カテゴリ:カテゴリ未分類
不幸な証拠。それは私の母親が常に立証してくれている。
私の母親は、とてつもないマイナス思考の人なのだ。 とりわけ不幸な状況に陥ると、いやもうその「悪意の解釈能力の発露」のすごいのなんのって! なんでもかんでもよくそこまで悪く受け取れるよと、ムスメながら感心する。 感心してるだけでなく、ガンガン怒るけどね、もちろん。 ハッピーなときというのは、世の中の人がみんな自分の味方をしてくれてる、みたいな気持ちになるものね。つか、そういう能天気なのは私だけでしょうか? ま、要するに「人の不幸は蜜の味」みたいなタイトルを思いつくということ自体、私は決してハッピーな状態ではないということだ。 楽天も早くミクシィみたいなシステムを導入してくれないかな。 誰に読まれているかわからないというのは落ち着かないものだ。 書きたいことはたんまりあるのだが、読んでくれている人を特定できない以上、それを実行するのはあまりにリスキーだし。 もうとっくにミクシィでも書いてるから、そっち一本にすればいいのだが・・・ それができないのは、画面がかわいくないから。それに尽きる。 私はやっぱり身の回りを「好みで固めたい」願望が強いのだろうね。 日記の背景画像だって、好きなのでなくちゃいやだわん。 でももしかしたら、たとえ顔が見えなくても、リスキーでも、やはり私は不特定多数に向けて何かを語りかけたいのかもしれぬ。 それも「本当に思っていること」をね。 ウソ言っても仕方ないしさ。人間、本当のことを言わなくては、生きている価値がないではないか。 ・・・あんまり正直すぎるのもどうかと思うけれども。 そのために誤解を生じたり(自分のことを書かれたと思われたり)、もしかしたら敵を作っているのかもしれないが。 が、ダメなのだ。 「無難」というのがどうしてもできない。 「無難で上品」というのがダメだ。 難があっても多少上品でなくても(下品すぎるのはいやだけど)、「面白い」ほうがいい。 ・・・面白くても人とトラブル起こしちゃ、なんにもならんけどね<自爆! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.05 21:49:25
|