昨日の昼下がり―
青い空、白い雲、春風に誘われてお墓参りに行って来ました。
うちのお墓は高台にあり、市内が一望でき、
遠くは比叡山から東山連峰、
そして京都タワーが小指ほどの大きさながら見える場所にあのです。
「おじぃちゃん、来たよ~」と声をかけるところからいつも始まります。
花筒を集めて、枯れかけたお花を処分して、キレイに洗って
墓石もタオルで拭いて、周辺をお掃除して、新しいお花を入れて
お湯飲みも洗って家から持参したお水を注いで、お線香を供えます。
そして、まずは阿弥陀如来様に手を合わせます。
そして、ご先祖様に、亡父に・・・と順に手を合わせていくのです。
こうして元気に過ごせていることにお礼を言いながら。
お墓参りにも手順があるのかもしれないけれど、我が家は我流です
(お許しいただきましょ・・・)
父の墓前では、色々とお話してきます。
ただ、ここでは愚痴は出てこないのです。
嫌なことがあっても、辛いことがあったとしてなのです。
ココに来れば、その感情が「すぅ~」となだらかになっていく気がします。
何も言わなくても、お見通しで既に受け止めてもらっているのかもしれません。
毎夜、寝る前に手を合わせる仏壇でも、ココでも、
父の前に座るだけで、心が静かになるのです。
そして、本当はどうしたいのか・・とか、本当はどう思っているのか・・
そこに気づくことになります。
相変わらず、父に支えてもらってるワタシ。
(自他共に認めるファザコンなのもで・・・)
昨日は、手を合わせながら何故か涙が勝手に流れてきました。
淋しいとか、悲しいとか、苦しい涙じゃないのです。
色々なことがあるけれど、やらなくちゃいけないことはあるけれど
こうして元気にここに来れること、家族の誰もが無事過ごせていること
ソレもコレも、自分のチカラだけじゃなく、
お顔を見たこともないご先祖様から、身近な祖父や父へと脈々と受け継がれ、
育まれたモノの中で、守られていることに心からありがたいと感じたのです。
しようとすれば、何でもできる。
行こうとすれば、どこにだって行ける。
ようは、自分次第なんです。
なのに、色々と言い訳して“しないこと”を“できないこと”のように
正当化しようとする自分。
今、こうして生きていることが守られている証。
ならば、その人生に感謝して、したいこと、行きたいとこ、どう叶えるか?
ここに注力したいと思います。
諦めちゃダメ!
諦めちゃダメ!
絶対に、諦めちゃダメ!!
憧れの森瑤子さん訳のスカーレットの言葉から
”苦労は、その人が背負える分量だけ、神様が下さる。”
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