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テーマ:闘病日記(4013)
カテゴリ:ははへの道のり
2009/3/4~7の記録。少し記憶がおぼろげなので、前後している可能性もあり。おおよその記録として。 3月4日 いつものように15:00に面会にいくとこれから検査が入ってしまったので、面会はあとにしてくださいといわれる。 検査が終わるまで待ち17:00ころようやく面会。昨晩説明があったように機械が1つ増えていた。チューブが1本増えていてそこから血液が流れ機械を回っている。血液がみえるチューブが増えていて「まさかまた貧血で輸血?」と不安に思ったけど、これが人工透析だと妹に教えてもらった。 まだむくみはあるものの、手はすこしやわらかくなったような気がした。 少しだけ目をあけた父に会うことができた。 19:00の面会では目はあいていたが、体位を交換したばかりでそのせいで顔をしかめて痛がっていた。痛み止めを追加したと看護師さんが言っていた。可哀想で見るのがつらい。 <先生からの説明> 3月2日に二度目の手術という荒療治をして、翌日が最悪の状態でした。手術により止血はされましたが、手術というのは荒療治なので翌日最も悪い状態に陥ります。 今日は肺の状態も少しよくなりました。手術時は酸素濃度100%でしたが、今は70%まで下がってきていますから、自分での呼吸もできるようになってきたということです。 3月5日 面会にいくもまたも眠っていた。でも、管をみると尿が出ていたので少し安心。血圧は100前後、酸素濃度68%。東京に戻る前に呼吸器がとれて話ができるといいんだけど。心拍が110と少し高い。心臓がバクバクしている状態だから寝ていても疲れていると思う。 <先生からの説明> 状態は横ばいです。昨日ちょっとよくなりましたが、その状態からは変わっていません。生命の危機のラインが0だとすると、まだ少しマイナス。重体の状態からは脱していないので、まだ大丈夫ですとはいえません。なんとかきっかけをつかんでこのゼロのラインを超えて欲しいと思っていますし、そうなるように全力を尽くしています。 3月6日 痛みがひどいので眠らされていたが、透析の機械は外れていた。 <先生からの説明> 尿がでるようになってきたので透析は終了しました。娘さん、明日東京に戻るということで離れて心配でしょうし、「大丈夫ですよ」といってあげたいのですが、状態は昨日とかわらず横ばいです。 3月7日 帰京の日。帰る前に8時から朝一番の面会に行った。父は眠っていて話をすることはできなかったけど、私の思いを眠っている父に伝えて病院をあとにした。 帰京する私に、次に呼ぶときは亡くなった時だからね。でも大丈夫、お父さんは鉄人だからこのままよくなってくれると思うから、おねえちゃんあんまり心配しなくていいからね、と母は言った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.18 14:55:56
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