サンレモの歌手たち 204 ソニア、ザ・スウィート・インスピレーションズ
★ソニア Sonia (vf) 本名ソニア・ナターリ、1951年8月17日フィレンツェ北西郊外にある中都市プラト(Prato)生、歌手。ソニア&レ・ソレッレ(Sonia e le Sorelle 日本ではソニア・シスターズと言われこともある)のリード・ヴォーカル。 MQ-2088 父は芸術家で、ソニアは既に役者をしている姉達ナディア(Nadia)、ルアナ(Luana)と流行の英国風ビートニック・バンドを真似て、ソニア&レ・ソレッレ(Sonia e le Sorelle)を作りました。1963年、ソニアが12歳の時でした。フィレンツェで地元出身の有名歌手ナルチソ・パリーニのラジオ番組で歌うようになり、彼の所属レコード会社V.C.M.と契約することが出来ました。 バンドのデビューは64年7月、ローマのバラのフェスティヴァルに参加した“Se mi lascio baciare”と言うハリ・ガリーの曲で、マイク・ボンジョルノのクイズ番組「La Fiera dei Sogni」にも使用されました。 65年カンタジーロのジローネB(新人部門)に“Sulla sabbia c'era lei”で参加、曲は米国男性歌手ジュウェル・エーケンズ(Jewel Akens)の“ザ・バーズ・アンド・ザ・ビーズ(The birds and the bees)”のイタリア語版が3枚目でした。この曲はディノ・リージ(Dino Risi)監督の喜劇映画“L'ombrellone”に使われています。 4枚目は両面65年バラのフェスティヴァル参加曲で“La ragazza può fare”と“No, ragazzo, no”です。 翌年66年カンタジーロにはジローネA(スター部門)で出場できるようになり、“恋のために(Lo faccio per amore)”が11位入賞、そのB面はルル(Lulu)の“心変わり(He don't want your love anymore)”のイタリア語カヴァー曲で順調な歩みと思われました。 しかし、10月のバラのフェスティヴァル(形式変更で1曲をダブル・キャスト「サンレモ方式」で歌う)の曲“Un riparo per noi”はV.C.M.の看板バンド、ノマーディ(I Nomadi)がパートナーでした。この曲は英国のバンド、トロッグスの“僕はあなたに首ったけ(With a Girl like You)”のイタリア語カヴァーですが、元曲にないイタリア語の歌詞の内容が物議をかもし、発禁処分となります。 この煽りを受け、67年バンドは解散し、彼女はソロ活動を始めます。第一弾はシェール(Cher)の““ママ(MAMA (WHEN MY DOLLIES HAVE BABIES))”のイタリア語版で結果は成功でした。その後67年バラのフェスティヴァルでピノ・ドナッジォ(Pino Donaggio)の曲“ジャンニ(Gianni)”を歌いました。 翌68年のフェスティヴァル・バールとセッテ・ヴォーチには、 “Cammino sulle nuvole”を歌った後“Cammino sulle nuvole”と“Tanti auguri amore”2枚のシングル盤を出します。一方バンドはレ・ソレッレとして2枚出しますが休眠状態となります。 ソニアは69年サンレモ音楽祭にアルマンド・サヴィーニ(Armando Savini)と共に“あなただけしか(Non c'è che lei)”を歌いますが参加曲に終わりました。その年渡米しシェールと共演することが出来ました。音楽活動は低調となり、名前が出たのは73年トニー・クッキアーラのミュージカル「Caino e Abele」でした。ギターが弾けてフォークに興味を持つ彼女はフォーク歌手の道を進んだようです。なお姉のルアナは故郷に戻り音楽療法もする音楽の先生になりました。ソニア&レ・ソレッレ(バンド)MQ-1906 (1964年7月 La Voce Del Padrone V.C.M.) Se mi lascio baciar/Non ti accorgi di meMQ-1906 MQ-1941 MQ-1941 (1964 La Voce Del Padrone V.C.M.) Bianco, rosso, giallo, rosa/Non sei più niente per meMQ-1973 (1965 La Voce Del Padrone V.C.M.) Sulla sabbia c'era lei(The birds and the beesザ・バーズ・アンド・ザ・ビーズ)/Tutto quello che piace a me MQ-1973 MQ-2000 MQ-2000 (1965 La Voce Del Padrone V.C.M.) La ragazza può fare/No, ragazzoMQ-2036 (1966 La Voce Del Padrone V.C.M.) Lo faccio per amore/Un colpo di sole (He don't want your love anymore心変わり)MQ-2036 MQ-2062 MQ-2062 (1966 La Voce Del Padrone V.C.M.) Un riparo per noi/Lo faccio per amoreMQ-2118 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Salomone pirata pacioccone/Geo e Gea (レ・ソレッレとして)MQ-2118 MQ-2150 MQ-2150 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Olivella e Mariarosa/Giro girotondo ((レ・ソレッレとして)ソニア(ソロ歌手)MQ-2088 (1967 La Voce Del Padrone V.C.M.) Mama/Mondo MQ-2104 (1967La Voce Del Padrone V.C.M.) Gianni/QuiMQ-2104 MQ-2126 MQ-2126 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Cammino sulle nuvole/Ascoltatemi MQ-2140 (1968 La Voce Del Padrone V.C.M.) Tanti auguri amore/Johnny MQ-2140 MQ-2153 MQ-2153 (1969 La Voce Del Padrone V.C.M.) Non c'è che lui (あなただけしか)/Due mani, due aliソニアの国内盤はありません★ザ・スウィート・インスピレーションズ The Sweet Inspirations (coro=a)アメリカのR&B、ゴスペル・女声コーラス・グループ。サンレモ音楽祭出場時は4人のメンバー、・シシー・ヒューストン(Cissy Houston)旧姓エミリー・ドリンカード(Emily Drinkard )1933年9月20日米国ニュージャージー州ニューアーク生。・エステル・ブラウン(Estelle Brown)・ミルナ・スミス(Myrna Smith)本名ミルナ・スミス・シェーリング(Myrna Smith-Schilling)1941年5月28日生、2010年12月24日米国カリフォルニア州カノガパーク(Canoga Park)没。 ・シルヴィア・シェムウェル(Sylvia Shemwell)1941年6年30日米国ノース・カロライナ州フェイエットヴィル(Fayetteville)生、2010年2月13日米国カリフォルニア州ロス・アンジェルス(Los Angeles)没。 源は1950年代にホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の母となるエミリー・ドリンカードとディー・ディー・ワーウィック(Dee Dee Warwick)、ディンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)の母リー(Lee)姉妹が中心となるゴスペル・コーラス・グループ、ドリンカード・シスタース(The Drinkard Singers)まで遡ります。それに家族、親戚、友人ジュディー・ジュオンズ(Judy Guions 後の歌手ジュディー・クレイ(Judy Clay))たちが参加し、59年ニューポート・ジャス・フェスティヴァルに出場しました。 60年代に入りディー・ディーとディオンヌにトリス・ドロイ(Doris Troy)が録音バック・コーラスとして働きながら、ディオンヌとドリスはソロ歌手活動もしました。63年ドリスがシシー・ヒューストンとディオンヌがジュディー・クレイの妹シルヴィア・シェムウェルと交代しました。 65年ディーディーがソロ歌手として独立、ミルナ・スミスと交代した時にシシーがリーダーとなり、間もなくエステル・ブラウンが加入しました。そしてアトランティック・レコードの録音バッキング・コーラスとして活動開始し、スウィート・インスピレーションズの基礎となりました。このグループ名でレコードを出したのは67年から71年ころの短い期間です。 サンレモ音楽祭にはオリジナル・メンバーの最後期69年1月に出場し、ウィルマ・ゴイクの“バーチ・バーチ・バーチ(Baci baci baci)“のパートナーとなりましたが入賞できませんでした。69年10月を最後にリーダーのシシーがソロ歌手活のため脱退し、その後メンバーチェンジを繰返しながら活動を続け、特にプレスリーのバック・コーラスとして知られます。スウィート・インスピレーションズのイタリア関係国内盤はありません。DAT-1057 (1968年8月15日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) スウィ-ト・インスピレイション (SWEET INSPIRATION)/愚かな私 (OH! WHAT A FOOL I'VE BEEN)DAT-1057 DT-1092 DT-1092 (1969年4月5日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) アンチェインド・メロディー (UNCHAINED MELODY)/ラヴ・サムバディ (TO LOVE SOMEBODY)DT-1120 (1969年9月5日 ATLANTIC - 日本グラモフォン) スウィート・フォー・マイ・スウィート(SWEETS FOR MAY SWEET)/ リトル・オーダー (GET A LITTLE ORDER)