サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)79 1981年 2
いったんお休みにしていた年次サンレモ音楽祭のヤフオクを夏休みにしている間にサンレモ音楽祭を再開いたしましょう。 イタリアの歌謡界も大きく様変わりした80年代の初年81年第31回大会その2に進めていきましょう。 イタリア人と日本人の感覚の違いでしょうか、サンレモ音楽祭の記念大会のイベントは第30回ではなく、第31回だったようです。メイン司会者は前回に続いて音楽、TVプロデューサーのクラウディオ・チェッキートに女優のエレノーラ・ヴァッローネ、ラジオTV作家のフランコ・ソルフィーテに第1回から3回までのサンレモ音楽祭優勝歌手、サンレモの女王ニラ・ピッツィが加わります。 ニラ・ピッツィは特別会場となったサンレモ・カジノ付属劇場でも行われたゲストの中継担当も受け持っていました。この年のテーマ・ソングはメイン司会者のクラウディオ・チェッキートが歌う“Gioca-Jouer”で年間ヒット・ランク7位となる超特大ヒット曲となりました。 フィオレッラ・マンノイア (CGD) ミケーレ・ザッリッロ (CBS DISCHI) 第31回 1981年2月5日(木)~7日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、エレノーラ・ヴァッローネ(Eleonora Vallone)、ニラ・ピッツィジ(Nilla Pizzi)、フランコ・ソルフィーティ(Franco Solfiti)オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) 社[オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)]芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso) [数]は外人歌手数、1981年の外人の出場は3歌手・Dischi Ricordi 9 [0] (Ricordi 1[0],Ariston 2[0], Lupus 2[0], Carosello 1[0], Cinevox 1[0], SIF 1[0], Amiamoci 1[0])・CGD 5 [0] (CGD 3[0], Baby 2[0])・EMI Italiana 3[1] (EMI Italiana 2[0], Dig-It 1[1])・Polygram Dischi 2[0] (Polydor 21[0]))・CBS Dischi 2[0] (CBS 2[0])・Durium 2[0] (Durium 1[0], DURIUM MARCHE ESTERE 1[0])・Fonit Cetra 1[0] (Cetra 1[0])・WEA Italiana 1[0]・RCA Italiana 1[0] (Radio Record 1[0]))・SAAR 1[1] (HARMONY 1[1])・PANARECORD 1[1] (F1 TEAM 1[1]) 第31回の最大の成功は終了後のレコード・セールス状況が良かったことでした。最終日に勝ち残った20曲中12曲が年間ヒット・ランク100位内に入る(司会のチェッキートが歌ったテーマ・ソングを除いても)近年まれにみる好成績でした。 最大のヒットは年間ヒット・ランク6位のリッキ&ポーヴェリの歌った“愛の理由(Sarà Perchè Ti Amo)”ですが、一つ間違えば大スキャンダルになりかねない事件が幸いに転じた結果でした。これもジャンニ・ラヴェーラの力だったのでしょうか!詳しい内容は後ほどにしましょう。 パッセンジャーズ (DURIUM l)) . トム・フッカー (SAAR) それに比例して日本でのサンレモ音楽祭の認知度は低くなっていきます。出場曲リストで太文字にしているのが国内盤が出た曲です。また邦題も決まっていない(私が知らないだけかも)出場曲も増えていきます。 <予選通過曲>◇アンコーラAncora (Franco Migliacci - Claudio Mattone) 出版社 JUBAL(RICORDI Gr.) - EASY <A> エドゥアルド・デ・クレッシェンツォ (vm).Eduardo De Crescenzo (RICORDI – Dischi Ricordi) SRL-10・933 [45] SRL-10・933 SIF・NP-10001 ◇Angela (Leano Morelli - Manrico Moloni) 出版社 SIAE <B> レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli (SIF – Dischi Ricordi) SIF・NP-10001 [45] ◇行き先のない船 La Barca Non Va Più (Bruno Lauzi - Pippo Caruso) 出版社 BIXIO CEMSA - NUMBER TWO <A> オリエッタ・ベルティ (vf).Orietta Berti (CINE VOX – Dischi Ricordi) SC-1154 [45] SC-1154 DG-1205 ◇Blue (Tutto è Blu) (Pier Michele Bozzetti - Vitalino Caruso) 出版社 SIAE <B> スタ-リング・サン・ジャーク (vm=a) Sterling Saint-Jacques (Dig-It International – EMI Italiana) DG-1205 [45] ◇沸いたブラック・コーヒー Caffè Nero Bollente (Mimmo Cavallo - Rosario De Cola) 出版社 CALYCANTHUS - SUVINI ZERONI(SUGAR Gr.) <A> フィオレッラ・マンノイア (vf) Fiorella Mannoia (CGD – CGD Messaggerie Musicali) CGD-10318 [45] CGD-10318 P- 561 ◇Follow Me (Se Amore Vuoi) (Luciano Angeleri -Mike Thompson - Phil Carmen) 出版社 SIAE <B> カルメン & トンプソン (duo=sz) Carmen & Thompson (F1 TEAM - PANARECORD) P- 561 [45] ◇イオ・ミIo Mi (Carlo D'Apruzzo - Mirko Filistrucchi - Stefano Tosi Innocenti) 出版社 CAROSELLO <A> ステファーノ・トーシ (vm) Stefano Tosi (CAROSELLO – Dischi Ricordi) CI-20492 [45] CI-20492 3C・006-18535 ◇Non Posso Perderti (Danilo Ciotti - Roberto Satti) 出版社 BELRIVER <B> ボビー・ソロ (vm) Bobby Solo (EMI - EMI ITALIANA) 3C・006-18535 [45] ◇Questo Amore Non Si Tocca (Giancarlo Bigazzi - Gianni Bella) 出版社 SIAE <B>ジャンニ・ベッラ (vm) Gianni Bella (CGD – CGD Messaggerie Musicali) CGD-10316 [45] CGD-10316 LUN-4915 ◇I Ragazzi Che Si Amano (Angelo Valciglio - Collage) 出版社 JUBAL - ANACONDA <B>コラージェ (compl) Collage (LUPUS – Dischi Ricordi) LUN-4915 [45] 参加曲8曲は次回です それでは第31回サンレモ音楽祭出場曲で年間ヒット・ランで6位につけたリッキ&ポーヴェリ以外の曲を紹介していきましょう。 優勝曲アリーチェの”エリーザ (エリーザのために)”22位、大成功だったのが第2位になったロレッタ・ゴッジ”夏を待ちましょう”が8位、反対に意外に振るわなかったダリオ・バルダン・ベンボの第3位“今夜の君は”53位でした。 未公開順位の曲では(4位) ルカ・バルバロッサ“略奪されたローマ”58位、(6位) パオロ・バラバー二“ホップ・ホップ・ソマレッロ”が71位、(9位) マルチェラの“あなたへの想い”は87位でした。 さらに最終戦に残れなかった入賞曲でも、ボビー・ソロの“Non Posso Perderti”が39位になる大ヒット、エドゥアルド・デ・クレッシェンツォ“アンコーラ”42位となりオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)、がカヴァーし、日本で国内盤も出ているのでご存知の方も多いと思います。マルチェラのお兄さんのジャンニ・ベッラ初出場の曲”Questo Amore Non Si Tocca”で60位、イ・コラ-ジェ“I Ragazzi Che Si Amano”が73位、映画関係者で構成されたスーパー審査員の選考3曲に入ったオリエッタ・ベルティの“行き先のない船”は80位のヒットとなりました。 ※スーパー審査員はリッツォーリ映画関係者で、個人的な基準で『優秀賞』を贈るために選ばれた人たちでした。次年度以降は『批評家賞』として定着します。スーパー審査員のメンバーは映画監督セルジオ・レオーネ(Sergio Leone,)、女優エレオノーラ・ジョルジ(Eleonora Giorgi)、俳優ジャンカルロ・ジャンニーニ(Giancarlo Giannini)、ウーゴ・トニャッツィ(Ugo Tognazzi)、アルベルト・ソルディ(Alberto Sordi)でした。 ドメニコ・マッティア (POLYDOR) セバスティアーノ・オッキーノ (ARISTON) 第31回初出場したレコード会社(レーベル)を紹介しましょう、3社有りその2番目はディグ・イット(Dig-It)です。当初「Dig-It」だったため「Dig It」と混在して使ってしまっていますが、現在は「Dig It」のようです。 会社の正式名称La Dig-It International Records S.r.l.として、1970年ピッポ・ラ・ローザ(Pippo La Rosa)によってミラノに設立され、1997年事業を閉鎖しました。 ディグ・イットはピッポ・ラ・ローザ、クラウディオ・ダミアーニ(Claudio Damiani)、ヴィタリアーノ・カルーソ(Vitaliano Caruso)、エウジェニオ・デル・サルト(Eugenio Del Sarto)によって音楽出版社として出発しました。 74年からレコードを発売した記録が残っていますが、同年フランスのピエール・グロコラ(Pierre Groscolas)がヒットさせた“レディ・レイ(Lady Lay)”のイタリア語ヴァージョンを制作、発売(ディストリビューションはアリストン)したのが最初と言われており、特にこの年スエーデンのポップ・グループ、アバ(ABBA)のイタリアでの販売権を獲得して、レコード会社として急成長していきました。 自社制作の成功例は76年にポップミュージック・バンドのイ・ヴィンチ・ディ・カーザ(I Vicini Di Casa)が出したシングル曲“15 Anni”が年間ヒット・ランク81位になったことでした。因みにこの曲の作曲はこの1981年サンレモ音楽祭で“Amore Mio”を自作自演したエンツォ・マレパッソ (Enzo Malepasso)でした。 ディグ・イットの販売ジャンルはメロディック・ポップからディスコ・ミュージックまで、さまざまな音楽に及び、ディストリビューションについては、長い間、ディスキ・リコルディに頼ってきました。 90年代には、多くのサブ・レーベルを使い、リミックス・ヴァージョンを多用したユーロ・ダンス、コマーシャル・ダンス・ミュージックの制作と販売に方針転換しました。やがてダンス。ミュージックの波も引いて、97年突然活動停止、会社は閉鎖されました。 サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1981年 3は次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。