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noririn☆

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September 7, 2006
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カテゴリ:今日の想い

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今日のブログがあなたのお心に届いたら、
愛の
ポチッとよろしくお願いいたします☆

今日は、私にとっての“子育て”について書こうと思います。

私は長女が生まれたときに思ったこと
これがすべてのスタートになっています。

何を思ったか・・・
「この子をこの世に送り出した責任。
つまり、いつ私が死んでも自分で生きていける子に育てること」

そのためには、自分のことは自分でできることや
人にものを頼むときには、お願いすること
黙っていても、自分の想いは絶対に叶わないこと失敗
自分にかけてもらっているお金を知ること賞金
などなどを知って欲しいと思ったのでした。

親にとってわが子の誕生は、“感動”と言う言葉じゃ足りないくらいの
身も心も震えるような、味わったことのない想いになります。
モチロン、そこには責任もついてきますが。
この子のためなら、命も惜しくはない・・・お化けどんなこともできると思ったのです。


だからこそ、この子が死ぬまで面倒見たり、支えたりが
できない現実があることに目を背けることができない。

「いつ私が死んでも一人で生きていける子にすること」
そして、ソレは日々の習慣から育まれるものだと思いました。


私がそう考えるようになったのは、
私と母との関係を切り離して考えるわけにはいきません。
母は父と結婚した当時は年若い姑・舅・小姑4人の大家族。
私が生まれても私を抱きしめたり、一緒に遊んだり、
世話をしたりすることができない状況がありました。涙ぽろり

初孫ゆえにみんなが可愛がってくれたとも言えますが、
母と過ごした記憶は殆どないのが実際でした。
そして、物心ついた頃には・・
父は多忙を極め、祖父が病気で寝込み、祖母はその世話と家事
叔父や叔母はそれぞれ結婚して自分の生活に入って行きました。

そう、私は取り残された・・・ような気になったのでした。
今更、母は私を可愛がるほどの余裕はなかったのです。
私は、何も出来ない子でした。ショック
自分の思っていることを伝えることや、
こうして欲しいと思っていることすら、自分でキャッチできてなかったのです。

だから、小学生の低学年はとても物静かな子でした。
空想したり、自分で物語を作って一人遊びをしたり、
近所の子達の中に混ぜてもらって遊ぶのがせいぜいだったように思います。

高学年になったときに、ある出来事があり、台風爆弾
それから「自分の思っていることは伝えなきゃ解ってもらえないんだ!」
と言うことを知りました。(当たり前のことをやっと知ったのでしたどくろ

その時の出来事は衝撃的で、
今、振り返ると私の生涯の転機だったのかも・・と思えるほど。
それについてはまたの機会に書こうと思いますが、
母は大勢に味方し、父が私の味方をしてくれました。
そこで、私は救われたのでした。
その時から、父は私の中で“月光仮面いなずま”のような存在になったのです。(古ッ)

親は子どもが困ったときに、味方をしてくれる人であって欲しい。
自分で何も出来ない人間に育てたら、子どもが不幸なんだ。
そこで、気づいたのがこの二つでした。

私は将来大人になっても、このことは絶対忘れない。
そう、思ったのでした。

“反面教師”と言う言葉がありますが、
母から学んだことは大きな影響があったと感じています。
そして、今も同居しているという現実を考えれば
まだまだ、学ばなければならないことがあると言うことなのでしょう・・・。(ふぅ~)

とは言え、愛に溢れる理想的な母親を目指そうと思ったか?
答えは『NO』です。

母を見ていて、自分の想いとは別の思惑で生きることはしたくないと思ったから。
そこが“理不尽な母”へとつながっていくんです。

今日はこの辺で・・またつづきを書きたいと思います。
長々とお付き合いありがとうございます♪




 






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Last updated  September 7, 2006 04:02:39 PM
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