テーマ:自分を生きる(357)
カテゴリ:気づいたこと・学んだこと
わたしは、時々思い立って自分の身体のチェックをする。 何をするのかと言うと、 どこが疲れているか、 どこが強張っているか、 どこが弱っているか、 などなどと見ていくと、思わぬことにも気づく。 知らぬ間に青あざが出来てたり、 気づかない間に擦り傷があったり 肩こりかと思っていたけれど、腕だったり、 腰痛だと思っていたら、腹筋の方がヘロヘロだったり・・ 症状が出ているところに意識が行くもので、 ついついソコが患部だと思ってしまう。 だけど、ソコが痛むには、ソコが痛む理由があるのだ。 水面下の忍耐があり、耐え切れなくなったところで症状となって現われる。 症状となって出てくるまでに、どこかに些細な原因があり、 そこに負荷がかかり、その負荷にソコが耐えられなくなると 別のところで支えるなんてことがよくあるから。 自分のからだを探っていくと、本当に興味深いものだと気づく。 わたしは刻々と代わる私の体のことをどれだけわかっているのだろうか? 体感できる身体でさえこんな有様なのだから、心や思考となると・・もぉ。。 湧き起こっている表面的な見えやすい部分に翻弄されてしまっているのかもしれないと思った。 いま湧き起こる感情はどこから来たのか? 何を起源として湧き起こったのか? いま考えていることは、何から誘発されたのか? 湧き起こる感情や、思考に対応すべく知恵も工夫も寄せ集めるけれど、 いわゆる対処すること(前に進めること)はするけれど、 それが現われた源を探ることはあまりしていない。 いや、自分の中のことなのに、そんなことすら意識していないことに気づく。 出てきたもの、見えるところに囚われやすいものだと思った。
その理由(わけ)を知ることで、自分の思い込みや信じ込みを解放することにもなる。 思い込んでいることも信じ込んでいることは 疑うことすら思いつかないことが多いのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 16, 2008 12:11:58 AM
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