことをよく見かけて覚えていると言う。驚いた私は問い直そうとしたところ、傍のヘルパーに遮られ、「先生もあなたのお店を覚えているそうよ」と、彼女に話を合わせる形となった。それ以来、彼女にとって私は昔からの知り合いという存在となり、後からヘルパーに聞いたらしく、私の名前もはっきりと口にするようになった。新しい「認知」と言う喜ばしい現象だった。そんな彼女が転倒し、右の股関節の骨を折った。そのショックのせいで、駆けつけた私をもはや認知することができなくなってしまった。幸い、私が執刀した彼女の股関節の手術は成功した。とは言え、やっかいなのはこれからである。果たしてこの先、老い先短い彼女は、どんな人生を送っていくのだろうか?寒い上に冷たい雨が降り出した。こんな日は事故が起き易いなどと同僚の医師と話していた矢先、救急車から連絡が入った。交通事故だった。バイクがトラックに突っ込み、バイクに乗っていた男の首が刀で殺いだように切り裂かれてしまったのだ。状況からすれば、すでに死亡しているだろうが、現場の救急隊員は死亡とみなすことはできない。もちろん警察でさえも。当事者の死亡を判断できるのは医師だけなのである。若い事故者の体は無残極まりなかった。私にできるのは死亡宣告と、遺族が駆けつけて来るまでに、皮一枚の首を胴体に繋いでやる作業ぐらいだった。その晩、再び救急車から報告が入った。今度は女性が電車とホームの間に落ちて挟まり、片足が引きちぎられたと。運びこまれた患者は二十歳そこそこのまだうら若き女性だった。医師たちは合議し、大腿骨を切断せずになんとか繋ぎ止めようと決めた。足の機能は損なわれても、五体揃って生きていれば、これから恋愛もし結婚もできるはずだろうと考えたからだ。十時間にも及ぶ大手術だったが、成功した。医師と言う個人の感慨などではなく、つくづくこんな病院があって良かったと実感したものである。◆一途の横道私の母は父と別れてから、小さな会社を経営する男の囲い者となった。私は勉強こそ成績は良かったものの、スポーツが得意で、それもあって梶原一騎の『空手バカ一代』にハマっていた。空手への憧れから東京の極真大山道場から通信教育を受け、単独で練習に励んだのである。高校生のころ諏訪の田舎から上京した私は、道場で大山師範と出会ったことで人生が決まった。この道で身を立てていく決心をした瞬間でもあった。高校卒業を待てず、私は松山の芦原道場に寄宿入門した。そこを選んだ理由は他でもなく、当時、大山門下で最強の弟子と言われていたのが芦原師範だったからである。松山ではその筋の連中を相手に技を試して己を磨いた。師範は、相手を必ず15秒以内で倒せと教えた。その筋の輩が相手でも、15秒以内なら顔を覚えられることはないからである。激しい稽古で修得した私の強さは評判となり、やがて夜の商売の用心棒として雇われるようになった。そんな折、本気で始末してやろうと思った相手がいた。その男は店で飲み食いしても料金を払わずにいたから取り立ててやろうと思った。すると男は「自分は組の者だぞ、お前はバカか? 相手を見ろ。お前を生んだおふくろも頭がおかしいんじゃないか」と言ったのである。その瞬間、私は激怒した。無意識のうちに手が出ていた。「いいか貴様、次におふくろのことを口にしたら必ず殺されると思え」と言い放ってそこを出た。私にとって母親のことは逆鱗だったのである。その後、その男の姿を見かけなくなった。聞けば男は、交通事故で死んだということだった。遠方から出て来た母親を迎えに出かけた途中の事故だったらしい。私は、あんな奴にも母親がいるのかと、しみじみ気の毒に思った。ある夜、用心棒をしていたスナックで、酔ったチンピラが店の女の子に手を出し、あげくアイスピックを持ち出した。私はその凶器を払ったときに初めてケガをした。(相手は言うまでもなく倒したが)近所の外科で二針縫った。その際、スナックの持ち主(助けた女の子の姉)が治療費の支払いをしてくれた。それが縁となり、彼女と深い関係になった。彼女は私にとって初めて肉体的に結ばれた相手であり、私は耽溺した。だがその彼女には私以外にも愛人がいることを知り、私はしらけた。思わず、私は母親のことを思い出してしまったのである。結局、彼女とは別れた。そのころ私は定時制高校を首席で卒業した。学校の推薦で東京の一流私学への入学が内定していた。だが同時期に、四大全国紙の一つである新聞社で、新聞記者の募集広告が出た。学歴不問だったので応募してみたところ、採用通知が届いた。私は上京して人生を試す決心をしたのだ。それを促すきっかけとなったのは、母の死だった。スナックの彼女との別れとも重なり、女なるものから完全に払拭された瞬間でもあった。上京のため、松山を離れる前に師範から「俺が教えた技を絶対に使ってはならぬ」と言われ、その戒めだけは今も守っている。(了)なお、次回の要約はを予定しています、こうご期待♪《過去の要約》◆第一回目の要約はこちらのです。◆第二回目の要約はこちらのです。◆第三回目の要約はこちらの~(上)~です。◆第四回目の要約はこちらの~(下)~です。◆第五回目の要約は、こちらのです。◆第六回目の要約は、こちらのです。◆第七回目の要約は、こちらのです。◆第八回目の要約は、こちらのです。◆第九回目の要約は、こちらのです。◆第十回目の要約は、こちらのです。◆第十一回目の要約は、こちらのです。◆第十二回目の要約は、こちらのです。◆第十三回目の要約は、こちらのです。◆第十四回目の要約は、こちらのです。◆第十五回目の要約は、こちらのです。