|
カテゴリ:天候、自然,信州の歳時記・風物詩など
長野県ランキング 人気blogランキングへ 長野は里にも結構雪が降りました。豪雪地の飯山などは1M近くの積雪のようです。日本列島が冷凍庫に入ってしまったような寒さですね。風邪などひかず皆様がんばりましょう。小生は、仕事が少し一段落し、アップしております。 マイ 信州アーカイブは街道編 信濃の国 拙書 信州の街道 長野県の道の駅 信州の峠 街道と関係が深い峠も信州には多いんですね。 フリーPにアップしておりますのでよければご覧くださいね。 信州・信濃の街道は調べると山岳地帯であっても、多くあるんですね。 現在は、国道・県道・高速道になり、俤を残す街道が多いです。特に、中山道の馬籠宿、妻籠宿、奈良井宿や北国街道の海野宿などは、保存されて観光客も多いようです。 ・東山道 豊葦原瑞穂の国 日本。いにしえには、官道として朝廷の命により、信濃の国には、東山道がありました。また、上田には、信濃国分寺があり、東国の蝦夷へのとりでのような位置づけでもあったようです。当時から碓氷峠などは峠越えで利用されてもいました。 信濃国分寺三重の塔 重文 頼朝の命で作られたとあります。 ・中山道は、江戸時代家康の命で作られた日光街道、奥州街道、東海道、甲州街道とともに五街道のひとつ。京都三条大橋から江戸日本橋まで六十九次のロングラン。いわば国道で盛んに往来があった。特に、東海道は大井川など川止めや箱根の難所もあり、女性陣には中山道が人気あったといわれる。NHKの道中でござるではありませんが、時代を感じます。 特に、島崎藤村ゆかりの馬籠などに代表されるように今でも人気が高い街道で宿場町も風情がありますね。小生は、奈良井宿に一泊したことあるだけですが、江戸時代にタイムスリップしたような記憶があります。藤村「夜明け前」にもあるように木曾路はすべて山の中の通り、木曾に限らず信州の街道は江戸や明治の頃は命がけの旅であり、昔の人の健脚には驚くばかりです。 広重・英泉の浮世絵でも描かれている。木曾街道六十九次 情緒ありますね。 ・北国街道海野宿 江戸時代に重要な宿場町で明治以降は養蚕も盛んでうだつとともに養蚕の気抜けという風通しをよくする為のロフトみたいなのが、一部に保存されています。北国街道は信濃追分で分去れになり中山道とのいわばジャンクションのような宿で江戸時代以降非常にさかえたとあります。 海野宿で見つけた牡丹。昔の旅人も見たとでしょうか?旅先での草木は疲れを癒してくれますね。 北国街道は善光寺街道との篠ノ井追分(下の写真は篠ノ井追分宿跡) で合流し、善光寺に至り、越後まで。善光寺参詣や佐渡金山、加賀藩など参勤交代の大名行列などのの重要なアクセス道路であったようです。 ・中山道から洗馬の追分から松本経由で篠ノ井追分で北国街道と合流する善光寺街道があった。松本と長野を結ぶ重要な街道でした。 松本城 善光寺街道はお城の東側を通過。 姨捨や麻績では、中秋の名月を愛で、旅人の情緒も感じられたことでしょう。 信州の街道にもこのような道祖神が随所に見られます。庚申塔や石仏や馬頭観音など旅の安全祈願で今も現存しておりますね。どうもお疲れ様です。 ・信州・信濃は海なし国なので塩の道が多かった。特に、千国街道は、塩の道として全国的に有名です。信玄・謙信の「敵に塩を送る」美談でもよく知られる。越後の糸魚川では、塩作りも盛んでした。 ・鰤街道としては岡谷女工哀史で知られる野麦街道が飛騨からアクセスがあり、富山の寒鰤運搬でよく使用された。 ・中央構造線の秋葉街道は駿河の秋葉神社への参詣道として利用されていたし、伊那街道(後に三州街道)は、南信から駿河や遠州への重要なアクセスであり、お茶壷道中、塩の道などで盛況を呈していた。伝馬、中馬も盛んであった。現在、飯田には伊那谷道中があり、同時の歴史もうかがえるようですね。 ・佐久から甲州へは、信玄軍用道路として佐久甲州街道があり、八ヶ岳を望むたびになった。 ・その他、信州には谷街道 谷街道の川田宿本陣今も現存。 大笹街道(油街道) 大笹街道は、須坂町豪商田中本家が江戸で菜種油運搬拠点として盛んでした。 富倉街道、大町街道、保福寺街道、祢津街道、甲州街道(諏訪まで)や牛道の三原道、針の木道、権兵衛街道草津街道、山田街道等々ありました。 トピックス ●トヨタカップ 今夜サンパウロVSアルイテハド アジア代表がどうか? ●女子フィギア グランプリファイナル 浅田選手優勝できるか?個人的には、トリノに何とか出場できないかな? 凄い戦いになりそうですね。ガンバレニッポン! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|