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テーマ:徒然日記(23506)
カテゴリ:心からありがとう!
メキシコでインストラクターの仕事をするために
まずスペイン語を話せなければ、、、と マイクとガテマラのシェラに旅立ったのは2002年のこと。 マイクは私と知り合う前に ガテマラには一人で来たことがあり スペイン語の学校がメキシコよりも安くて充実している、、、ということで 二人でガテマラへ。 私はガテマラについての大した予備知識もなく行ってみたのですが ガテマラはとても寒くて 治安も悪く たくさんの問題を抱えている国でした。 事前にマンツーマンで教えてくれるスペイン語の学校を申し込んで行き 私たちのホストファミリーになってくれたのが ALICIAとWOTZBERYファミリーでした。 お二人はその当時で80歳。 それなのに、ALICIAはお家のこと、お料理などなどすべて元気にこなしていて ウオッツベリーはいつも明るく楽しく、とても素敵なお二人でした。 ウオッツベリーは以前に、MARIMBAという楽器をご兄弟グループで演奏していて CDも出していました。家には賞などが色々と飾られていて、ガテマラでは有名な人でした。 ウオッツベリーは肺の調子がよくなくて、たまに酸素ボンベを使わなくてはいけないときもありましたが、それ以外はとても元気! たとえ、調子が優れなくても、人前ではいつも明るく冗談を言ったりしていた彼の姿に何度も心を打たれました スペイン語を何とか話したい私たちに対して いつも時間をとってくれて 今日の学校はどうだった? どこに行ったの? などなど色々と一緒に話してくれたのでした その後、スペイン語学校を変えることになったのですが それでも私たちはこのファミリーが大好きで ガテマラにいる間はずっとそのファミリーのお家にステイさせてもらっていました。 毎日のご飯はビーンズとかバナナをいためたもの、トテイリャなど、、。 アリシアが毎日心を込めて作ってくれました。 質素な食生活のガテマラの人々にとってお肉料理やピザなどは本当にご馳走なのでした。 いつものお礼にと、お肉を買って日本のカレーを皆に作ったのですが、本当にとっても喜んでくださってこちらがびっくりしてしまったほどでした。 80歳のALICIAさんはすっごくお元気! 私も台所でお手伝いをしながら、ガテマラのお料理を教えてもらったのでした。 ウオッツベリーとマイク。 マイクのことをスペイン語でMIGUEL、MIGUELと元気いっぱいに呼んだりして 私たちのことをとてもかわいがってくれました。 ガテマラは治安も悪くて、盗難も多いらしく、住みやすいか、、といわれると 決してそう、、とはいえない国だと思いました。 ですが、出会えた人々は本当に素敵で 与えられた環境の中でたくましく楽しく、過ごしている姿には感動し そして素敵なファミリーにめぐり合えたからこそ滞在が本当に楽しいものになりました また私は学校が終わってから 小学校でスペイン語で英語を教える、、、という何ともチャレンジャーな ボランテイアまでしていました。 先生の数が足りずに、一人の先生が様々な科目を、様々な学年の子供たちに一緒に教えているのが現状でした。 私は50人以上のクラスを担当したのですが、 私の習いたてのスペイン語についてきてくれて 一生懸命英語を学ぼう、、としてくれた生徒たちに感動しました そして、学校でのフェステイバルへの招待状を私にもくださり、参加させていただきました。 フェステイバルの準備風景。 フェステイバル会場には、こんな風にみんなで移動して、私にとってはとても貴重な経験になりました。すごくわくわくしたのを覚えています。 私の生徒さん これは、ガテマラでのマーケットの様子。 生きるのに精一杯。 それだからこそ、笑いあうこと 家族を大切にすること 助け合うこと チャンスを精一杯生かすこと そういうことの大切さをガテマラの人々は教えてくれたように思います。 ガテマラ滞在を終えて、ALICIAとウオッツベリーのお家を出るときには 私は寂しくて悲しくて マイクが横で僕が泣かしたみたいじゃないか、、、といっている中 バスの中で涙が止まらずに大変だったのでした 今でもたまに ウオッツベリー兄弟の演奏するMARIMBAの音色を聞きながら どんなときも、明るく楽しく過ごすことの大切さを教えてくれた彼のことを なつかしく思い出すのでした。 お読みくださりありがとうございます。 次の日記ではキューバの人々との出会いをご紹介できたら、、、と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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