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フェリアの「ひみつダイアリー」

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2007.01.05
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まともな大人ならば、誰しも「しょうもないこと」に煩わされたくないと思うものだ。
ところがそこから逃れることができないのもまた人生である。

たとえば、私が最近わずらわされていることのひとつに「母親とのかかわり」というのがある。

私の母親が特殊なのか、それとも私があまりに短気すぎるのかわからぬが、私は実にしばしば母親にうんざりする。

さらに私が長子・長女であり、一番近くに住んでおり、車の運転ができることが私の立場を「もっとも母親にとって使いやすい」ものとしており、そのことも私をイラつかせる。


手厳しいようだが、私は母親の病気は健康管理の甘さからくるものだったと思っている。
母はなまじ胃腸が丈夫で、その上、食い意地が張っていた。

そして、高度肥満→高血圧→糖尿病→糖尿病性腎症→慢性腎不全→人工透析、というルートをたどった。

丈夫な体に生まれついていたのだから、それを維持するのが人間の義務というものではないだろうか。
それを怠ったのは、明らかに本人の責任だ。


母の家は築30年の木造住宅だ。
リフォームを一度もしていないので、老朽化が進んでいる。
使い勝手も非常に悪い。冬の寒さなど、たいへんなものだ。
母はそのことについて不満を言う。

しかし私は思う。
「だったら、若いころから先々見通してリフォームしておけばよかったじゃんか!」


私の父は3年前に74歳で死去したが、70歳までサラリーマンをやった。
年金と会社からの報酬を合わせれば、毎年かなりの年収があったはずだ。
おそらく、少しでもお金を貯める才覚のある人だったら、ラクに家1軒建てるくらいの余力はあったろう。

それをしなかった(できなかった)のは、明らかに「能力不足」によるものである。
今になって何を嘆くのか。
全部、自分のしたことの結果ではないか。


私は今後、極力健康に留意して(難病持ちなのでかなり注意しなくてはいけないと思う)、心がけてお金も貯め、家が思うようにならないと文句言わずにすむようにし、子どもに期待せず、時期がきたらあっさり死にたいと思う。






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最終更新日  2007.01.05 08:10:28



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