その人は見るからに整った姿の人だった。
姿勢も、表情も、話される言葉も。
「逃げて、逃げ続けてきた人生だった」と話される表情は静かだった。
逃げ続けた人生・・・自分の弱さを知る人だと思った。
人はみな弱さを持っていると思う。
その弱さを知り、受け入れることこそが、強さなのかもしれない。
また、ある人は弱さを出せずに、弱さを認められずに強そうに振舞う。
表面的に強そうに振舞うから、表面的に弱い人を作る。
その関係性の中で、弱い人になってしまうと、弱い人を演じる。
本当の弱さじゃないところで、弱さを演じ続ける。
そして、本当の弱さに気づかないまま、弱さに溺れていく。
自分の弱さを知らないということは、如何に罪深いことだろうか。
強くなるために、「弱さ」を知るのではない。
本当の自分の弱さを知ることで、強くなれるということ。
弱さを知る人は、一人で生きることの難しさを知っている。
だから、真の意味で、人と関われるんだと思う。
強そうに振舞う人は、一人で生きていける顔をするから、
真の意味で人と関われずに、孤独をいつも背負っている。
強がっている自分がいる。
強がる自分に助けられることもある。
強そうに振舞う自分が滑稽に見えるときがある。
強そうに振舞う自分がいるから、弱い自分を知るのかもしれない。
片方だけではない。両方がコインの裏表のように存在する。
弱い自分もソレはそれでいい。
強がる自分も、ソレはそれでいい。
そう思えるとき、何かから一つ解放されるのかもしれない。