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カテゴリ:家族の話
あと5日したら、San Diegoから日本に帰る。
母には内緒にしていて、驚かそうと思ったのに、 一年に数回しか出かけない母が、私が日本に到着する日に限って 同窓会でお出かけだということで、仕方なく日本に行くことを白状した。 12月の中頃に帰って来ると思っていた母は大喜びだった。 少しは夏の暑さ負けも治って元気が出てきたようで、安心した。 ここのところ何をしていたかと言うと、 母をアメリカに呼べたとして、ヴィザが切れた後に メキシコはどうかということになったので、参考までにと メキシコの知り合いのゲストハウスを見に行ったり、 今年5月に結婚した娘が、来年5月に結婚式をすると決めたので、 その時に着る娘のウエディングドレスをちくちくと縫っていた。 日本から帰ってくるのは、その頃になる可能性もあるので、 ドレスが決まらないと何も決まらないという、コーディネータの話で、 日本に行く前までに縫い上げるべく、ちくちくと縫っていたのだ。 本当は、来年帰ってきたときに、庭で野菜を育てるべく 庭の手入れもしたかったけれど、そこまでは手が回らなかった。 他にも掃除やら、主人の為に保存できる食事作りなど、 しておきたいことは山ほどあるけれど、とにかく、何をさておき、 ウエディングドレスは仕上げないといけない。 しかし、私は洋裁など習ったことはない。すべては独学だ。 考えてみれば、私は多くのことを独学で学んだなぁ~。 型紙はいつも自分で作るんだけれど、今回は型紙を作らずに 既製のものを使おうとして、結局余計手間がかかった。 洋裁をするなんて、何年ぶりだろう。 しかも私はプロではないから、足らない頭をひねりながら 想像力を働かして仮縫いしながら作るのである。 ドレスを作りながら、高校時代のことを思い出した。 家にはわりとお金があったはずだったけれど、 私がもらっていた一月のお小遣いは1000円で、 それで学校のノートから鉛筆、学校に通う靴まで買えと 継母に言われていた私は、学校の制服以外に洋服が欲しくて、 お小遣いをためて買ってきた本を見て、見よう見まねで型紙を作り、 布を買えるようになったら、洋服を縫った。 その当時は、何故洋服を買ってもらえないのだと不服に思ったものだけれど、 今考えてみると、実は有難い出来事だったという見本みたいだと思う。 そういうことがなかったら、きっと私は今娘のウエディングドレスを縫っていない。 とにかくどんなデザインが良いのかわからないからと、 ウエディングドレスを見に行き、娘に試着させた時 あまりにも嬉しそうな娘を見て買ってあげると言ったのに、 娘は"大変でなければ、お母さんに縫ってもらいたい”と言った。 試着したような美しいドレスは、どう考えても作れないと思うよ と言ったけれど、子供の頃からお母さんは洋服を縫ってくれたから 信頼していると煽てられ、ちくちくと縫うことにしたのである。 着物の打掛をドレスの上に着るので、 その下に着るドレスを縫って欲しいと言う。 (アメリカではお色直しがないので、パーティ用にドレスを下に着たいらしい) 日本にいれば常識はずれということになるのかもしれないが、 とにかく彼女の結婚式であるし、ここはアメリカで何でもあり~のだから、 それも、また面白いと私は白打掛の着物をほどいて縫うことにしたのである。 ところが、着物は柄あわせがあるのでデザインは限られるし、 布の幅は狭いし、ボリュームを出すために裏が張ってあるし、 本当に大変だった。 ある程度は仕上がったけれど、正直自分ではあまり納得出来ていない。 いや実は、ほとんど納得出来ていない。 プロが見れば、本当の出来損ないだ。いや、素人が見ても出来損ないだろう。 でも、お金を節約するために、縫ってくれと言ったのかな?と思っていた娘は お母さんが縫ってくれたと、大喜びしてくれた。 本当にありがたい。恵まれた私だと思う。 ”ここがね、ちょっとこうで、(云々)やり直ししたほうが良いかしら?” と言うと、家族全員が "どうせ、誰もそんな細かいところは見ないから大丈夫、 それって誰も気が付かないのに、自分だけが気にしているにきびのようなもんだ” と慰めてくれた。 後、仕上げの飾り(コレも自分で作る)をつければドレスは出来上がる。 日本に行くまでに仕上げるぞ~!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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