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マサミです。
ようやく落ち着いて来たものの、忙しい日が続いています。 なかなかこっちのアップまで追いつかないですが、そろそろネタもたまっているので 書き出そうかな、と。 ご心配おかけしていましたが、 7月の最後に祖父が他界し、四十九日が終わりました。 介護というほどでもないですが、最後の数年おじいちゃんに関われたことは 私の人生にとってとても考えさせられるものであったとこは事実です。 人が生きている、という事と 死んでいるいる、この境目をよく考えました。 そしてこの国の医療のあり方、 自分自身の両親がもうそこまで迫ってきている老後。 介護、子育て、 どちらにしても人的資源が必要ですが、 このままではこの国は働く大人がいなくなってしまう。 子どもを生み育ているという事が、自分自身の人生のみならず、 国の安定や基盤を支えている事実をもっと真剣に考えなくてはならないのだと痛感したこの一年でした。 最後息を引き取る前夜の祖父に一晩1人っきりでついていました。 とめどなくあふれる涙は祖父への想いではなくて、 人間として生あるものへの私のリスペクトだったと思います。 おじいちゃんとの思い出は実はありません。 かわいがってもらったことも、ゴハンを一緒に食べたこともありませんでした。 でも介護が必要になってから、介護の申請をしたり、施設の人と話すようになり、 自分以外にできる人間がいない事実と、自分であったとしてもできる事があるならやれるだけのことはやろう、と思ってきました。 5年前、おじいちゃんが倒れ、介護が必要になった頃、サークルタイムの立ち上げと重なり、息子は1歳になったばかり、娘は小学校に入学したて、時間がいくらあっても足りませんでした。ずいぶん、子どもたちには我慢をさせました。夫にもものすごく協力をしてもらいました。私だけではなく、家族の理解と我慢、協力が必要でした。 最後の一年は私は毎日病院通い。毎週子どもたちも夫も週末を潰し、お見舞いに行ってくれました。息子に至っては私と行動を共にしていた為、毎日病室に一緒に通っていましたが、毎日おじいちゃんの手をさすり、写真を見せ、『おじぃちゃん、がんばってね~。』と笑顔を振りまいていました。 途中、何度もくじけそうになりました。 私の家族ばかりが、損をしている気になりました。 犠牲になっているとも感じました。 でも看護婦さん、担当のお医者さん、そしてサークルタイムのみんな。 色んな側面で支えてもらって、本当に人間は多方面にわたり、『人』に助けてもらって生きていく存在なんだと痛感しました。 本当にありがとう。 みんなありがとう。 おじいちゃんの遺体がウチにやってきて、 それでも騒いでいる子どもたちに 『あんまりうるさいとおじいちゃんが生き返るよっ!』 と笑っていたものも良い思い出になりそうです。 骨になり、お骨を拾い、納骨を済ませ。 私も子どもたちも『人』の最後を見ることができました。 おじいちゃん、私も意地を張っていました。 おじいちゃんに感謝を述べていませんでしたね。 色々考え、経験することができました。 おじいちゃん、ありがとう。 安らかに マサミ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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