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カテゴリ:公園・施設
ここ最近、私の会社のある清原工業団地で団地内の各企業対抗野球大会が開催されています。今日はその大会の最終日。会社帰りにちらっと寄って見てみましたが、やっぱり広い球場でナイターというのは気分が良いですね。気候も丁度よくて暫し野球観戦をしてしまいました。
先日知ったのですが、この清原球場、あのもしドラの映画で使われたそうです。本当でしょうか?この映画、後日DVDを借りて見てみようと思います。 余談はこれくらいにしまして、今日は屋台のまち中央公園のつづきと川上澄生美術館を紹介します。 ↑「彫刻屋台展示館」には中2階があって、見事な屋台を上から眺めることが出来るようになっています。彫刻をすぐ近くから眺められるのでとても印象的でした。 鹿沼の屋台は、全面が彫刻のみによって飾られているのが特徴で、鬼板(おにいた)や懸魚(げぎょ)と言った正面メインの飾りには竜や唐獅子(からじし)などの霊獣(れいじゅう)、障子回りには花鳥、車隠し(くるまかく)には波といった題材が多く見られます。 ↑こちらは昨日も紹介した鳳凰ですが、その下に小鳥達がいてとっても手が込んでいますね! ↑鹿沼ぶっつけ秋祭りですが、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。今宮神社の例大祭として旧市内の各所で行われ、江戸時代の粋を受けついだ見事な彫刻を配した屋台を引き回します。 土曜日は、午後1時ごろから彫刻屋台が今宮神社の境内への「繰り込み」を行います。夕方になると彫刻屋台は一斉に提灯に灯をともし、自分の町内へと戻る「繰り出し」を行います。 日曜日は、市街地を彫刻屋台が巡回パレードします。両日とも道路の交差点で3~7台の屋台が向かい合って行う「ぶっつけ」と呼ばれるお囃子の競演が見ものだそうです。今年は見てみたいですね。 ↑鹿沼の屋台見学の後は、近くにある鹿沼市立の川上澄生美術館に行ってきました。この美術館は、鹿沼市出身で川上澄生の教え子でもあった故長谷川勝三郎氏の2000点にも及ぶコレクション提供により1992年に開館しました。 ↑私が訪れた6月末は丁度川上澄生の東京、横浜、宇都宮の風景を表した版画展が開催されていました。ここで川上澄生さんの紹介を・・・。 川上澄生は、1895年横浜に生を受け3歳のときに一家は東京へ移り住みます。初めて木版画を制作したのは1912年のことで、木下杢太郎の戯曲『和泉屋染物店』の木版刷りの口絵を見て、見様見真似で制作したそうです。 その後1915年、澄生が20歳のときに母小繁が亡くなり、澄生は一ヶ月間学校を休むほど落胆しました。そんなときに父親の勧めでカナダ・ヴィクトリアへ渡り、4ヶ月間カナダで過ごした後、職を求めてアラスカへ。アラスカでは鮭缶詰工場の人夫として働きますが、1918年、弟和四郎危篤との知らせを受け急遽帰国します。 澄生は帰国すると、父から和四郎が亡くなったことを知らされます。帰国後の澄生は看板の図案を描いたり、商店での仕事を経て、1921年栃木県立宇都宮中学校(現 宇都宮高等学校)の教師となり、昼間は英語の先生、夕方は野球部の指導をすることになりました。本格的な木版画の制作は、この頃から始まったそうです。 今回の美術鑑賞は版画でしたが、昔取った杵柄、また絵を画きたくなってきました。でも油絵は部屋がテレピン油で臭くなるし・・・。ということでアクリル画材を買ってきました。時間あるときに宇都宮の風景でも描いていこうかと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.25 22:30:42
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