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べーぐるの日々

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2007年05月08日
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4月29日から5月5日まで帰省していて、父、祖母、祖父とも3年半以上ぶりの再会。

母とは、2年半ぶりに会いましたが、祖父の事で忙しいようで、かなり疲れた顔でした。

4月22日より入院してからずーっと外食続きだったようで、病院と家を行ったり来たり

していたようです。私が帰省することを知った妹が、煮物を家で作って実家に

持ってきてくれていたので、祖母、父母、妹、私で夕食として食べました。

薄味で上手に炊いてありどれもこれも美味しかったです。私より妹の方が料理は

上手でしたね。祖母も美味しいっと言って、珍しく食が進んでいたようです。

私が帰省した当日から、父が病院で寝泊りするようになりました。

祖父は、たんがつまりそれが喉につまるので、鼻からたんを取るチューブを入れるのですが、

これを嫌がり暴れるのです。でも、たんを取らないと息苦しくなり、祖父の顔も

ものすごく辛く苦しい顔になっているのです。看護師さんが数人がかりで押さえて

たんを取る機械を入れるのですが、それを見るのがとても辛かったです。

父は、それを見るのが嫌で涙が出てくるので、部屋を出るそうです。

たんを取った後は、とても穏やかな顔になり眠る祖父を見るとたんを取って良かったなぁって

思えるのですが、嫌がる祖父に無理やりするのを見るのは辛いものがあります。

看護師さんもきっとたんを取る作業は嫌だったんだろうなぁって思いますが、

嫌な作業をしていただき本当にありがとうって気持ちになります。

父は、たんを取るのを嫌がる祖父を見て、たんを取るのも延命処置なのかなぁ?と

悩んでいました。私も祖父が嫌がる事はなるべくしたくなかったのですが、

あまりにも苦しい顔で、息が苦しいのがわかるので仕方のないことかもと色々

考えました。昔の人は、年をとるとたんが喉に詰まってなくなることが当たり前だった

そうです。何処までが延命で何処までが延命じゃないか?って何処を基準に考えたら

良いのか、本当に難しい問題なぁって思いました。


私が帰省した事で、車の運転手が一人増えたので、大助かりだったようです。

母と夕食、昼食の買い物をし、父と母が病院にいる間に、私が適当に作り、

祖母が病院に行きたいと言ったら、私が病院まで送り迎えするといった忙しい毎日を

過ごしていました。父は、夜病院に宿泊するのですが、2時間おきに看護師さんが

見に来るし、祖父の苦しい息の音でよく眠れないようでした。

そこで、朝、母と私が朝食をとったあと、車で病院まで母を送り、父を家に連れて帰って

朝食後、家で寝てもらっていました。私は、その間に炊事仕事をしていると、

祖母が病院に行きたいというので、私が病院に送り、祖父の病室まで祖母を送り届けるという

毎日でした。祖母も以前とは全然違っていました。去年の12月に家の玄関でこけて

腰を圧迫骨折した為、腰が曲がってしまい、杖がないと歩けない状態なのです。

歩くのもゆっくりだし、祖母を一人で祖父のいる病室に行くのは無理なので、

とりあえず、病院の正面玄関で祖母をおろし、中にある椅子に座らせてから、

私は、病院の駐車場に車を止めて、そこから祖父の病室まで一緒について行っていたので、

ものすごく時間がかかります。それを父は、祖父が入院してから1週間ほど一人で

していたので、相当疲れただろうと思います。家族の中で一人でも入院した人がいると

人手はいくらでもいるんだなぁって改めて思いました。

祖母は、私に久々に会えたことをとても喜んでいたし、何かと家のことをしていたので、

私には、「ありがとう」という言葉ばかり言っていました。

祖父の話になると祖母も泣き出すし、私も思わず号泣してしまいました。

父も母も涙目になることが多かったです。5月5日に北海道に戻る事になっていたのですが、

祖父の様態は悪化する一方。私が最後の挨拶に、「北海道に帰るね。おじいちゃん。」と

言っても反応もないし、その時には、酸素吸入もしていて、心拍数や血圧数を見る

機械も置かれていました。長くないだろうなぁって私も思っていたけれど、

大事な用事が5月7日にあったので、北海道に戻ってきました。

私が、北海道に戻ってきた5月5日午後10時4分頃に祖父は永眠しました。

母から翌日のお昼にその事を電話で聞き、号泣した私。(T_T)

祖父は、いつも家族の事を思っていてくれた優しい人なんですよね。

母や近所の方たちは、祖父は私がちゃんと北海道に帰るまで頑張っていて、

5月5日の夜になくなったんじゃないかなぁって言っていたそうです。

もし、私が滞在中になくなったら帰りづらくなるから。この事を聞いたとき、

また号泣してしまい、心の中で「ありがとう。おじいちゃん。」と言っていました。

祖父の写真を見ると涙がまだ出てきます。色々思い出がたくさんあるからね。

祖父は、家族が仲良く元気に過ごす事をいつも願っていたので、

そうなるように努力する事が祖父の供養になると今は思っています。

祖母も祖父がなくなった事で、かなりショックが大きく、先ほど電話するも

涙声でした。97歳までよく頑張ってよく生きぬいたなぁって私も思いますが、

肉親が亡くなるってやっぱり辛いです。これから、私もおじいちゃんの良い所を見習って

生きていこうと思います。





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最終更新日  2007年05月08日 18時09分07秒
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