|
カテゴリ:サッカー関連
サッカーファンの皆さんなら知っているとは思いますが、知らない人のために説明すると、ドーハの悲劇(ドーハのひげき)は、1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの試合(1994年FIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア地区最終予選の日本代表最終戦)において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表チームの同点ゴールが入り、日本の予選敗退が決まったことを指す日本での通称である。この試合の結果、韓国代表が本大会出場を決めたため、韓国では「ドーハの奇跡」と呼ばれる。もっと詳しく知りたければここへどうぞ。
今頃なぜこのことについて書こうかと思ったのは特にありませんが最近知ったことがあるためです。 この試合の相手はイラクだったわけですが、イラクの選手にとっては日本よりひどいことを味わったのです。 当時のイラクの大統領はフセインでした。そしてスポーツを統治していたのはその息子のウダイでした。このころのウダイはこのW杯予選に対して 「勝てば褒美、引き分ければ牢獄、負ければもっとひどいことが待っている」 といっていたそうです。その恐怖により代表辞退者も続出するような事態になるほどでした。当然イラクの選手は一生懸命になったわけです。そして日本戦での同点ゴールがありました。イラクの選手は事前に「日本だけには負けるなよ」といわれていたそうで、負けたときにはよほどひどい仕打ちを受けていたでしょう。イラクの選手にとっては文字通り命を懸けた戦いでした。 この試合で引き分けたあと、監督は解任、投獄、試合中に自宅に砲弾を打ちこまれるなどを受け、また、日本に対して同点ゴールを決めた選手は、海外移籍の話がありましたがそれもウダイの一言によって消され、ボーナス剥奪、投獄という目にあったそうです。 日本がドーハの悲劇で悲しんだ裏側ではこんなことがあったらしいです。それにしてもこの同点ゴールが決められたときの中山(たぶん)がベンチでうわーって感じで倒れていく姿を今でも覚えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.25 15:58:02
コメント(0) | コメントを書く |
|