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noririn☆

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October 29, 2008
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昨日の朝の電話
スタッフのご親族に不幸があり、「欠勤」の連絡だった。

まだ20代の若い方が亡くなったとか。

詳しい事情はわからないけれど、ご親族の哀しみは察しても余りある。




「死は残されたものにのみ意味がある」と聞いたことがある。
その言葉の意味を私なりに考えてみたことがある。



それは、逝くものは、いくら若くとも、幼くとも、
今生の人生をまっとうして逝くということなんだろう。
いくら若くとも、幼くとも、何かの直前であれ、何かの直後であれ。


なので、哀しい出来事ではあるけれど、決して哀しい人ではない。

もう逢えない、聞けない、触れ合えないのが淋しく哀しいのだ。

残されたものの思いが哀しいのだ。

先に旅立った彼が悲しいのではなく、残された者が哀しいのだ。




そこを一緒にしてしまうと哀しみは中々癒えない。




わたしがそうだった。
父を亡くした後の数年間、幾度父を思い出して涙したことだろうか。

その度にわたしの心の中では、可哀想な父になっていた。
志は半ばで逝った無念の人になっていた。



けれど、それは私がそう思い込んだだけのこと。
増して娘の私がそう言うんだから、他人さんは同意するだろうし。
当然だけど、反論する意味もないし。



意識していないものの、画して父は「志半ばで逝った無念の人」になってしまっていたのだ。




そのことに気づくのに随分の時間を要した。
可哀想なのは父ではなく、父に頼りきっていたわたしだったのだと。










若きとて末をながきと思うなよ、無情の風は時を嫌わず



ご冥福を心よりお祈りいたします。








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Last updated  October 29, 2008 03:03:51 PM
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