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テーマ:闘病日記(4013)
カテゴリ:家族のコト
先週末の土曜日、2月に入院してから約7ケ月ぶりに父が外泊許可をもらい自宅に帰宅しました。9月いっぱいで「強制的」にさせられる退院のための試験的帰宅です。 父が入院した病院は「急性期」と呼ばれるカテゴリの病院で、療養やリハビリを主とした病院ではなく、本来は2~3ケ月で退院する(させる、もしくは転院させる)ことを前提として経営が行われています。 しかし父は病院の判断で、その時期になっても転院させられなく結果として入院が長びいたことで、6ケ月を超えた分からは6割負担と病院側から言われました。 術後2ケ月以内にリハビリを主とした病院に転院すればこんなことはなかったようです。結果的に患者に医療費の負担が重くのしかかることになってしまったのは、病院の判断ミスです。(治療方針も含めて) 師長は恩着せがましい言い方で、 ・○○さんは何度も死にそうになったところを先生が一生懸命都度助けてきた。 ・フツウは3ケ月で退院(転院)させるところを、なんとか先生方が自分達の手で治してあげたい(=好意なんですといわんばかり)と思ってがんばってきた ↓ でも、思ったように治癒せず長びいていて、これ以上は6割負担になってしまう(&病院も赤字になる)ので一旦退院してほしい。 と、言ったそうです。 でも。 それだったら、どんな状態だろうが3ケ月で別の病院を紹介してくれればよかったと、患者側は思います。自分の自己満足や、治療方針のミス(結構後手後手になった感がいなめず、そのせいで長引いているというのは素人目にも感じられる)で勝手に手元においといて、赤字になりそうになったら退院してくれだなんてなんとも勝手な話です。 母は父も病院には満足しているし、お世話になっていながらモンクのようなことは言えないよ、といってました。もちろんその気持ちは私もよくわかるし、私だってモンクを言えといってるわけじゃありません。 しかし、退院にあたってはこれまでの状況を整理し、そういう病院側のミスで長引いたことも明確にしておくことは、今後何かあったときのための布石になるはずです。 退院したって、はっきりこのくらいで完治しますと見通しがたってるわけでもないし、またいつ急変するかどうかもわかりません。医療費はどのくらいになるのかも想像できない状態なのですから、最後の最後にどうすることもできなくなった時は病院が責任とってくださいね、っていう布石を打っておくことは大事だと思います。 母には外出の説明時にこのあたりをちゃんと言っておくようにといい含めておきました。 本題の外泊については、家についてから父から電話がきました。妹夫婦にも力をかりて、無事5階までの階段をあがってこれたようです。母も、家にいるとなにかとちょこちょこ動くし、リハビリにもなって病院にずっといるよりはいいみたい、と言ってました。 それはなにより。 肝心の病状&医療費のことについては、 ・3つあいている穴のうち、2つは薄皮が張ってきている ・あと1ケ月自宅療養で絶食して少しでも穴が塞がっていくのを待つ ・1ケ月後にまた再入院をして、穴の状態を確認しながら病院食から食事を始めて様子をみたい ・1ケ月退院してもらえれば、次の再入院からはまた高額療養費制度が適用できるようにする ・退院の間、体調がおかしい場合はいつでも来院してください ということでした。 明るい兆しが見えてちょっと安心しています。 一時的にでも退院の目処がたち、あんなに自分勝手な父が母に「オマエにもよく通わせたな、ありがとう」と涙を流したそうです。 7ケ月間、2日間をのぞき毎日お見舞いに通ってた母。 父の兄弟からもいろんなことを言われ、父からもやつあたりされることもあったり、お金のことも含め相当大変でストレスもたまってたと思います。でも、このコトバで「こうやって言ってくれるからいいことにするよ」と言っていました。母の気持ちが報われるひとこと。本当によかった。 まだまだフツウの生活ができるようになったわけじゃないけど、希望をもって支えてあげたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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