サンレモの歌手たち 505 ピエロ・コット (ピエロとコットンフィールズ)
★ピエロ・コット (vm) Piero Cotto 1944年7月14日トリノの南東30kmにある小都市アスティ (Asti)生、歌手、ギタリスト。 活動期間: 所属レコード会社:Polydor, MRC, Joker, Carosello, Eleven, Drums, Panarecord, Esagono Record サンレモ音楽祭出場1回:1975年入賞 ピエロ・コットは1964年ポリドールから夏のヴァカンス・シーズン狙いのヒット曲、当時一般的だったポップス曲“Ho Scolpito Il Tuo Nome (Su Uno Scoglio)”でデビューしました。ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)が一世風靡し、ボビー・ソロ(Bobby Solo)、ミケーレ(Michele)等の新星も登場する中で、誰も注意を払いませんでした。 NH-54・802 (1964年 Polydor – Phonogram) Ho Scolpito Il Tuo Nome (Su Uno Scoglio)/Ogni Domenica NH-54・802 A-219 A-219 (1965年 MRC - CARISCH) Fascination (魅惑のワルツ)/Ho-Ba-La-La (Hó Bá Lá Lá) (オーバララー) 最初のデビューに失敗したピエロは翌65年MRCから再デビューを試みました。この会社はペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)などを抱えた戦前からの名門ですが斜陽気味のカリッシュ(Carisch)が新人育成のために設立した会社でした。 ここからデビューした歌手ブルーノ・フィリピーニ (Bruno Filippini)やカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)のように直ぐに成功には結び付きませんでした。デビュー曲が“魅惑のワルツ”とブラジルのジョアン・ジルベルト(João Gilberto)のカヴァーというのも会社が本腰を入れて売る姿勢が見られません。 歌手ピエロ・コットの名前は表舞台から一旦消えてしまいます。この間彼はどうしていたのか? ウィキペディ・イタリア版やディスコグスの経歴では『渡米し、ピーター・クック(Peter Cook)の芸名でバンド、マジョリティー・ワン(Majority One)のギタリストをしていた』とされています。 まずマジョリティー・ワンは英国のバンドでマジョリティーからの経歴、メンバーの変遷はbadcatrecordsを見ていただければ分かると思いますがピーター・クックの名前は出てきません。 もう一つの情報が、サンレモ本のピエロ・コットの略歴で『エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団でピーター・クックと名乗り、ソリストとしてしばらく演奏した後、ピエロとコットンフィールズのリーダーとなった』(Panini出版Eddy Anselmi編 Festival di Sanremo p.628)とされており、こちらの方が信頼性は高いと思われます。 しかしピエロとコットンフィールズの音楽性はブリティッシュ・ロックと言うよりはアメリカン・ロックであり、その後のアウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)とのコラボでもほとんどが英語で歌われていることを考えると、アメリカでの音楽経験がなかったとは言い切るには勇気がいります。 またイタリアン・プログ(italianprog.com)のピエロとコットンフィールズの紹介の中で『エンゲル・グァルディ楽団のソリストを終え、ギリシャで音楽活動をして“Forgiveness”のヒットを出した。72年にイタリアに戻りピエロとコットンフィールズを結成した』とされています。どうもこの流れが真実に近いようです。 6113 (332-413・PF) (1966年 Philips – Philips, Greece) Why Did You Go/Forgiveness 6113 (332-413・PF) PAN-6155 PAN-6155 (332-413・PF) (1969年 Pan Vox – Music Box, Greece) Un’Ora Fa (過ぎ去ったひととき)/One Day さてイタリアに戻ったピエロ・コットは自分のバンドを結成します。バンド名は自分の名前も捩ってアメリカ風にピエロとコットンフィールズ(Piero e I Cottonfields)としました。 ピエロとコットンフィールズのメンバー構成 ・ピエロ・コット(Piero Cotto) ヴォーカル ・アデルモ・ムッソ(Adelmo Musso) キーボード ・マウリツィオ・スカペッリーニ(Maurizio Scarpellini) フルート、サックス、ギター ・アルド・ルッソ(Aldo Russo) ギター ・ベッペ・イカルディ (Beppe Icardi) ベース、ギター ・ルチアーノ・サラチェノ (Luciano Saraceno) ドラムス、パーカッション ピエロ・コットはトリノ近くのアスティ出身、アルド・ルッソがトリノ出身以外はボローニャ出身でした。 ピエロの再々デビューはサールのジョーカーから72年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“海のふたり”でした。結果は本選に残りましたが、決勝戦には進めなかったのですが、1972年年間ヒット・ランク86位のヒットとなりました。ピエロ・コット、コットンフィールズとしても最大の成功曲でした。 M-7122 (1972年Joker – SAAR) Due Delfini Bianchi (海のふたり)/Via Mazzini 31[come Piero e I Cottonfields] M-7122 M-7145 M-7145 (1972年Joker – SAAR) Il Viaggio, La Donna, Un'Altra Vita/Cantico [come Piero e I Cottonfields] 2枚目のシングルはギターをバックにピエロの渋い声で歌い始めるアメリカン・フォーク調の曲です。ジャケットから受けるイタリアのプログレッシブ・ロックではありません。 アルバム「Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita」は初期のイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)を連想さすドスの効いたハスキーな声で歌うアメリカン・フォークロック風の曲で作られています。 LPM-2006 (1972年8月 Music – SAAR) Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita AMS-109・CD (2006年 AMS – AMS) CD Piero E I Cottonfields – Il Viaggio La Donna Un'Altra Vita 1.Due Delfini Bianchi (海のふたり) 2.E' Mia Madre (O My Mother) 3.Regina D'Oriente 4.Via Mazzini 5.Il Viaggio, La Donna, Un'Altra Vita 6.Silvia 7.Cantico 8.Fammi Un Segno (Give Me A Sign) 9.Volo 715 LPM-2006 AMS-109・CD シングル3枚目は前年成功した夏のディスクに73年も挑戦し,9“オー・ナナ!”で出場します。前年のように上手く行かず、本選に進めませんでした。“マミー・ブルー(Mamy Blue)”のような曲です。 M-7161 (1973年Joker – SAAR) Oh Nanà! (オー・ナナ!)/Uomo Da Quattro Soldi [come Piero e I Cottonfields] M-7161 M-7170 M-7170 (1974年Joker – SAAR) Gardenia Blu/Passo Su Passo [come Piero e I Cottonfields] ピエロとコットンフィールズは“Gardenia Blu”を最後に解散し、ピエロはソロ歌手ピエロ・コットとしてカロセッロから75年サンレモ音楽祭に“電報”で出場、入賞しました。 CI-20391 (1975年 Carosello – Dischi Ricordi) Il Telegramma (電報)/Colpevoli CI-20391 CI-20398 CI-20398 (1975年 Carosello – Dischi Ricordi) Un Po' D'Amore E D'Amicizia (Un Peu D'Amour Et D'Amitié) (小さな愛と友情)/E Adesso Io (Et Maintenant) (そして今は) 75年もう1枚シングルを出しています。両面ともフランスのジルベール・ベコー(Gilbert Becaud)のカヴァーでした。ピエロはシャイなゴリラになってしまったようです。 77年ピアニストで楽団リーダーのアルド・パガーニ(Aldo Pagani)が設立したイレヴンに移籍しました。子供のお喋りから始まる曲、しかしタイトルはしゃれて言えば「鬼のお庭」、オトロシや! EL- 56 (1977年 Eleven - Fonit Cetra) Nel Giardino Dell'Orco/Filastrocca Senza Tempo EL- 56 EL- 64 EL- 64 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) I Get A Funny Feeling [Augusto Martelli - Mike Logan]/So Nice [Augusto Martelli, Franco Franchi] 2枚目からはリフィ時代のミーナの恋人、作・編曲家アウグスト・マルテッリが作曲する英語の曲を,イレヴン在籍の間はほぼ同じようなコラボをして、大人のディスコ・ミュージック(A.O.R.?)を歌う歌手に転身しました。 ELC-25137 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Piero Cotto MMM-111 (2008年? Giallo Records –) CD Piero Cotto [*ボーナス・トラック] 1.Her 2.Little Anne 3.Can You Imagine 4.If Only She'd Say 5.I Get A Funny Feeling 6.Lonely 7.This Love Affair 8.So Nice *9.Love Will Never Be The Same *10.Punky Monkey Sound *11.She's A Superstar *12.Love Tree *13.Figlio Di Un Cane *14.Superadele *15.Tanti Auguri A Te *16.Ninna Nanna A Un Posto Vuoto *17 Fare L'Amore *18 Colpa Di Un Disco ELC-25137 MMM-111 EL- 74 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Punky Monkey Sound/Love Tree [Bob Mitchell & Big Pierre] EL- 74 ELC-25144 ELC-25144 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Augusto Martelli & Piero Cotto [con Augusto Martelli] 1.Punky Monkey Sound 2.One O One 3.Love Tree 4.Summermind 5.This Love Affair 6.Moondrops 7.She's A Superstar 8.Love Will Never Be The Same ELC-25150 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) La Capannina di Franceschi [con Augusto Martelli] MMM-102 (2008年? Giallo Records –) CD La Capannina Di Franceschi 1929 - 1979 Cinquantenario [con Augusto Martelli] [* ボーナス・トラック] 1.And Now It's Music 2.Djamballa 3.So Nice 4.Punkey Monkey Sound 5.Mi Piace Lei 6.Joining Together 7.Love Tree 8.Love Will Never Be The Same 9.Bom De De Bom Bom 10.Colpa Di Un Disco 11.Ulla...Llà Niente Pò...Pò Di Meno 12.Visions 13.The Joint 14.Ne Parliamo Domani *15.One O One *16.Summermind *17.This Love Affair *18.Moondrops *19.She's A Superstar ELC-25150 MMM-102 78年久々のイタリア語のシングル盤を出しました。 EL- 87 (1978年 Eleven - Fonit Cetra) Figlio Di Un Cane/Mi Piace Lei EL- 87 UN-001 UN-001 (1979年 UNICEF - Panarecord) Concerto Per Un Bambino (con Augusto Martelli) 79年「国際児童年」、「児童の権利宣言」20周年記念事業に参加しました。 EL-103 (1982年 Eleven - Fonit Cetra) Tanti Auguri A Te/Ninna Nanna A Un Posto Vuoto EL-103 PPS-1704 PPS-1704 (1982年 On The Rocks) Freebeach/Mi Piace Lei 82年ジャズ・ロック・バンドのジャルマ3を結成し、ヴォーカルを担当します。 EDL-2072 (1982年 Drums - Drums Edizioni Musicali) Gialma Planet [con i Gialma 3] 1.Give Me 2.Francesca 3.Gialma Planet 4.Thank You 5.Uneasy 6.Stay 7.Lonely Shade 8.Made In Goodfaith EDL-2072 CP-44・32 (1989年 On The Rocks) 12"Maxi Morales 1.Mezzo Sangue Latino 2.Dammi Una Chanche 3.Ah Ah! 4.Sono Perche' Tu Sei CP-44・32 EG-100 EG-100 (1989年 Esagono – Dischi Ricordi) D'Ora In Poi 1.Non Devi Abbandonarmi Mai 2..Vento Nel Vento 3.Per Te (Amico Mio) 4.Che Hai 5.E Chi Sei 6.Sono Guai 7.Dammi 8.Quando L'amore C'e' 9.Partirei 10.Tu Sempre Tu 88年TVヴァラエティ番組「Mega Salvi Show」に出演、89年最後と思われるアルバム「D'Ora In Poi」を出しました。 90年チリのビーニャ・デル・マル音楽祭に出場し、92年以降はビジネスや舞台で妻ベアトリチェ・ダリ(Beatrice Dali’)と共演しています。 ピエロとコットンフィールズの国内盤 SR- 790 (1972年9月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP なんて美しい君/夏のディスク・フェスティヴァル1972 (UN DISCO PER L'ESTATE 1972) 13.海のふたり (DUE DELFINI BIANCHI) SR- 790 SR- 829 SR- 829 (1973年8月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP夏のディスク・フェスティヴァル1973 (UN DISCO PER L'ESTATE 1973) 11.オー・ナナ! (OH, NANA'!) ピエロ・コットは以上です。