14日は、Googleロゴが「グスタフ クリムト生誕150周年」バージョンになっていましたね。
グスタフ・クリムト氏は(Gustav Klimt, 1862年7月14日~1918年2月6日)
帝政オーストリアの画家で
1862年 ウィーン郊外・バウムガルテンに生まれました。
7人兄弟の第2子。
父エルンスト氏は、ボヘミア出身の彫版師。
小学校で学んだ後、1876年に博物館付属工芸学校に入学。
後に弟のエルンスト氏とゲオルク氏もこの学校に学び
それぞれ彫刻師・彫金師となって、クリムト氏の作品を飾る
額の設計を行ったそうです。
卒業後に3人は芸術家商会を設立。
劇場装飾を中心とした仕事で、各地に派遣されるようになり
仕事は順調。
1886年から請け負ったウィーンの「ブルク劇場」の装飾の仕事が評価され
後に「金功労十字賞」を授与されています。
◆代表作◆
『音楽』〔1895年、ノイエ・ピナコテーク)
『パラス・アテナ』(1898年)
『ベートーヴェン・フリーズ』(1901年 - 1902年、セセッション館)
『人生は戦いなり(黄金の騎士)』
日本の美術館が所蔵する数少ないクリムトの絵画の1つ。
トヨタ自動車の寄付金により約17.7億円で購入(1903年、愛知県美術館)
※こちらで、詳細と画像をご覧下さい→名画デスクトップ壁紙美術館
『マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像』
(1905年、ノイエ・ピナコテーク)
『生命の樹』(1905年 - 1909年、ストックレー邸のフリーズ)
『接吻』(1907年 - 1908年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館)
『ダナエ』(1907年 - 1908年、個人蔵)
『オイゲニア・プリマフェージの肖像』(1913年 - 1914年、豊田市美術館)
◆作家解説◆
1862 ウィ-ン郊外のバウムガルテンに生まれる
1876 オーストリア工芸・産業美術館付属の工芸美術学校に奨学金を得て入学
1894 ウィーン大学講堂の装飾壁画の依頼を文化教育省より受ける
(依頼者が意図したテーマに反したため論争となり、後に受託を撤回。)
1897 ウィーン分離派を結成、初代会長となる
(保守的なウィーン美術家組合に反し結成。モダンデザインの成立に
大きな役割を果たした。)
1902 第14回分離派展のために『ベートーヴェン・フリーズ』を制作
1903 第18回ウィーン分離派展で回顧展示が行われる。
(この展覧会で出品された『人生は戦いなり(黄金の騎士)』は、当時の
クリムトが置かれた状況を映し出すといわれている。)
1903 ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザー等とともにウィーン工房を設立
(美術の商業化・写実派と様式派による対立・国からの補助金停止などが
重なり、クリムト氏とその同士は1905年に分離派を脱退。)
1905 ウィーン分離派を脱退、翌年オーストリア美術家連盟を結成
1908 「クンスト・シャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる
1917 ウィーンおよびミュンヘンの美術アカデミーが、クリムトを名誉会長に迎える
1918 ウィーンで、脳梗塞と肺炎(スペインかぜの症状悪化により発病)により死去
緻密かつ大胆な表現の絵に、繊細な装丁がとても合っていて
絶妙なコントラストを醸し出しています。
カレンダーを始め、多くの商品にクリムト氏の作品が使われるのも
分かる気がしますね。
個人的には「音楽」が好みです。
こういうきっかけでもなければ、余り深く知ることの無かったかも。
ホリデー・ロゴ、侮れないですね。
今後のホリデーロゴが楽しみ!