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3年ほど前の「道元で試してみよう」という記事で、「正法眼蔵」の「現成公案」の巻から一節を現代語に訳してみた。「正法眼蔵」についてほとんど何も知らなかったので、頼住光子氏の著作を参考にした。
その後、「現成公案」の訳をいくつか眼にして、その解釈が一様でないことを知った。手持ちのものとプレビューのできる電子本から、いくつか紹介してみよう(書籍情報は<参考>にまとめた)。まず原文と振り仮名(増谷文雄による)を載せる、便宜的に文章に番号を付けさらに問題となる部分に下線を引いておく。 1.諸法(しょほう)の仏法なる時節、すなはち迷悟(めいご)あり修行(しゅぎょう)あり、生(しょう)あり死あり、諸仏あり衆生(しゅじょう)あり。次に、手持ちの本とプレビューで読むことのできた本から、各文章の下線部分の訳を列挙する。 1. 諸法の仏法なる時節(すなはち迷悟あり修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり) (増谷文雄)もろもろのことどもを仏法にあてていうとき、・・・ (奥村正博)すべての法が仏法である場合に、・・・ (ひろさちや)われわれが仏教を学ぼうとして現実世界を眺めるなら、・・・ (頼住光子)諸の事物事象が仏法上におけるそれとして把握される時節には、・・・ (Tanahashi)As all things are buddha dharma、・・・ 2. 万法ともにわれにあらざる時節(まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし) (増谷文雄)よろずのことどものいまだ我にかかわらぬ時には、・・・ (奥村正博)万法が(固定された)自己なしでいる場合、・・・ (ひろさちや)ところが、このちっぽけな自己、自我意識を捨ててしまったとき、・・・ (頼住光子)万法すべてに「我」(自性)がない時節、・・・ (Tanahashi)As myriad things are without an abiding self、・・・ 3. 仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに(生滅あり、迷悟あり、生仏あり) (増谷文雄)だが仏道はもとより世間の常軌をはるかに超えたものであるから、・・・ (奥村正博)仏道はそもそも豊かさと乏しさ(の二分法)を超越しているので、・・・ (ひろさちや)仏道を歩むということは、どこまで到達すれば合格、そうでなければ不合格というようなものではないのだが、それでもやはり歩んでいるときには、・・・ (頼住光子)仏道とは、本来、多い少ないといったような二元対立的な分節化を遥に超え出ているものである。そして、このような二元対立を超えた無分節を源としてこそ、二元対立的な・・・ (Tanahashi)The buddha way, in essence, is leaping clear of abundance and lack; thus、・・・ 4. しかもかくのごとくなりといへども(華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり) (増谷文雄)[衆生・生仏があっても]なおかつ、・・・と知る (奥村正博)(プレビュー可能部分に訳なし) (ひろさちや)要するに、われわれは・・・それはそれでいいのだ。それを変えることなんてできやしない (頼住光子)しかも、このようにその源を無分節にもつとはいうものの、我々の眼前では・・・ (Tanahashi)Yet ・・・ 参考 <問題の箇所の訳に使った文献> 増谷文雄 「正法眼蔵」(講談社学術文庫、2004年、底本は1973年) 奥村正博 Realizing Genjokoan(和訳:「現成公按」を現成する: 『正法眼蔵』を開く鍵」、宮川敬之訳、春秋社、2021年) ひろさちや 「新訳:正法眼蔵 迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある」(PHP研究所、2013年) 頼住光子 「道元における『さとり』と修行:『正法眼蔵』『現成公案』巻をてがかりとして」(神田外語大学日本研究所紀要、2009年) Tanahashi, Kazuaki(棚橋一晃)et al., Treasury of the True Dharma Eye, Zen Master Dogen's Shobo Genzo, 2010 San Fracisco Zen Center. なおTanahashiの訳は、1985年に出版されたMoon in a Dewdrop: Writings of Zen Master Dogen (Tanahashi, et al.)に収録されているものとほぼ同じ。 <その他の参考文献> 田上大秀 「仏陀のいいたかったこと」(講談社学術文庫、2000年、底本は1983年) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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