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私と猫と編み日記-幸せな女と思われたい-

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coyote24

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Jul 25, 2008
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カテゴリ:普通の日記
インディー・ジョーンズ、見に行ってきました。
もう、4作目を撮ってるらしいってウワサを聞いて以来
行きたいー行かなきゃーって思ってた。

だってインディー聞いたら
合言葉のように、ジョーンズって答えるし、
自然にテーマソングを伴奏付きで口ずさむくらい
夢中になった男の一人ですもん。

私は、映画館に向かう間、
ワクワクしながらも、子供時代を思い出していた。

3作目のインディージョーンズ-最後の聖戦-を
見に行ったのは、小学2年の時で(多分)、
父と姉と私の3人で新宿の映画館を訪れた。

私の父はとても頑固で、厳格な人だった。
当時は、父もまだ若く、体力もあって、
とにかく口はもちろん出るけど、何よりも真っ先に手が出た。

正直、怖かった。
何度もチビった。
時には、お尻に無数のモミジ(もっと大きいけど)マークが付くことがあった。
本で殴られ、顔がパンパンに腫れたこともあった。
何時間も玄関の前に立たされたこともあった。
とにかく、殴られた。
新聞を踏んでは殴られ
本を開いたまま伏せたら殴られ
言葉遣いで殴られ
体温計を壊せば殴られ
ピアノがヘタクソだと椅子から突き飛ばされ
数え上げれば切がないほど、とにかく怒られ殴られた。
泣いては殴られまた泣いて。
私の子供時代は真っ暗だった。
私はとにかく泣いて、チビった。

今となれば、それは、父の愛情であったのだと思う。
若いが故、情熱も持っていて
自分の子供に対して、「こうしたい!」という思いを
強く持っていたのだと思う。
父なりの、一生懸命な躾だったのだと思う。

やり方は極端で間違っていたのかも知れないけれど
私は、大人になって、父を責めたことはない。

だって、その厳しい躾に
今、私達は何度も助けられていることがあるのだから。

だけど、子供にそんな愛情なんてものが分かるはずもなく、
とにかく怖かった。

もちろん、父はいつもいつも怒っていたわけではなく
怒って殴った後は、優しかった。
きっと、毎回、後悔していたのだと思う。
殴ったことに対して。
思い起こしてみれば、
理由もなく怒られたり、殴られるなんてことは1度もなかった。

ただ、父は子供を子供と見ることが出来ず、
子供故の失礼さや、ワンパクを認めることが出来なかったのだろう。

それでも、必要なものは、
決して裕福ではなかったはずなのに
一番いいものを持たせてくれようとした。

出張に出れば、必ずお土産を買ってきた。

誕生日やクリスマスには
いつも、私達が気に入るものを探して買ってきてくれた。

ノロマで太っていた当時の私は、いじめの対象になることが多く
そのたびに、父は目を三角にして、私を庇ってくれた。

だけど、私達は父が怖かった。
とにかく怖くて、二十歳過ぎる頃まで
まともに口も利けないくらい、怖かった。

そうなれば、当然私達は母にべったりだった。

そんな中、妹が産まれた。

当然、母は今までのように、私達に構うことは出来なくなった。

私達は必然的に、父と過ごす時間が多くなった。
私は、苦痛だった。
つうか、それだけで泣きそうだった。
父は人の気持ちに敏感な人だから
きっと、私のそんな気持ちに気が付いていたのだろうけど
私をスーパーへ連れて行ったりした。

私がいつも母にくっついて、スーパーに行くのが好きだったからだと思う。
普段、男子厨房に入るべからずの父が
スーパーなんて行った事があるはずもなく、右も左も分からず、
私に「お母さんはいつも、何買ってる?」とか「何が食べたい?」
なんて聞いてくるんだけども
私は、もうね、首を縦か横かに振るしかできなかった。
いつもなら、そんなはっきりしない私を叱る父なのだけど
その時は、怒るどころか、ニコニコしていたのを覚えている。
妹が産まれたのが嬉しかったのかもしれない。
嫌な気持ちを堪えて、自分に付いてきている私をかわいそうだと思ったのかもしれない。

それから少しして、
何故だか、父は姉と私を映画に連れて行くと言い出した。

私はもちろん憂鬱だった。
来ないと分かっているのに、
「お母さんはくるの?」と何度も聞いた。

その頃、埼玉に住んでいた私達が東京に出るなんて事は
1大イベントであった。
いつもなら、はしゃいで母の後を付いていくのに
その日は、重たい気持ちを抱えながら
父の後を付いて行った。
新宿までの道のりが長かった。
何を話したらいいのか分からなかった。
電車の中で、粗相があって、殴られでもしないかと不安だった。

ほとんど会話を交わすことのない私達が到着した先は
忘れもしない「新宿プラザ劇場」だった。
今までに見たこともない、大きな映画館だった。

ここだよと言われ、映画の看板を見上げた。
それが「インディージョーンズ -最後の聖戦-」だった。

え・・・これ、見るの?って思った。
このおじさんたち、誰?って。(ショーンコネリーとハリソンフォードだっつーの!)

だって、その隣の映画館では、
「魔女の宅急便」が上映されていた。


父に、「あっちが見たいのか!?」と言われ
私は、図星な訳だけど、
もちろん、父にそんな事を言えるはずがなく
今、看板を見て覚えたてで
「”インディージョンズ”が見たい」と小さい声で言った。

中に入って、父はジュースと母は絶対買ってくれないスナック菓子を買ってくれた。
私は、映画よりも、そのスナック菓子に夢中だった。
いよいよ本編が始まっても、スナック菓子をひたすら食べていた。
父に怒られないように、こっそりこっそり。

30分もした頃、私はスナック菓子の事なんかどうでもよくなった。
父が怖いという気持ちも忘れた。

インディーに夢中だった。

インディーと一緒に拳を握り締め、手に汗をかき、
切羽詰まり、顔を歪め、ショーンコネリーの心配をした。

映画が終わり
隣に座っている父に
「面白かったか?」と聞かれ、
私はいつになく、すばやく、笑顔で「うん」と答えたのを覚えている。

その後、中村屋でカレーを食べ
クリームソーダーから泡が溢れた。
私は即座に父の顔色を伺ったが、
その日は、終始、父は笑っていた。

父はあの時の事を覚えてるいるかどうかは分からない。

2度の病気で、すっかり気が弱くなってしまった父は
短気なところは変わらないけれど
もう、手は出なくなっている。
時々、目を三角にして怒鳴ることはあるけれど
昔ほどの迫力はない。
私は、丸くなったなーと思う半面、
時々無償に悲しくなる時がある。

私は、今でも新宿プラザ劇場に行っては
父と行ったインディージョーンズを思い出し
インディージョンズを見ては当時の父を思い出し
クリームソーダーを飲めば、あの頃の気持ちを思い出す。

この思い出はきっと一生、私は忘れることはない。
そして、いつか父がいなくなっても
私は、この思い出を思い起こすとき、
父を思ってしょっぱい気持ちになるのだろう。

なんて、ちょっと胸がきゅんとなりながら
渋谷に到着し、
チケットを買い、
映画が始まりました。


えっと。

うん。やっぱ、インディーは面白い。
まあ、やっぱ歳は取ったなーって思ったけど
すっごく頑張ってたし。
うん。

でもさ、最後のあれは・・・・

えっと。




大きい声じゃ言えないけど、
最後、あれでいいの?


え?あ・・・いいの?

あ・・・・・。。。





思い出は億千万。

























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Last updated  Jul 25, 2008 04:23:54 PM
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