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カテゴリ:歴史・史跡
今日は仕事帰りに久しぶりに中国人の経営する中華料理店「小閣楼」に足を運んでみました。到着したのは20時近くではありましたが、日中関係悪化の影響もあるのかお客さんは少なく窓際の席に通してもらえました。
メニューの中に「扣肉飯」があったので、「梅菜扣肉飯」のことだと思って頼んでみたのですが・・・、予想に反して普通の豚の角煮のあんかけ御飯でした。梅菜扣肉は広東省(恵州)を代表する美味しい料理で、中国駐在時代は本当によく食べていました。あの塩漬けのカラシ菜がとても懐かしいです。どこかでまた食べたいのですが・・・、今FKDインターパークでやっている中華街イベントでも出していないでしょうね・・・。 話を蔵の街の話題に戻します。 ↑栃木市役所別館のすぐ脇に、栃木県議会発祥の地の碑がありました。明治4年(1871年)廃藩置県の後、下野国は栃木県と宇都宮県に分かれ、次いで明治6年栃木県は宇都宮県を併合し、この地に栃木県庁が置かれ、栃木町は政治・経済・文化の中心として栄えたそうです。 ↑この場所には写真のような幅約6mの堀が存在しています。東西約246m、南北約315mの矩形の堀がめぐらされています。 ↑明治17年に県令三浦通庸(みちつね)が強引に県庁を宇都宮へ移してしまったようですが、件名は栃木県としてそのまま残ったそうです。 ↑巴波川との間には運河が作られ、敷地内にはこの写真のような荷揚げ場が設けられました。このような例は他にないそうです。 ↑巴波川に掛かる橋から下を眺めると鯉が悠々と泳いでいました。川の水、かなり綺麗なんですよね。これが栃木県の良いところです。私の実家の神奈川の川の水はかなり濁っていますからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.21 23:23:37
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