サンレモの歌手たち 202 リカルド・デル・トゥルコ1-1
★リカルド・デル・トゥルコ (RICCARDO DEL TURCO) 1939 年 9 月 7 日 (1941年説あり) フィレンツェ北東郊外のフィエーゾレ生、自作自演歌手、レコード・プロデューサー。セルジョ・エンドリゴ(Sergio Endrigo)の義弟(奥さんが姉妹)。文字表記からはリッカルドが発音に近いと思いますが、レコード発売当時のリカルドを使用します。 ※サンレモ音楽祭出場1969年入賞、82年入賞、84年入賞、93年参加(作家として楽曲提供) N-9726 所属レコード会社:EMI Italiana (Columbia), RCA Italiana, CGD, Dischi Ricordi, Fonit Cetra 幼少期の資料がなく、2003年4月ジャンフランコ・グラモラ (Gianfranco Gramola)のインタビューで窺い知れますので、一部引用いたします。(http://www.intervisteromane.net/interviste%20pronte%202/riccardo_del_turco.htm) フィレンツェ郊外で生まれ、故郷を離れていません。父は保険代理店をしており、彼の将来も平凡だと思っていました。家庭環境は歌手や音楽家もいず、古いピアノがあるだけでした。 次第にピアノに興味を持つようになり、ナット・キング・コールやゲーリー・クーパーが好きな少年でした。後に父はリカルドが歌手の道を選んだこと、その結果に満足をしていました。 1955年地元の仲間とディアボリーチ(I Diabolici)というバンドを作り音楽活動を始め、翌56年放送開始したばかりのTVバラエディー番組「Primo applauso」の新人コーナーに出演をしました。57年ナイト・クラブのリッカルド・ラウキ(Riccardo Rauchi)楽団に歌手として雇われ、2年後59年に義兄弟となるセルジョ・エンドリゴ(Sergio Endrigo)が歌手兼ベーシストとして入ってきました。エンドリゴと同様にリッカルド・ラウキ楽団でクレジットなしですが、レコード・デビューをしています。 SCMQ-1420 (1960. Columbia – V.C.M.) Non sembra vero/L'amore この頃にローマなどのナイト・クラブでマリーノ・マリーニ(Marino Marini)、ピーター・ヴァン・ウッド(Peter Van Wood)の音楽家と接点を持ちました。リコルディ(58年設立)のオーナー、ナンニ・リコルディ(Nanni Ricordi)に見出され、ルイジ・テンコ(Luigi Tenco)達とピエトラ・サンタ海岸にあるナイトクラブ・ブッソラでも働いたようです。 62年ナンニ・リコルディはリコルディを追われ、RCAイタリアーナの芸術監督に転籍、ジーノ・パオーリ、ウンベルト・ビンディ、セルジョ・エンドリゴなどナンニの弟子たちもRCAに移籍しました。そしてニンナの関係(だと思いますが)でリカルド・デル・トゥルコもRCAイタリアーナに入社しました。 翌63年、自作曲“LE COSE CHE NON CI DICIAMO”でソロ・レコード・デビューをします。ジャケット裏のクレジットにはセルジョ・エンドリゴとの共作とされています。B面はF.カラレージの曲ですが後にジーノ・パオーリがカヴァーしています。 PM45-3152 (1963. RCA Italiana - RCA Italiana) LE COSE CHE NON CI DICIAMO/LA NOSTRA CASA(我々の家) PM45-3152 PM45-3262 次の年64年に2枚のシングル盤を出しました。