サンレモの歌手たち 575 スコラ・カントルム 5
★スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum 1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。 活動期間:1974 – 1980; 1984 – 1995 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 1978年サンレモ音楽祭出場メンバー アルベルト・ケリ(Alberto Cheli) アルド・ドナーティ (Aldo Donati) キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco) アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) Luisella Mantovani エドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis) ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill) ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) エディー・ヴィオラ(Eddy Viola) マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) エドアルド・デ・アンジェリスとキコ・フスコの次は78年サンレモ音楽祭直後に脱退したマリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli)です。彼女は86年ノヴァ・スコラ・カントルム(Nova Schola Cantorum)の一員として、89年にはソロ歌手で出場。アルベルト・ケリ (Alberto Cheli)とアルド・ドナーティ (Aldo Donati)も80年ソロ歌手としてサンレモに出場しています。詳細はその時として概略のみの紹介にとどめます。 ☆マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli) 1956年3月17日ボローニャ生、自作自演歌手。 活動期間:1972 – 1989 所属レコード会社: サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、(ノヴァ・スコラ・カントルムとして)、89年中堅歌手部門参加(ソロ歌手として) ☆アルベルト・ケリ (Alberto Cheli) 1951年11月2日フィレンツェ生、自作自演歌手。 活動期間: 所属レコード会社:Parlophone (Le Madri) RCA Italiana (Schola Cantorum), CGD, Pipol Record サンレモ音楽祭出場4回:1978年7位、86年参加、93年参加:1980年19位(ソロ歌手) サンレモ音楽祭出品7曲:1980年19位、86年19位、86年参加、89年新人の部第2位、91年新人の部第3位、93年参加、2003年第2位、 ☆アルド・ドナーティ (Aldo Donati) 1947年9月2日ローマ生、2014年8月24日ローマ没、自作自演歌手、俳優、テレビ司会者。 活動期間:1975 – 2014 所属レコード会社: Roch Records、RCA Italiana, Cinevox, Durium, Rossodisera Records, Interbeat サンレモ音楽祭出場4回:1978年7位、86年参加、93年参加:1980年13位(ソロ歌手) サンレモ音楽祭出品5曲:1980年19位、86年19位、86年参加、93年参加、2003年20位、 以下5名の結成メンバーはサンレモ音楽祭出場はスコラ・カントルムとしてのみです。順番に資料のある範囲で書いていきます。 ・アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert 本名アニー・ロバート(Annie Robert)、1955年1月15日ヴェトナムのサイゴン(現ホーチミン市)生、歌手。芸名アニー・パスカル(Annie Pascal)も使う。リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)のイトコ。 SRL-10・944 活動期間:1974 – 現在 所属レコード会社: RCA Italiana, Delta, CGD サンレモ音楽祭出場3回:1978年7位、86年参加、93年参加 (スコラ・カントルムの一員として) 子供の頃にヴェトナムからイタリアに移住しました。 74年RCAイタリアーナが主催するコンテストに優勝しバック・コーラスのグループに採用されます。間もなく結成するスコラ・カントルムのメンバーに抜擢されます。 彼らのヒットした代表アルバム「Le Tre Campane」の“L'Aquilone”ではソロ・ヴォーカルを取りました。76年夏のディスク・フェスティヴァルとフェスティヴァルバールにスコラ・カントルムの一員として“La Mia Musica”を歌い、78年サンレモ音楽祭に“私の恋”で出場を果たしました。 80年スコラ・カントルムの解散後、アニーは翌81年アニー・パスカル名でソロ・デビューしました。 SRL-10・944 (1981年 Ricordi – Dischi Ricordi) Non Uccidere La Luna/ Fiore Rosso Carnale ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 84年スコラ・カントルムが再結成されアニーも復帰し、メンバーとなりました。84年、93年のサンレモ音楽祭にもメンバーの一員として出場しました。 ルイゼッラ・ラッザーニとジャンナ・ジョヴァンニーニは同じヴォーカル・グループのヴォーチ・ブルー(Le Voci Blu)の出身なので、一緒に紹介いたしましょう。 ・ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani) 本名ルイゼッッラ・キアヴァッチ・マントヴァーニ(Luisella Chiavacci Mantovani) 1949年フィレンツェ生、歌手。芸名ルイゼッラ・マントヴァーニ(Luisella Mantovani)も使う。 ・ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini) 詳細不明 まず二人の出身のグループ、ヴォーチ・ブルーから見ていきましょう。 ・ヴォーチ・ブルー (Le Voci Blu) 活動期間:1969 – 1973 所属レコード会社:RCA Italiana, MiMo アルバム:1 68年ローマで3人の娘がヴォーカル・グループを結成しました。ローマ育ちのエマルネラ・ヴェントゥラ(Emanuela Ventura)、オスティア育ちダニエラ・ベッレッタ・スキャヴィ(Daniela Berretta Schiavi)、フィレンツェ生れのルイゼッッラ・キアヴァッチ・マントヴァーニ(Luisella Chiavacci Mantovani)の3人でヴォーチ・ブルーと名乗りました。 ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)と作詞家フランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)に見出されRCAイタリアーナと契約し、ビージーズの作った“君を求める淋しき心(The Walls Fell Down)”のイタリア語カヴァー曲“Il Muro Cadrà”でデビューしました。 PM-3495 (1969年 RCA Italiana – RCA Italiana) Il Muro Cadrà/Quando Un Uomo Non Ha Più La Sua Donna PM-3495 ZM-50054 ZM-50054 (1970年6月 Mimo – RCA Italiana) Emanuela, Gianna, Luisella/Sitar ダニエラが去りジャンナ・ジョヴァンニーニが加入、まもなくエマルエラは69年夏のディスク・フェスティヴァル等に出場したことのあるエリザベッタ・レオカータ(Elisabetta Leocata)と交代し、2作目からはジャンニ・モランディとフランコ・ミリアッチか作ったミモ(Mi-Mo)に移籍しました。 71年3枚目のシングルを出します。“Una Vecchia Foto”はカンタジーロのジローネB(新人部門)の出場曲でした。 ZM-50097 (1971年 Mimo – RCA Italiana) Cosa Non Pagherei/Una Vecchia Foto ZM-50097 72年5月アルバム「Le Voci Blu」を出し、“Senti... Sentimenti”をシングル・カットしています。 ZSLM-55087 (1972年 Mimo – RCA Italiana) Le Voci Blu 1.Senti..... Sentimenti 2.The Witches 3.Rock Music Roll 4.Cherie Cherie 5.Revival Day 6.Medicin Man 7.Look At Me 8.It's Over, It's Over, It's Over 9.Sankapu' ZSLM-55087 ZM-50216 ZM-50216 (1972年5月 Mimo – RCA Italiana) Senti... Sentimenti/Revival Day 73年にヴォーチ・ブルーは解散しルイゼッラとジャンナは男性歌手ジョルジョ・バラルデッリ(Giorgio Baiardelli)と共にヴォーカル・グループ、グランデ・ファミリア(La Grande Famiglia)を結成し10月にシングルとアルバムをRCAイタリアーナから出しました。 PM-3694 (1973年 RCA Italiana – RCA Italiana) Frutto Verde/La Musica Del Sole PM-3694 DPSL-10622 DPSL-10622 (1973年10月 RCA Italiana – RCA Italiana) Una Città Possibile 1.Una Città Possibile 2.L'ultima Città 3.E Di Sera La Gente Torna A Casa 4.Frutto Verde 5.Bidonville 6.Oceano 7.Periferia 8.La Musica Del Sole 9.Sognando Una Città 10.Canzone Per Tutti 11.Campo Di Battaglia 12.Buonanotte A Mio Figlio ルイゼッラとジャンナは翌74年スコラ・カントルムにスカウトされます。 ・ミミ・ゲイツ(Mimi Gates) 詳細不明、旧芸名メリル(Merrill) 86年サンレモ音楽祭に2度目の出場をした“Azzurra Anima”のノヴァ・スコラ・カントルム(Nova Schola Cantorum)の時まで在籍していました。スコラ・カントルムに所属しながら多くのバッキング・コーラスの仕事もしていたようです。 SMRL-6193 (1976年 Ricordi – Dischi Ricordi) Patty Pravo 1.La Mela In Tasca 4.Sconosciuti Cieli 6.Stella Cadente 10.Facciatosta [Percussion] SMRL-6193 MDF-33・140 MDF-33・140 (1980年 Cinevox –Dischi Ricordi) Nervi A Pezzi/ Walter Martino [Drums, Percussion] 1.Time Of Libra 2.I'm Missing You 3.What Love Can Do 4.Delirious Fever 5.Romantic Fugue 6.Shantij 25613(DDD) (1983年 Cinevox – CBS Dischi) Mia Martini – Dal Vivo - Miei Compagni Di Viaggio 1.Il Pescatore 2.Suzanne 3.Un Giorno Dopo L'Altro 4.Señora 5.Cime Tempestose (Wuthering Heights) 6.Taxi Giallo (Big Yellow Taxi) 7.Alice 8.Valsinha 9.Le Ali Della Mente (Little Wing) 10.Rotativa 11.Vedrai Vedrai 12.Guilty 13.Imagine 14.Ed Ora Dico Sul Serio 25613(DDD) SPRQ-401 SPRQ-401 (1984年 Spaghetti Records, -) Mia Madre Parla A Raffica/ Edoardo De Angelis 2.La Stella Di Davide 5.Maracanà ・エディー・ヴィオラ (Eddy Viola) パドヴァ(Padova)生、自作自演歌手、その他詳細不明。 69年にシングル盤“Un Uomo”を出した後、73年初演トニー・クッキアーラ(Tony Cucchiara)のミュージカル「Caino e Abele」に参加しています。その後74年スコラ・カントルムに加わりました。 78年サンレモ音楽祭に出場後、意見の相違を理由に脱退しました。その後ロック・グループに参加しますが、80年代に入るとファッション・デザイナー、アントネッラ・スピノ(Antonella Supino)のブランド、バーチ・ダ・ローマXXXX(Baci da Roma XXX)のマネージャーに転身しました。 その後写真小説(fotoromanzi)を出す出版社の編集員として再出発しますが、21世紀になり自分の音楽グループ、オーケストラ・ヴィオラ&リ・アルモニア(Orchestra Viola e gli Harmoni)を結成し音楽の道に戻りました。 スコラ・カントルムは1986年サンレモ音楽祭の後に続きます