『異国にて』ヘミングウェイ/御挨拶に代えて
In the fall the war was always there,but we did not go to it anymore. It was cold in the fall in Milan and the dark came very early.Then the electric lights came on,and it was pleasant along the streets looking in the windows.There was much game hanging outside the shops,and the snow powdered in the fur of the foxes and the wind blew their tails.The deer hung stiff and heavy and empty,and small birds blew in the wind and the wind turned their feathers.It was a cold fall and the wind came down from the mountains.(In Another Country) 秋には戦闘が切れ目なくつづいていたが、ぼくらはもう前線にはいかなかった。秋のミラノは寒く、日が暮れるのが実に早い。すると電灯がともされて、ウィンドウを覗きながら大通りを歩くのが楽しくなる。店の前には猟の獲物がたくさんぶらさがっていた。狐の皮に雪がこびりつき、その尻尾が風に吹かれていた。鹿は硬直して、ずっしりと、虚ろにぶらさがっていた。小鳥たちも風に吹きさらされ、羽毛が逆立っていた。いかにも寒い秋。山から風が吹き下ろしていた。(『異国にて』高見浩=訳『ヘミングウェイ全短編1』新潮文庫より) みなさん初めまして。 今日からこのブログに、日々の読書の中で心に留まった断片を集めていきたい、と、そんな風に思っています。『言葉の落ち穂拾い』とでも言ったところでしょうか。 小説家の保坂和志さんが、ある著書の中でこんなことを書いています。 私たちの言葉や美意識、価値観をつくっているのは、文学と哲学と自然科学だ。その三つはどれも必要なものだけれど、どれが根本かと言えば、文学だと私は思う。(『書きあぐねている人のための小説入門』草思社) 私もこの考えに同感です。私たちは、生涯を通じて、世界のありとあらゆることを感受し、表現していこうとします。そして、それを可能にしてくれるのは、唯一言葉によって、なのだと思います。ある時にはそれは、必ずしも美しい断片とは限らないかも知れません。あるいは、文学ではなく、映画や、音楽や、日常で交わされるお喋りの中に見出されるかも知れません。 今日は、みなさんへのご挨拶に代えて、ヘミングウェイの短編『異国にて』の冒頭部分を拾ってきました。今は四月ですが、やがて五月がやって来ます。どういうわけか、この季節になると、私はヘミングウェイを読み返したくなってくるのです。私はただ拾い集めてくるだけですが、もし、その断片が、みなさんの生活に新しい美意識、価値観を生み出す切っ掛けとなれば、これほど喜ばしく、愉しいことはないと思っています。 毎日更新、という訳にはいかないかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。