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頭の中がまとまんないです ここ二ヶ月ほどずっと仕事関係で何かとバタバタしておりました でもず~っと書きたくて仕方ないことがあって。。。 でも期日のある仕事をしていて、私の性格上ギリギリまで行動を起こさない人なので 溜まりに溜まってしまい日記を書くところまで手が回りませんでした。 先週その仕事もようやくめどがついたので、やっと書けると思っていました 九月の半ば頃から体調の変化があり、「あれ??」と思い、検査をしたらなんと赤ちゃんができてました。かなり長いこと待っていたので本当に待望のことでした。 でも、二年ほど前一度早い週数での流産の経験があったのでうれしい反面安心はできませんでした。 5週目にはいる頃病院で診てもらいエコーで胎嚢(赤ちゃんが入る袋)ができているとわかったときは信じられなくてうれしくて・・・ その日サトさんがうちに帰ってくる日だったので、帰ってくるまで黙ってようと思ったんだけど私の口はどうしても黙っていられずつい電話してしまいエコーの写真まで写メで送信 受話器の向こうで「え~!!マジで~、これ(エコー)なに~!!」って 喜びの声というよりはただただ驚いている様子 でもこっちまでじわじわとうれしい気持ちになってきました お互いの両親にはもう少しこの妊娠が確実なものになってから報告しようということになり 母子手帳をもらった頃に報告。 本当に本当に喜んでくれました。特に驚いたのが私の妹に報告したとき。 「実はね、子供できたよ」 「え~、ほんまに!!あ~、よかったね~(の後言葉にならず号泣) 私ね、いっつも神様にお祈りしてたよ、おばあちゃんから一度だめだったこと聞いてたから 絶対次元気な子が生まれるようにって、本当によかったね」 って 前回だめだったことは私たち夫婦だけのこととしてほかの家族には話さなかったんだけど、唯一今年二月になくなった祖母にだけは話していました。後で聞いた話で私が話してから一年ほどあとに親や妹に話しをしていたそうです。 その祖母も曾孫ができることをとても楽しみにしていたのでこの報告ができればどんなに喜んだかなと思いました。 それから検診のたびに少しずつ順調に大きくなっているエコーの写真をそれぞれの両親や妹に送り つわりが始まる頃ご飯が食べられないことですらうれしく感じたり この頃から、以前より夢だった助産院でのお産をするため3代目ヒサシさんの奥様のところにもお邪魔させてもらいました。できることなら自然な形で出産したかったんです。実際のお産の写真を見せてもらったりして、「自分にできるかな?」って不安はあったけどでも改めてこのおなかの中に一人の人間がいるなんてすごいことだなって思ったんです。 なんていうんだろう・・・文章にすると恥ずかしいけどあったかくてとても幸せな時間を過ごしました。 リリー・フランキーさんの「東京タワー」にこんな文章があった(抜粋ですが) 『当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、自分には起こらないことがある。 ・・・・難しいことじゃなかったはずだ。叶わなかったことじゃなかったはずだ。 人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇跡」に映る。 歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠く感じるその奇跡』 私にとっては平凡なその日常生活が奇跡だった もっと大事にしなきゃいけなかった。当たり前ではなかったはずなのに安心するのはまだ早かったはずなのにね・・・忘れてしまってた。 どんだけ考えたところで現実は変えられない。 昨日、少しおなかが痛むような気がしたので仕事の合間に診察してもらった。 いつもなら内診しながらすぐエコーの画面を見せてくれるのに昨日はなかなか見せてくれない。 実は先週の金曜日が定期受診でそのとき心拍が見えなかった。 昨日の診察で完全に動いていないことが確認されてしまった。その瞬間から泣けて仕方なかった。 サトさんに電話したら仕事上がりですぐ家に帰ってきた。 帰ってくる間車の中でどんな気持ちだったか考えると申し訳なかったけど、そばにいてくれて本当に助かった。 結局ここで休み4時過ぎに松阪に帰った。道中がやっぱり気になるなぁ 私は明日入院して処置の準備をするらしい。 病院には勤めてるけど、自分自身は初めての入院だ。 まだなかなか次のことは考えられないけど、この子が与えてくれた親としての時間はサトさんや私にとって本当に幸せな時間だった。 私のおなかの中に来てくれてありがとう 抱っこできなくてごめんね いろんなこと考えてたら結局眠れなかったなぁ。 一気に吐き出したように書いたら読むの億劫なほど長文になっちゃった( ̄ー ̄; ヒヤリ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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