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ふう・・・やっと「チルド状態」から「常温」の私に戻り、
ブログも再開できることとなりました! これまでにも 「ストレングスファインダー」で調べた 「5つの資質」をお知らせ下さった方には 私から「愛の強みメール」を送らせて頂いていますよね? (本当にありがとうございます!) この間、 「『愛の強み』って何ですか??」 と質問されました。 しいて区切るならば 「『愛!』の強みメール」 こんなふうに読んでみてくださいね。 「じゃ、『愛』って何なの?」 これは ●まず!私からの「愛」(⇒あなたって素敵だね!という愛) ●そして、その方ご自身へ向けて欲しい「愛」(⇒是非、こんな自分が好き!って思ってね!という『愛』) ●最後に、周りの方からの「愛」(⇒そんなあなたが好き!って思ってもらえるといいね!という愛) ストレングスファインダーの結果が 「当たってる・当たってない」にかかわらず、 「こんな自分が好き!」と言えて 「そんなあなたが好き」!と周りから言ってもらえる人生って ほんとに幸せですよね・・・・ この想いとともに、 私は「少年R」のことが思い浮かびます。 (注)今日はここから長いですよ~! トイレ大丈夫ですか? コーヒーでも入れてきませんか? さて・・・・約30年(!)前・・・ 当時の「少年R」は、男の子にしては色が白くて、 唇の赤いおとなしい男の子でした。 「少年R」の母親が (そろそろ近所で同じ歳のお友達でも見つけなきゃ・・・) と、幼児がたくさん遊んでいる公園に連れて行ってみました。 他の子供達はお互い関わり合いを持ちながら遊んでいるのに、 「少年R」はたった一人砂場で黙々と砂を掘っていました。 そのうち、一片のプラスチックの四角い破片を見つけると、 大切に握って、「お家帰ろう、帰ろう!」 と母親の手を引っ張ります。 (今来たばっかりで、誰とも遊んでいないのに・・・) 母親はなんとか他の子供達と遊ばせようとしましたが、 どうしても帰ると言って聞きません・・・ 仕方なく家に帰ると、 「少年R」は「拾ってきたプラスチックの破片」と 「家にあった積み木」をぴったり並べて 「おんなじ・・・!!」と感動のため息をついていました。 次の日も、また次の日も「少年R」は公園に連れて行かれましたが、 やっぱり誰とも遊ばず、 一人で木切れや破片を探し回っているだけ・・・ そのうち、公園で浮きまくっている「少年R」は 他の子供達のいじめの標的になり、 砂をかけられたり、スコップを取られたりするようになりました。・・・・ でもちっとも抵抗しないで、 「お家帰る・・・」とさっさと帰ってしまう「少年R」に 母親はじりじりして、 「男の子だったら取り返していらっしゃい」と公園に追い返したりしていました。 やがて母親は、 「こんなにお友達と遊べなくては、 将来きっと苦労する!」 「男の子はもっと闘争心が無ければ 社会で生き残っていけない!」 と、少年Rを 「グループでの音楽教室」と 「少林寺拳法」 に通わせ始めました。 でも・・・ 「音楽教室」では、ちっとも輪に入らず、 窓の外の高速道路の照明灯を眺めていましたし 「少林寺拳法」では、整列!!の号令にも気づかず、 床の板の目を数えていました。 「少年R」の母親は 「うちの子がこんなに意気地が無いのは 何か理由があるに違い無い!」と、 いろんな人に相談した結果、 「これは名前が良くない!今すぐ改名を!」 というアドバイスに従って、 「強さが出る(?)名前」に改名しました。 でも何も変わらない・・・・ 小学校に上がっても、放課後は 相変わらずいつも一人で過ごし、 家の中で 鉄板をトンカチで叩いて 電車の車体を作ったりしていました。 そして勉強はさっぱり!! 家庭教師をつけても成績はずっと低迷!! 向上しようという意欲がまったく見えない!! 食事の時間は、はじめから終わりまで 母親から少年Rへの 「お説教の集中砲火」の時間でした。 「少年R」が石のように押し黙って母親の説教を聞いていたのは 中学2年までで、 中学3年からはいきなり「スイッチ」が入ってしまったかのように ガラスは割る・・・ ふすまに穴はあける・・ 「少年R」と母親は お互いに苛立つ感情をぶつけ合って、 毎日へとへとに疲れきっていました・・・・ 私がためしに勉強を教えてみたものの、 なんだかものすごく厚い「壁」のようなものを感じるのでした。 不毛な努力をしているような気がするばかり・・・ (この無力感はいったい何・・?) (無理やり勉強させて、Rに何か良い事はあるんやろか・・?) ガラスを割ってるときとは 別人のようにおとなしくて、 でも、すっかり眼が死んでいる「少年R」に、 「いつまでこんなことしてんの??」 と聞くと、 「僕のことをみんながあきらめてくれるまで・・・・」 ちょっと、R、何を言ってるの!! あんたが願っているのはそんなこと? 「もうRの好きにさせたったらええやん!」 「良い学校いけなくたって、みんなちゃんと生活してるやん!」 母親に言ってみたら 「自分の子供が、楽な道に流されて 『だめな人間』になっていくのを だまって見ている親がどこにいるんよ! 親の教育方針に口出しせんとって!!」 (はぁ~・・ため息・・) 「ねえ、R・・・・一日も早く 自分の力で稼いで、食べていけるようになろうよ! そしたら、自分の好きなことができるやん!」 これしかかける言葉がなかった、あの日から20年が過ぎ・・・ ほんの一時期公務員をしていた「少年R」は 今は「おっさんR」になって、 自動車の整備工場で働いています。 今になって分かったことですが、 「少年R」には小さい頃から 「すごい特技」があったらしいのです!! ●メジャーで測らないでも、見ただけで、物の寸法が分かること ●絶対音感があって、車のエンジン音が 「これはミのシャープ」とか分かること ストレングスファインダーで測ったら いったい何の強みとして出てくるのか分かりませんが(笑) とにかくこれは素晴らしい才能でしょ?? 砂場でプラスチックの破片を見つけたとき 「これは積み木と同じ長さ!」と瞬間的に分かり、 比べてみてぴったりかどうか 確認せずにいられなかった「少年R」・・・ 「高速道路の照明灯」や「道場の床の板の目の長さ」が 正確に等間隔であることを確認して満足していた「少年R」・・・・ 惜しかったね、その才能を伸ばしていれば すっごいことになっていたかもよ!! 人間の「才能」って 「仕事」とか・・・「趣味」とか・・・ 何かに活かされて、成果が出たときには 「すごいねー!!」って周りから賞賛されるけど、 まだ本人にもよく「才能」の正体が分からない、 ただ「強い衝動だけが存在する」 という状態のとき、 逆に辛いこともありますよね? それを「素敵だね!」って応援してくれる人の存在は 本当に大切だと思うの。 でも、人間だからね、 どうしても応援する気になれない・・・ ってこと、あるかもしれないですよね? そんなときは 「応援できないならせめて口出ししない」 「伸びていくのを邪魔しない」 ただそれだけでも、「育つべき才能」は育っていく力が 潜在的にあるのかも! 今「おっさんR」は、 お客さんの車が近づいてくるだけで、 (○○さんの車、エンジン音がこの前より 半音上がったな!)って気がついて 「今日はエンジンの音、良い感じですよ」 って声をかけているらしいです。 私もね、「自分のここが好き!」っていうところ、 是非勇気を持って全力で愛してみます!! そして、皆さんご自身が「ここが好き!」っていうところ、 私も大好きですからね~!! 応援していますからね~!! (今日は長かったですね、 最後まで読んでくださった方、 ありがとうございました☆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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