サンレモの歌手たち 782 エンリコ・ベルスキ、ロレッラ・ペッシェレッリ、コラージェ 2
★エンリコ・ベルスキ (vm) Enrico Beruschi 1941年9月5日ミラノ生、ピン芸人(コメディアン)、俳優。 活動期間:1972年-現在 所属レコード会社:Baby サンレモ音楽祭出場1回:1979年5位, エンリコ・ベルスキは15才からガルブサレ社(La Galbusera)で会計係として働きながら、夜間大学の経済学部で勉強しましたが中途退学をします。しかし彼は営業副部長まで昇進しました。 1972年当時ミラノで一番有名だったナイト・クラブ、ダービー・クラブ(Il Derby Club)でお笑い芸人の修行を始め、2年後昼間常勤の仕事を止め、僅かな仕事と練習時間を確保してピン芸人の道に入りました。 77年子供向けのTV番組「Salvatore L'Inventore(発明家サルヴァトーレ)」や「Qua la zampa」、TVヴァラエティー番組「ノン・ストップ・インシェーメ(Non Stop Insieme)」でコミック音楽グループのガッティ・ディ・ヴィコロ・ミラコーリ(I Gatti di Vicolo Miracoli)、スモルフィア(La Smorfia)、喜劇俳優のボリス・マカレスコ(Boris Makaresko)、マルコ・メッセリ(Marco Messeri)、ジャズ歌手のニコラ・アリリアーノ(Nicola Arigliano)達とも共演するようになりました。 BR-044 (1977年 Baby Records - CGD) Salvatore L'Inventore/Qua La Zampa BR-044 BR-077 BR-077 (1979年 Baby Records - CGD) Sarà Un Fiore (花だろう)/Prove A Sanremo 「ノン・ストップ・インシェーメ」では欲求不満で献身的な従業員のキャラクターで人気を博したエンリコ・ベルスキは79年サンレモ音楽祭に“花だろう”で出場が決まりました。ミーノ・ヴェルニャーギの優書曲“アマーレ”が99位だったのにベルスキの成績は5位でしたが年間ヒット・ランク97位となり、79年サンレモ唯一の成功曲でした。 演劇の俳優としても活動を始め、後に「Povero Beruschi (貧しいベラスキ)」の妻として彼の舞台パートナーとなった女優マルゲリータ・フメロ(Margherita Fumero)と一緒にテレビでも長年夫婦役を演じていました。 80年代に入りTVヴァラエティー「Drive In」で面白くて不幸なキャラクターのギャグで成功しました。 80年10月18日から12月20日まで8回放送されたヴァラエティー番組「Alle Cinque Del Sabato Sera」のテーマ・ソング“Urca, Che Bello!!”を出しました。 BR-50226 (1980年 Baby Records - CGD) Urca, Che Bello!!/Il Coccodrillo Sul Monte Bianco BR-50226 BR-50241 BR-50241 (1981年 Baby Records - CGD) Volevano Andare A Genova/Da Capo 81年6月14日から7月19日の日曜日20時40分からRAI-2で放送されたヴァラエティー番組のエンディング・テーマ“Volevano Andare A Genova”を歌いました。 BR-50371 (1987年 Baby Records - CGD) Mira L'Onda Del Mar/È Facile Dire BR-50371 87年久々にシングル盤“Mira L'Onda Del Mar”を出しましたが、これ以降レコードは出していないようです。 劇場での活動は1990年代から2000年代にかけて続いけました。94年にはファンだったインテルのフットボール特使もしました。 07年には演劇監督デビューもしています。またアントニオ・チェリコラ(Antonio Cericola)のオペラ「Le Avventure di Pinocchio (ピノキオの冒険)」のグリッロ・パルランテ(Grillo Parlante)役は高い評価でした。 エンリコ・ベルスキの国内盤は有りません、エンリコ・ベルスキは以上です。 ★ロレッラ・ペッシェレッリ (vf) Lorella Pescerelli 1960年6月10日、フェラーラ生、歌手。 . 活動期間:1978年-1979年? 所属レコード会社:ARC ( RCA Italiana) サンレモ音楽祭出場1回:1979年7位 1978年地元のテレビ局ののど自慢番組から出たロレッラ・ペッシェレッリはRCAが主催し、テレモンドが放送する旅行歌番組の「チェントシティ(Centocittà)」で“ニューヨーク・ニューヨーク”を歌い優勝しました。非売品ながら優勝したロレッラと出場者の一人、タッティリ・エ・フェッラーリがレコード化されています。 PB-6211 (1978年6月Centocittà – RCA Italiana) New York, New York (ニューヨーク・ニューヨーク) (ロレッラ・ペッシェレッリ)/Cucù (タッティリ・エ・フェッラーリ (Tattiri E Ferrari)) PB-6211 PB-6283 PB-6283 (1979年 ARC – RCA Italiana) New York (ニューヨーク)/Dove sono io この優勝結果で79年サンレモ音楽祭の出場権を得て、“ニューヨーク”を歌い、女性歌手唯一人入賞し7位となりました。この曲は同年パティー・プラヴォー(Patty Pravo)が英語カヴァーで歌い注目されました。ロレッラのエピソードはこれだけです。 ロレッラ・ペッシェレッリは直ぐに結婚のため引退し、正規盤1枚だけを残した一発屋歌手で終わりました。 ロレッラ・ペッシェレッリの国内盤は有りません、ロレッラ・ペッシェレッリは以上です。 ★コラージェ、{イ・} (compl) Collage サルディニア出身のメンバーで70年代初頭に結成され、70、80年代を代表するポップ・ロック・バンド。現在も活動を続けており、2000年にメンバー交代があったが30年間同一メンバーであったことは長寿バンドが多いイタリアでも珍しい存在でした。 活動期間:1971年 – 現在 所属レコード会社:SAAR (Up, Harmony), Dischi Ricordi, Lupus, Duck, D.V. More, Collage Self, Tronos サンレモ音楽祭出場4回:1977年第2位、79年4,81年入賞、84年参加 公式サイト: 1971年結成時のメンバー構成(太字は77、79年サンレモ音楽祭出場メンバー) ・トーレ・ファッツィ(Tore Fazzi), ヴォーカル、ベース:本名サルヴァトーレ・ファッツィ (Salvatore Fazzi) 1954年7月13日、北東部オルビア=テンピオ県の小さな町アラ・デイ・サルディ (Ala dei Sardi (Olbia-Tempio))生 ・ピエロ・ファッツィ (Piero Fazzi), ヴォーカル、アコースティック・ギター:1951年8月13日サルディニア北東部オルビア=テンピオ県の小さな町アラ・デイ・サルディ (Ala dei Sardi (Olbia-Tempio))生 ・ピエロ・ピシェッダ (Piero Pischedda), ギター1955年11月21日サルディニア北東部の小都市オルビア(Olbia)生. (在籍1971-2000年) ・マジーノ・ウザイ (Masino Usai), ドラムス:本名トマッソ・ウザイ (Tommaso Usai) 1953年6.月5日サルディニア北東部の小都市オルビア(Olbia)生.(在籍1971-2000年) ・ピノ・アンボブロージョ (Pino Ambrosio), キー・ボード1954年1月1日サルディニア北東部の小都市オルビア(Olbia)生. (在籍1971-2000年) ・ルチアーノ・デゴルテス(Luciano Degortes) – ヴォーカル(在籍1971-1974年) 1977年サンレモ音楽祭に出場後、リコルディに移籍し79年のサンレモ音楽祭に“自由な瞳”では4位入賞をしました。前回は年間ヒット・ランクの12位と超特大のヒットで大成功しましたが、79年は週間ランキングで最高34位(在位11週間)となりましたが、年間ヒット・ランク100に入ることはできませんでした。 SRL-10・891(1979年 Ricordi – Dischi Ricordi) La Gente Parla (自由な瞳)/Voli Anche Tu SRL-10・891 SMRL- 6243 SMRL- 6243 (1979年 Ricordi – Dischi Ricordi) Concerto D'Amore 1.La Gente Parla (自由な瞳) 2.No Laura No 3.Strano 4.Io... Se Permetti 5.Sole Rosso 6.Concerto D'Amore 7. Il Falco 8.Mania 9.Voli Anche Tu 10.Dicci Come Ti Chiami サンレモに2度目の出場後、出場曲“自由な瞳”を入れたアルバム「Concerto D'Amore」を出しています。 夏のヴァカンス向けのスロー・バラード曲“Un'Altra Estate”を出します。 SRL-10・903 (1979年 Ricordi – Dischi Ricordi) Un'Altra Estate/Mania SRL-10・903 SRL-10・909 SRL-10・909 (1979年 Ricordi – Dischi Ricordi) S.O.S./Zingara Nel Cuore この頃のバンドにしては珍しく多作で、79年3枚目のシングル盤“S.O.S.”を出しました。70年代1年にシングルを1枚または2年でシングル2枚、アルバムを1枚出すのが普通となっていました。 80年アルバム「Donna Musica」を出し、アルバム・テーマの“Donna Musica”を発売しました。この曲は久々に80年年間ヒット・ランク91位に入りました。 SMRL-6268 (1980年 Ricordi – Dischi Ricordi) Donna Musica 1.Dimenticare Te 2.Donna Musica 3.Lecca Lecca 4.Completo Amore 5.Zingara Nel Cuore 6.Stasera Tu 7.S.O.S. 8.Povera Betty 9.Sapor Di Scuola 10.Tiritera SMRL-6268 SRL-10・921 SRL-10・921 (1980年 Ricordi – Dischi Ricordi) Donna Musica/Stasera Tu “Donna Musica”のヒットのお陰でリコルディの廉価盤シリーズ、オリゾンテからサールのアップ・レーベル時代の曲も収録した編集ベスト盤が発売されました。 ORL-8481 (1980年Orizzonte – Dischi Ricordi) CD Collage – Raccolta Di Successi CDOR-8481 (198?年Orizzonte – Dischi Ricordi) CD Collage – Raccolta Di Successi LOCD- 8 (1995年Orizzonte – Dischi Ricordi) CD Collage – Raccolta Di Successi [8003614155731] 1.Donna Musica 2.Due Ragazzi Nel Sole (太陽の中の少年達) 3.Tu Mi Rubi L'Anima (長い髪の少女) 4.S.O.S. 5.L'Amore 6.Sole Rosso 7.Piano Piano...M'Innamorai Di Te 8.Lei Non Sapeva Fare L'Amore 9.Tu Dolcemente Mia 10.La Gente Parla (自由な瞳) 11.Un'Altra Estate 12.Dimenticare Te ORL-8481 CDOR-8481 LOCD- 8 この後作詞家でカンタウトゥーリのフランコ・カリファーノ(Franco Califano)とリコルディの人たちが設立したレーベル、ルーパス(Lupus)に移籍します。この会社のディストリビューション権をリコルディが持っているので、リコルディ・グループ内に留まっていると言えるでしょう。 コラージェの国内盤はコラージェ 1で終了しました コラージェ 3は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます