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2018.01.09
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カテゴリ:フォーミュラ1
​​「フェラーリから誘われてたよ。」


「2014年の春は、トンネルの先に光がまったく見えない気のめいるような時代だった」とエイドリアン・ニューイは語る。
「ルノーは、特にメルセデスにかなり遅れを取っており、フェラーリとも程度の差があり、終わりが見えない状況だった。ルノーは資金を投入して本気で問題を解決しようとしているようには見えなかった。それは気が滅入るほどの心配事だった」
「私は少し難しい立場にいた。レッドブルを離れたくはなかった。自分の家のように感じていたし、クリスチャン・ホーナーと一緒にスタートから大きく関与し、ジャガーの燃えカスから今日の常勝軍団までチームを造り上げてきたからだ。そこを離れたくはなかった。だが、同時にエンジン部門に片手を縛られて仕事をするようなポジションにいたいとは思わなかった」

「メルセデスのニキ・ラウダからアプローチがあり、自分のオプションを考えた。メルセデスの加入について一連の話し合いが始まった。ニキはそれを議論するために家に2度訪れた。誘惑はされたが、それほどではなかった。2014年のチャンピオンシップがほぼ確実なメルセデスに事実上のロス・ブラウンの後任として移籍することは正しいとは感じなかったし、トロフィーハンターのように感じた。ニキには感謝しているが、そのオファーは断った」
「LMP1のスポーツカー(TOYOTA)のチームからもアプローチがあった。原則としてそれは非常に興味深いものだった。ル・マンに勝つという目標をもったチームに関与することは私の死ぬまでにやっておきたいことリストに残っている。だが、チームはドイツを拠点にしており、そこが魅力的ではなかった。」

「そのあと第3のアプローチがあり、それがフェラーリからのものだった。以前には彼らから嫌われていたが、今回はビジネスだった。私は当時のフェラーリの会長ルカ・ディ・モンテゼーモロを訪問し、トスカーナ近郊の彼の農場内の家屋で彼に会った。我々は真剣な話し合いを行ったし、彼らのオファーは素晴らしかった。ルカは私にフェラーリの市販車とレースカーの全権を与えることを望んでいた。映画スターのようなライフスタイルと、レッドブルで受け取っていたすでに豊富な給料の倍以上の本当に途方もないような金銭オファーが約束された」
「私は非常に難しい決断を迫られたし、家族、文化、仕事の違い、成功もしくは失敗の可能性、その反響など、様々な要素を何度も繰り返し考えながら多くの眠れぬ夜を過ごした」
「だが、最終的に私はルカに感謝を伝え、断った」 


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Last updated  2018.01.09 19:35:50
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