悪の法則
お久しぶりです。やはり、久々の一回目は映画ですかね。「悪の法則」世間での評判とはうらはらにこの作品はもしかしたら画期的な(実験的な?)すご~い作品かもしれないと私は感じております。同様の意見の人も少なからずいるようで、ちょっとうれしい。少数派だけに。とりあえず、へたなホラーよりよほど怖いです。主人公の弁護士と同じような恐怖と孤独の心理状態に観客までがおとされる。これってやろうと画策しても案外できないことではないか、と私は思うのです。ジョースで、くるぞくるぞ、と分かっていても来たらめちゃくちゃ怖かったでしょう。あれとも似ている。メキシコが主な舞台ですが、地元民のスペイン語がまったく字幕化されていないのも恐怖と孤独感を高めます。これって実生活では当たり前のことですもんね。言葉の通じない国に行けば。映画って(小説でも)観客は神の視点で見ていることがほとんどですよね。相手の行動要因を説明するシーンがあったりヒーローが助けにくる様子が描かれたり。ところが、この映画はこれらがほとんど欠けていて、状況を推察できるのは登場人物が語る会話によってです。それすらメキシコのシーンでは実現されない。(字幕ないし。)主人公は自分のおかれた状況が把握できなくて、(観客も)恋人を待っても待っても現れない。その理由がわからない。ただひたすら待つ。観客も待つ。しいていえば、想像する。助けを求めに行っても断られる。起死回生のヒーローなど現れそうにない。この救われようのなさがこの映画なんですよね。くわばら。