18の頃、私のバイブル的存在だったのが
その当時流行の先端を走っていた雑誌 “an・an”
高校生の私にはお金はないけど、夢があった。
そう、ソノan・anの影響を直撃状態で、『スタイリスト』になりたい!
an・anのファッションページは美しく、お洒落で、クラックラするほど素敵だった。
こんなコーディネートのできる人はどんな人なんだろう?
そこで知ったのが原由美子さん
高橋靖子さんもまたスタイリストの草分け的な存在。
私も、原由美子さんや高橋靖子さんのようになりたい~。
その頃の私はananを見ては、私ならこうするな・・とか、
このコーディネート好き♪とか、語りかけるかのように。
デザイナーの高田賢三氏の特集か何かで、
彼はセントジェームスのポーターシャツとスミスの白いワークパンツの
マリンスタイルで写っていたことがあった。
もぉ~、釘付け状態。
素敵・・・・。スミスの白いワークパンツは紺のステッチが施され
彼が羽織っていたネイビーブレザーにマッチしてカッコ良かった。
私なら・・・、カーハートの赤いステッチのワークパンツかな?
それから-、首元に赤を効かせたスカーフもするか?
バックは、ウプラのサックスのバックがいいかも?!
なんて、ワクワクしてた時期だった。
その後、“マリンルック”は一世を風靡した。
欲しくて、欲しくて、
お小遣いためて買ったカーハートのワークパンツ
そんなある夏の日
私はお小遣いとお年玉をためていたお金を握り締めて
東京行きの新幹線に乗り込んだ。
当然、父や母には内緒。
1.高校生のくせに、
2.女の子が、
3.ひとりで東京なんて、
4.増してや進学もせず
許されるはずがなかったから。
携帯もインターネットもない時代だから
東京について、とにかく聞きながら、
文化服装学院・バンタン研究所の入学資料を貰って帰った。
東京に一人で日帰りしたことは内緒にしたまま、
スタイリストになりたいから『東京に行きたい』と訴えた。
しかし、父は決して首を縦には振らなかった。
18歳の夏、夢はあえなく絶たれてしまう。
あの頃は、スタイリストと言う職業が走り出したばかりの頃。
あのまま家出してでもスタイリストになっていれば、
今頃は売れっ子?なんちゃって~。
人生には、もしもとか、こうしてたら、こうしてれば、なんてあり得ない。
それは十分判っているけど、
そんな夢を持ってワクワクした時期があったことを思い出したってこと。
ソレを思い出させてくれるコトがあったから。
ちょっと、ワクワクしてます。
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