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札幌市内にも石庭があったのですね~~。 沖縄に石庭として、みなさまに開放してくださる 個人の方がいらっしゃいました ずいぶんと、たくさんのことを教えていただいた場所。 同じように札幌でも個人の所有で開放している所。 山を切り開きながらも、自然を傷つけない優しさがありました。 石、一つ一つに名前をつけていて 道もキレイにされていて、 ここの方の自然に対する愛情や愛しさをとても感じる。 だから、一歩足を踏み入れた瞬間 ふっと替わる「気」は優しさと愛に包まれて とっても「ホッと」させる穏やかさを持っていました。 まるで祭壇みたいなの。 意図してそうしていないのだけど。 「喜びと悲しみに希望を足して、共に創造する為に ここにあえて降り、 (昔ながらの)人と自然なる存在が互いに大切にしあって 共生しながら、創りあげる心があるところ」 そこにちょこんと、可愛い子が♪ シャイな感じでしょ?)^^( 滝の水も光る ずっとここにいたい。。。 滝の落ちる池には主さんが悠然と ゆっくりゆっく泳いでいました。 人と自然存在の尊厳と共生愛。 ここからは、心に対してちょっとコアなメッセージ。 祈りをする時 ずっと、昔。 人が神々と呼ぶ大きな存在を前にして この身がまるでガラスにでもなったかのように 身も心も思考も全て透明にさらけ出され見透かされている感覚を持ち、 その頃の私は、祈りに不必要な人としての自分勝手な煩悩や 日常の細かいこと、感情、あらゆるものを その存在の前では、外すということをしてきました。 それは自分の事を祈るわけではないから。 存在たちと一緒になって、働くアイテムとしての自分。 それは、もっともっと、遠い昔からそれをしてきたように 私自身が「知っている」感覚 透明になった瞬間が、本来の自分のようで。 私はそんな遠い記憶の感覚のおかげで 自分の心を楽にしてあげる方法や 素の自分になる瞬間を知ることが出来ています。 世を生きる中で、様々な感情を持ち、 ときに思考が???になって、 それらを元に戻す事が自然とできるようになっています。 皆が違ったパターンで必ず持つ、素に戻す方法。 そこに気付き、知るのは、やはり自分なのですが、 感情とかそういうのは、無理に自分から引き剥がす事は無理です。 引き剥がそうとすればするほど、それは強固になっていくもの。 自分の感情を知るところから、客観性が生まれ 自然にはがれて落ちてゆく行程があります。 まずは、自分の心を楽にする方法。 思考への理屈付けとかはいらなくて、 力が全部抜ける瞬間を見つける事。 自然界も一つだし、 そうね、瞑想とかする方もいるわね。。 特別な能力なんか、欲しないでね。 すでに持っているのだから。 今の自分が出来ることの最大は 自分の心を楽にしてあげること。 楽になった心は伝染して、この世界に穏やかさをもたらす。 穏やかさは、生命への優しさと愛を見出していきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 25, 2012 11:33:47 AM
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