カテゴリ:今日の想い
11月2日、母は誕生日を迎えた。
74回目の誕生日になる。 父が先に逝って、しばらくは父の思い出に浸っていたが、 今は「自分の人生を生きている」といったパワーに溢れている。 やっと、やっと、自分の人生を生きているって感じがする。 それにしても、母の時代の人は、 娘時代は親に従い、嫁いでは夫や婚家の親に従って生きるということが、当たり前の時代だったのだろうか。みんなそうなのだろうか。 母を見ていて何度も感じたのは、「楽しいのかな?」だった。 幼い頃、実際に母に問うたら「嫌な子・・・」と返事が返ってきた。 それが精一杯の答えだったのだろう。 いまならソレがわかる。 けれど、意味のわからなかった幼い私は「なんで?どーして?」と 何度も繰り返してしまって、余計に睨まれたのを覚えている。 母も父の仕事や日常生活を影に日向にとサポートしてきた半生で、 父が亡くなってからも祖母の存在に気を遣ってきたこの10年余りだった。 いまの母は多少の病気を抱えてはいるが、 一病息災とでも言えるのか、なんだかんだと言いつつも 病気と折り合いをつけて生きている気がしている。 普段は畑仕事に精を出し、遊びと言えば30年来の友達とのおしゃべり会 時々スーパー銭湯、ごくごくたまーに行く温泉旅行くらいのもの。 畑仕事・・・これは贅沢なものだと父はよく言っていた。 自家製の野菜が取れたてで食べられるのは何とありがたいことかと。 徒歩1分で畑に着く立地で、母の友人や私の友人たちの助力もあり 日常の野菜のほとんどを母の畑で賄えているのだから。 とは言え、母も畑ばかりではない。 お洒落には程遠いけれど、着るものは気にする。 料理好きとは言えないけれど、美味しいものを食べたいと拘る。 憎たらしいことを言うけれど、可愛いおばあちゃんになりたいと願っている。 わがままな、気ままな、母ではあるが自由奔放ではない。 と言うよりも、わたしの方がよっぽど自由奔放で、 母はこんな娘を置いてはうっかり死ねないと思っている節がある。 母と娘 父を挟んで永遠のライバルのようにぶつかり合ってきたけれど、 お互いの心の中の父はちょっと自分よりと思っているけど口には出さず、 年々お互いにまぁるくなり、母へのメッセージは毎年「死ぬまで長生きしてね」なのだ。 わたしが老いた母に望むのは、「死ぬまで長生きしてね」なのだ。 ソノ母の誕生日、ベージュに花柄のカシミアのカーディガンを贈った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 10, 2008 12:21:04 AM
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