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昨日は私のお誕生日だったんです。
愛情メッセージを頂いたり、 大切な人たちの声が聞けたり、 ちょっとだけ自分に何かをプレゼントしたり・・・ 職場では6月生まれが二人いたので、 すっごく大きいケーキを用意してもらって、 「大食い選手権」状態だったり・・・ 皆様、神様、ほんとにありがとう~!! このあいだ、 ちょっと特別な「本当にありがとう」を味わいました。 学生時代の「バドミントン部」の元監督が 先日60歳で亡くなったのですが・・・ この「60歳」というのは 私が「60歳までにやりたいこと全部やって一生を終えたら本望!」 と常々言っているのと同じ年齢でした。 監督のお葬式は 「無宗教葬」ということで お線香も、花輪も、果物も無く、 床から天井まで色とりどりのお花が まるで本当に大地から咲いているように溢れ、 透明感のあるブルーのライトが 青空のように見える明るい祭壇でした。 監督が好きだったという音楽がずっと流れ、 いつの間にか、参列者が好きなようにいっしょにハモッている、 そんな「お別れ会」。 学生時代の写真・・・ 監督時代の写真・・・ そしてご家族と一緒の写真を見ながら みんなで監督に読む「本当にありがとう」の手紙 に聞き入りました。 「最後はみんなでカレッジソングを歌って見送ってくれないか」 という監督の願いもあり、 元部員が棺の周りを肩を組んで囲み、 カレッジソングを歌ってのお見送りとなりました。 何より印象に残ったのが 最前列に座っていたご家族の姿でした。 考えてみると、苦労が多かった日々だったと思うのです。 40歳を過ぎてから仕事を失い、 まだ小学生だったお子さん3人を抱えて、 (監督、どうなっちゃうんだろう・・・) と、みんなで心配した数年間もありました。 でも、奥様と二人で力を合わせて 損保の代理店を始め、 二人三脚でほとんど休みも無く働き、 全国でも表彰される 優秀な代理店となりました。 自分の病気が分かってからは、 代理店を「有限会社」にし、 自分亡き後も奥様が仕事を続けられるような仕組みをつくり、 それを見届けるようにして逝ってしまいました。 「お別れ会」の間中、 奥様と3人の息子さんは かわるがわるずっとお互いの背中を抱き、 ポンポン・・・といたわるように叩いて・・・ 長い間、苦労が多かった分、 本当に助け合ったご家族だったのが よく分かりました。 監督は、自分がそんな大変なときでさえ、 卒業した部員の「人生の節目」では 本気で応援してくれました。 私が「バドミントン部推薦」で入った会社を たった1年で辞めたいと言ったときも 「お前がこれからどうやって生きていきたいのか、 俺にはよくわからないけれど、でもお前を信じる! 会社には俺が土下座してやるから、好きなように生きろ!」 と言いに来てくれました。 結婚が決まったときには 「お前を大切にしてくれる人と 『男同士の約束』がしたいからどうしても会わせて欲しい」 と言って来てくれました。 そんなことを、遠くに住む部員や仲間にも 同じようにしていたことを、 「お別れ会」のときに初めて知りました。 監督のお別れ会中、全員がずっと泣いていましたが、 最後に「こんなに幸福な気持ちになったお葬式、 今まで無かったね・・・」 とみんなで言い合いました。 監督から受け取った宝ものを この「お別れ会」で再確認できたような・・・ もう一度包んでもらったような感覚を 一人一人が味わっていたんですね。 監督はみんなのことを 「お前なら絶対できる!」 といつも信じてくれていたんだなあ。 私が(今度ばかりはもうダメかも・・・・)と思ったときでも、 「おれの女房は、お前の笑顔の大ファンなんだ! だからお前は絶対大丈夫だ!」 と言ってくれた声が 今でもずっと心の中で私を応援してくれているんだなあ。 「信じてもらう」っていうことが どれだけ自分の人生の支えになるか・・・ 監督に本気で信じてもらえた私達は幸せものです。 監督は力を出し切るようにして逝ってしまい、 大きな業績や、地位や名誉を残したわけではないけれど、 これだけ「あったかい気持ち」を 一人一人の心の中に残せる人は なかなかいないよなあ。 私も「お誕生日を迎えた」ということは、 いつか来る「その日」に 一歩近づいたっていうことですね。 「その日」が何歳か・・・ それは分からないけれど 「力を出し惜しみするのはもうやめよう!」 って思いました。 登ろうとする山が高いときにも、 とりあえず山肌に手をかけてみようっと! てっぺんを眺めれば、そりゃ高いけど、 手を伸ばしたら、 とりあえず「でっぱり」には手がかかるからね。 いつか来る「タイムアウト」の瞬間、 私はいったい何を感じるんだろうな・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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