Welcome to cozy house
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昨日、パパは病院へ行って来ました。経過は順調のようで、少し薬の用量が減ったようです。パパは先月、大動脈弁閉鎖不全症のため機械弁を入れる手術をしました。機械弁を入れると弁の周りに、血栓ができやすくなり、それが頭に飛ぶと脳梗塞になってしまいます。そうならないために血を固まりにくくする薬を一生飲まないといけません。でもそのため、出血しやすく、血が止まりにくいという欠点があります。歯医者に行くときなどは注意が必要です。もう一つ、注意することは納豆などのビタミンKを多く含む食品は避けなければなりません。薬の効果がなくなってしまうからです。パパは納豆が好きだったのに、食べられなくなってしまいました。自分の身体を守るためとはいえ、一生薬を飲まなければならないのは大変です。動きもかなりスムースです。大きなくしゃみをしたときは悲鳴をあげていますが、久々に今日は子供達と一緒にお風呂に入りました。会社に復帰して、3週間程経ったパパ。今までは車に乗り外回りしていましたが、運転もできないし、重い物も持てないので会社の中でデスクワークをしています。今日の診察でも、この季節暑い中、汗をかくのに外回りをするのは心臓に負担がかかるから厳しいと言われたようです。恐らく秋の人事異動で違う部署へ異動でしょう。。。今の場所で上手く異動できればいいのですが、もしも転勤だったら(*_*)なんかそんなこと全然頭になかったのですが、上司の言葉からその可能性もゼロではなさそうで(!_+)今から考えても仕方ないことですが、2ヶ月以内にはわかること。あぁ、3ヶ月後はどこで何をしてるんだろうなぁ。。。(>_
2006.07.01
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ちぃちゃん、ここ最近、幼稚園で2~3人の男の子からスカートめくりをされているようです。流行っているのかな?私の時代は一年生の頃だったけど、今は年少さんがするんだねぇ。早っ。それにしても、時代が変わっても男の子のすることは今も昔も同じなのね(^_^)家に帰りそのことを報告するちぃちゃん。ちぃ『今日またなぁ、KくんとRくんがちぃちゃんのスカートめくってん( -_-)』ママ『ちぃちゃん何て言ったん?』ちぃ『“やめて”って言ってなぁ、先生に言って“ごめんね”て言ってくれたから“いいよ”って言ってん』ママ『ふ~ん。ちぃちゃんのパンツがかわいいから見たいんじゃない?』ちぃ『パンツの絵を忘れたんかなぁ?ま、それなら(見せてあげても)いいけど。』今日担任の先生から電話があったのでこのことを聞いてみました。ちぃちゃんからは他の女の子もされてるように聞いていたのですが、先生のお話では特定の男の子からちぃちゃんがよくされているとのこと。へぇ、そうなんだぁ(^。^)ちぃちゃんのダイナマイトバディに悩殺されたのかしら!?なんて。ちぃちゃん自身がすごく嫌がっているようではないので、私も何とも思っていません。泣いたりしたら、私も対処に困るんでしょうけどね。現場を見てみたいなぁ(*^_^*)という気もします。3歳の男の子でも気になる女の子のスカートをめくりたくなる心理ってあるのですねぇ。ちょっと驚きというか新鮮な発見でした。
2006.06.30
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子供と一緒に寝ていたのに、先ほど暑くて暑くて目が覚めてしまいました(>_
2006.06.29
ちぃちゃん、先月入院したときは3~4日何も口にしていない状態だったので痩せました。あの“むちむちあんよ”が細くなってしまったときは、とても哀しい思いをしました。でも普通食になったとき、取り戻すかのごとくご飯を食べていたので安心していました。さて、ちぃちゃんの幼稚園では毎月身長・体重測定をしています。昨日、記録されて持ち帰っていました。今月のちぃちゃんは身長:99.8cm・体重18kg。って、18kg~!!\(◎o◎)/!先月、16.5kgだったのですよ。1ヶ月でこんなに成長するっ!?(゜◇゜)安心どころか心配だよ。因みにいーちゃんのこの時期は身長:100.5cm・体重15.5kg。いーちゃんでも大きい方と思っていましたが、ちぃちゃんよ。。。ちぃちゃんのほっぺも太股も二の腕もプリンプリンでとっても大好きなのですが、ちょっと考えないといかんのでは?もしかして先生の書き間違いでは?と少し疑っているのですが、怖くて聞けない私ですf(^ー^;
2006.06.28
いーちゃんは長い間中耳炎だったため、この春両耳にチューブを入れました。それからは、耳が聞こえにくいということはなくなりました。毎週通院しても全然聞こえがよくならなかったのが嘘のようです。このチューブ、新しいものをいれてもらえているようで、以前のタイプだとよく自然にはずれたりということもあったようですが、はずれることはあまりないようです。恐らく、2年くらいチューブを入れたまま様子をみることになるのでしょう。耳の聞こえはよくなったのですが、チューブを入れている状態では潜ることは禁止されています。ですから、プールを習うことができなくなりました。幼稚園時代は通っていたのですが、やめました。ま、本人はこのことは喜んでいるでしょうが。学校のプールは1年生の目標が『伏浮き』ということなので、先生からは顔つけまではよいとのことで許可をもらって入っています。学校のプールも始まり何度か入っていましたが、この週末耳が痛いとかかゆいとか言い出しました。常にではないけど、ここ2~3日夜眠くなったりお風呂の中で言い出します。チューブを入れてるし、耳の中の様子はわからないし昨日耳鼻科に行って来ました。先生は笑いながら『何ともありませんよ』とのこと。そうなんですか。。。(?_?)日増しに訴えがひどくなるので心配していたのに先生に『痛くないでしょ?』と聞かれてニヤニヤしながら頷いてるよぉっ!ま、何ともなくてよかったけどさ。で、今日も学校のプールあったけど、楽しかったらしい。治ったんだったらいいけど、何だったんだろうなぁ。ほんと、人騒がせないーちゃんだわ(-。-;)
2006.06.27
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ちぃちゃんのマイブーム。お人形の髪にゴムを何個も何個もつけること。もう飾りがあればあっただけ重ねて重ねてつけます(*_*)人形の頭が重くなりすぎて首が折れちゃいそう。お友達がこの人形の頭を見たらびっくりします\(◎o◎)/そして、朝、いーちゃんとちぃちゃんの髪の毛を結ぶのもゴムが揃わず大慌て。でも、時間がないときはこのゴムをはずすのはとても厳しいです(>_
2006.06.26
今日は夕方から雨の予報。公園遊びには暑すぎず、よい日かもしれないと家からは遠い公園に行こうと張り切っていたのに、玄関をでたら小雨(・O・;どこかのバーゲンにでも行くことも考えたけど、ちぃちゃんの大ブーイングにより、近場の原っぱにでかけました。小雨が降る中、小一時間程家族でおいかけっこしました。ちぃちゃんは入院などがあって、久しぶりに公園に行けることをとても楽しみにしていたのだと思います。何かの遊具を使うわけでもなく、ただ走っただけでしたがとても楽しく過ごしました。もうすぐ夏ですね。夏の計画もたてなきゃだ!
2006.06.25
今日は学校でドッチボール大会があるというのでいーちゃんは参加してきました。が。。。主催の役員さんが子供達を野放し状態。やっとドッチボールが始まったかと思えば、全学年混ぜ混ぜで結局、高学年対高学年。1年生のいーちゃんは怖かった様子。1年生が高学年の投げるボールは受け止められないよねぇ。最終的には鬼ごっこしたり、ブランコしたり。。。何をしに行ったのやら?疲れたちぃちゃんは家でお昼寝しました。ちぃちゃんが寝ている時は声や遊びに気を遣って、することも特別なく。ちょうどお友達に誘われ外に飛び出していったいーちゃん。だんだん、家族で過ごすことよりもお友達と遊びに出かけることが多くなるのでしょうか?遊びに誘ってくれるお友達がいて、外で遊ぶのが好き。とってもよいことだと思うんだけど、少し淋しいなぁ。
2006.06.24
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金曜日は5時間あるので、いーちゃんの帰宅が15:20頃。いーちゃんを迎えて、5分後にはちぃちゃんのお迎えに行く時間です。宿題に時間がかかるいーちゃんに、『さっさと宿題にとりかかるように』と言って出かける私です。今日、ちぃちゃんと家に戻ってきたら。。。いー『学校に宿題忘れてきたぁ。』ママ『また?(-_-;)』←3回目か。。。いー『あんなぁ、ママがいないときになぁ学校に電話して“お忙しいところすみませんが、N先生お手すきでしょうか?”て電話しようと思っててん。』ママ『あら、そんな言葉おぼえてたん!?それで先生に何を話そうと思ったん?』いー『えっ!?先生に宿題届けてもらおうと思って』ママ『。。。||||( -_-)||||』家の電話から学校の登録をはずしておこうと思いました。ったく(-.-#)今日は大雨。家から5分とかからない場所に学校があるけど、ちぃちゃんを家においておくこともできず、いーちゃんだけ一人で学校に行かすこともできず3人でまた宿題をとりに行きました(-。-;)
2006.06.23
ちぃちゃんが朝、幼稚園に行く前に必ず確認することは。。。今日がお弁当か?給食か?ということ。給食だと幼稚園へ行くのがイヤになってしまいます( -_-)あまり好き嫌いはない方だし、よく食べる子ですが、もしかしたら年少さんにしては給食は多いのかもしれません。それに、すべて好きなものとは限りません。残っている物があれば、先生は『頑張って食べよう』『残したらダメよ』など促してくれてます。ちぃちゃんは先生に何か言われるのがイヤなようです。そして、給食の日は必ず確認することがあります。ちぃ『今日の給食は何?』ママ『えーっと、こんにゃくのきんぴらとぉ。。。』←好きなメニューしか言わないちぃ『じゃ、行くわ(^。^)』えっ!?こんにゃくだけでいいの(・o・)こんな感じで私も給食の日の朝は困るのですが、今朝は違いました。昨日帰りのバスで年長さんからシールをお帳面の裏に貼ってもらったのがとても嬉しかった様子。今朝、出かける前は『シール交換するんだ~♪』とあれこれシールを悩みながら選んでました。『たくさん貼ってたら、先生に注意されるよ』と言っても聞きません。ま、先生から注意されてよくないことを知るというのもいい経験でしょう。お友達との関わりが嬉しくなってきた様子が伝わってきました。今朝はバスが待ちきれなくて30分前から『早く行こーっ!』と言っていたちぃちゃんでした。
2006.06.22
いーちゃんの学校、毎週ではないのですが、水曜日の放課後に希望者のみ参加できるクラブ?のようなものがあります。一度家に戻ってから学校に出直し、3時~4:30までの活動です。縦割りになるので他の学年・他のクラスのお友達も増えそうなので参加させることにしました。学校まで5分とかからない距離ですし。サッカー・フリースポーツ・図書・作って遊ぼうの4種類から1つ選ぶのですが、いーちゃんは作って遊ぼうを選択しました。今日は初めての参加。パパやちぃちゃんの入院でバタバタしており、2回程不参加になってました。“続き物で作るのだったらどうしよう”と心配していたのが、少し意外でした。自分の病気とかでお休みになったわけではなかったので、かわいそうな思いをさせたなぁと思います。今日は万華鏡を作ってきました。キットになっているもので作ったようなので、売り物のような出来でいーちゃんも嬉しそうでした。来週はペットボトルを持参するのだそうです。何を作るのかな?PTAとは別の組織でこのようなクラブ・土曜日参加しているバスケなど色々企画しているようで、学校へ勉強しに行く以外でも楽しみがあってよいなぁと感じます。学校内の行事でも6年生と一緒に活動することも多く、学校側も意識しているのかなぁ?兄弟少ないし、年上の子と接する機会が増えてよいことだなぁと思います。
2006.06.21
いつもぼけている私ですが、今日はちょっと自分でもびっくりしました。週末だと思いこんでいたのですが、火曜日ですね(^_^;)分かったとき、あせりましたf(^ー^;ここのところちぃちゃんが週2~3日幼稚園に行けば、休むというリズムになっていたのでついつい。。。さてパパも会社に行くようになり、日中一人になりました。家でお昼ご飯を一人で食べるのって淋しいです(; ;)ラジオをつけているのですが、食べているときはテレビつけようかなって思ってしまいます。でも、きっとダラダラしてしまうのでぐっと我慢。4月はいーちゃんの給食がなく、5月はパパ・ちぃちゃんの入院で一人でお昼ご飯を食べる機会ってなかった。普通なら5月から一人でお昼ご飯だったんだなぁ。一人でお昼ご飯。これから先、ずっと続いてしまうんだなぁ。。。バタバタと午前中公園に行って、お昼食べて、子供お昼寝させてた頃が懐かしいなぁ。
2006.06.20
これは1~2週間前に起きた事件なんですが。。。1年生のいーちゃん、5月から学校にお茶を持っていってもよいことになっています。(私の時代からは考えられませんが。)そして、肩からさげるのがイヤなようでランドセルの中に入れて行きます。朝、いざ出かけようとした時、いーちゃんの『あー(O_O)』という声。も、もしや。。。私の水筒のキャップの閉めが甘かったようで、ランドセルはお茶でタップタップしていました(*_*)当然、中に入れてあった教科書もノートも被害にあったわけで。。。(T_T)もう出発時間になっていたので、慌てて濡れた教科書類を出し、ランドセルを拭いて送り出しました。それから夫婦揃って(まだパパが自宅療養中でした)、ドライヤー片手に急いで乾かしました。そして、1時間目に間に合うようにパパが学校に届けてくれました。この事件が起こった週は、いーちゃんが登校班を見つけきれず(マンションロビーに登校班10班以上ある)送って行ったり、暑い日にお茶を忘れているからと届けに行ったり(私はお茶を忘れてるからといって届けないと思う)とにかくパパは頻繁に学校に行ってました。あまりにも学校に顔を出すので“教科書を濡らしてまで来たいか!”と思われたらイヤだなぁと言っていました(^_^;)私はその間、学校に電話してどこへ行ったら同じ教科書が買えるのか問い合わせました。いーちゃんの学校で、教科書がどこの書店で買えるのか知っているのは我が家くらいでしょうね。。。(-。-;) 少なくとも1年生のこの時期に知っている人はいない気がする。国語・算数・音楽の3冊で800円くらい。毎年このシーズン、一度は水筒の栓を確かめなきゃ!と思い知る事はありますが、今年はこんな大きな事件付きとは。。。その夜、お風呂上がりに髪を乾かそうとしたらドライヤーが火花を拭いて他界されました(>_
2006.06.19
今日は、某パン屋さん主催の『お父さんの顔のパンを作ろう!』というイベントに参加してきました(^。^)昨夜、このイベントのことを2人に教えました。いー『じゃあ、いーちゃん、キティちゃんのパン作ろっ!』ちぃ『ちぃちゃんもーっ!』おいおい、だからパパの顔を作るんだってば。父の日でしょっ(^_^;)いーちゃんとちぃちゃん、エプロンに三角巾姿で一生懸命パンを作りました。2人で一つのパンを作ります。発酵ずみのパンを用意されているので、形成のみですから粘土がパンに変わったという感じかな。でも、粘土とは違うふわふわの感触は楽しかったんじゃないのかな~。いーちゃんはパパそっくりに作りたいのに対し、ちぃちゃんは女の子に変身したことにして長い髪の毛にしたいらしいf(^ー^;(写真右側のちょろっと長い髪の毛がそのちぃちゃんこだわりの髪の毛)2人で一つの物を作り上げるのはちいちゃんが幼いだけにまだまだ苦労がつきものです(^^ゞでも、なんとか脱線することなく、パパの顔のパンが出来上がりました~\(^O^)/夕飯が終わって、パンを食べてみることに。ちぃちゃん、イベントがあると部屋を暗くしてろうそくの灯を消したがります。今回もそうでした。そして歌い出した曲は。。。やっぱりHAPPY BIRTHDAY(^_^;) ♪~Happy birthday dear ママちゃ~ん♪(。^。)コケ!だ~か~らぁ、今日は父の日ですよーっ!!仕切直して。。。パパいつもありがとう!早く、元気な身体になるといいね。みんな、ニコニコのパパが大好きです。
2006.06.18
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今日は久々の家族でのおでかけでした。いつから行っていなかったかなぁ?4月のサーカス以来かも。パパの入院前だったから、約2ヶ月ぶり!?今日はユニバーサルスタジオまで行って来ました。パパがいる時はママが滅多に運転することはありません。でも、パパがまだ運転できる身体ではないので、ママの運転で。最近、よく運転していたので軽い気持ちでした。阪神高速で行ったのですが、怖いです(>_
2006.06.17
昨日からちぃちゃんが幼稚園に行きだし、今日はパパが久しぶりの出勤です。我が家にやっと以前の生活が戻り始めました。4月くらいから少し顔を出す程度で家にほとんどいたパパ。私が家で一人になったのは本当に久しぶり。先週までは家の中でパパの叫び声が響いていましたが、今週に入り悲鳴もほとんどなくなり、パパの動作に不自然な動きが消えていきました。このくらい動けるようになればなんとかなりそうくらいにまで回復しました。でも、アンダーシャツにYシャツ・そしてチェストバンド(胸に巻く)・上着と暑そう(@_@;)チェストバンドとは妊婦さんの腹帯のようなものです。これで、切った胸骨を保護しないといけないのです。これから暑い時期になっていくので大変です。でも。。。私が口を酸っぱくして言っている『体重・70kg台』が下着一枚多く着れば危うい状況(-_-;)なので、ちょうどいいかも!?←鬼嫁(^m^)本人に危機感がないため、ここに体重記録も毎日upしようかと計画中です(^x^)
2006.06.16
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今日、3日ぶりに幼稚園に行ったちぃちゃんです。先月から病気で3週間休み、復活したと思ったらまた3日休んでしまい、お帳面はお休みマークだらけ(T_T)ちぃちゃんはそのことを気にしていて『頑張って行かなきゃ』と張り切っています。さて、ちぃちゃんの幼稚園の日曜参観日、実は6/4にすでに終わっています。ちぃちゃんは病気で2回参観日がとんでいます(T_T)『いつになったら、パパやママ来てくれるのかな~』と楽しみにしているのが、親としてもツライです。で、この日曜参観日の時に他のお友達はお父さんにプレゼントを渡していました。ちぃちゃんは制作できなかったので、今日仕上げて持ち帰ってきました。ついでに、母の日のプレゼントもアップしちゃいました。あの頃も忙しくて、日記にかけなかったので(^^ゞもらったパパも渡しているちぃちゃんもとっても嬉しそうなニコニコ笑顔でしたよ(*^_^*)
2006.06.15
1)いーちゃんが学校から帰ってきて、私に内緒話。 いー『あんなぁ、今日、宿題すくないねん。学校でやってきてん。』 ママ『学校で頑張ったん?』 いー『先生がな、“学校でできるだけやって帰り。”て言ってくれてん。』 家庭訪問以来、先生は気を遣ってくれてるのかもしれません(^_^;) ありがたや~。2)算数の宿題。 5までの足し算・引き算をしています。 『・・・の答えを書きなさい』と書いてあるプリント。 いー『もぉっ!この宿題“書きなさい”って書いてある!(`_´)なんで命令するんじゃーっ(`ヘ´)』 そんなことで怒るか。。。? 『書いてください』と優しく言って欲しいらしい(・O・;3)国語の宿題。 『お』のつく言葉を5コ書く。 いーちゃんが書いた言葉は。。。“おわらい”だったf(^ー^; すっかり大阪の人になっています(^^ゞ
2006.06.14
ちぃちゃん、昨夜も微熱がでたので今日も幼稚園おやすみ。日中は熱もなく割と元気なんだけど、家にいるだけなのに3時間もお昼寝するので疲れているのかなぁ。。。以前のちぃちゃんだと、発熱したとしても夜中にでて朝起きるときにはひいているのに。今回みたいに夜微熱が出るのも少し怖い。特に先月、脳症で入院したばかりなので何か関係があるのかしら。。。と不安になる。昨日鼻がでていたので耳鼻科に行き風邪の初期症状と言われたけど、やっぱり入院していた病院に行った方がいいのかな。。。とか思ってしまう。今晩熱がでなかったとしても、明日の幼稚園は体育遊びがある。炎天下の体操はキツいだろうから、明日もお休みさせよう。木曜日から行けるといいね。
2006.06.13
今朝、5時に目を覚ましたちぃちゃん。あ。。。熱い(×_×)先週、とばしすぎたのかなぁ。疲れがでちゃったかも。。。38.2度あったので、今日は幼稚園お休み決定だ(T_T)せっかく行き始めたのになぁ。。。しょっく
2006.06.12
今日はいーちゃんの日曜参観日でした。私たちは前回行けなかったので、初めての参観です。今日は算数でした。5までの足し算・引き算をやっていて、今日はそのまとめと次の9までの足し算の導入をやっていました。授業を見ていて。。。なんと楽しそうな我が子。ニコニコしている。というかニコニコしすぎ。授業中も何かおもしろいことを誰か言わないかとそこに集中している感じがする。。。f(^ー^;Hちゃんママの感想『いーちゃん、リアクションいいなぁ!』それは褒め言葉じゃないよなぁ。。。(^0^;)そして、マイペース度合いが存分に発揮されており、親は“そこまでとは。。。”と頭をかかえてしまいました(-。-;)クラスをみているといろんな子がいますね。半数は先生にあててもらおうと必死で答えを考え、さっと手を挙げています。もう、メンバーは決まってます。(でも、当てられても『忘れましたっ!』という子もいたけど)いーちゃんはというと。。。なかなか手を挙げないんですよねぇ。マイペースに答えを考えているので、間に合わないんでしょう。ママ『いーちゃん、答えわかってても手を挙げてないの?当ててもらいたいと思わないの?』いー『だってなぁ、先生あてるまですっごく遅いからなぁ、手がしんどいねん』。。。(-。-;)もう少し、しっかりした子だと思っていたんだけどなぁ?本当に楽しそうだったことが救いでした。。。
2006.06.11
昨日はパパの内祝い・快気祝いのお礼の品を手配しました。我が家はこの夏の時期に贈り物をするときは、だいたい決まっています。私の地元・広島では有名なお菓子屋さんのジュレです。初めて食べたときは感動したのを覚えています。6月に結婚したので、引き菓子にも選んだものです。このお菓子屋さんの回し者ではないのですが、6/20~3,150円以上で送料無料なんですよ(^_^)v機会があれば、一度ぜひ食べてみてくださいね。オススメです(^_^)
2006.06.10
今日の夕方、ママ友(YちゃんとAりん)がちぃちゃんの為に快気祝いパーティを開いてくれました。このママ友はいーちゃんの幼稚園時代から一緒で、ちぃちゃんと同じ年齢の下の子もいるということもあり、とても仲良くしてもらっています。ちぃちゃんが入院しているときも、いーちゃんを預かってくれたり、ちぃちゃんと面会できなくても私に会いにきてくれて励ましてくれたりととても支えてもらいました。ちぃちゃんが元気になったときも涙を流して喜んでくれた人達です。最初誘われた時は“どこかのお店でするのかな?”と思っていたのですが、自宅で2人の手料理と“ちぃちゃん退院おめでとう!!”のケーキで祝ってくれました。親子でよい友達に恵まれて、幸せです(;_;)このパーティで、ちぃちゃんがお友達と楽しく元気に遊べている姿を見ることができ、本当に嬉しく思いました。Yちゃん・Aりん・Yくん・Sくん・Aちゃん・Rくん。。。みんなどうもありがとう!これからも、ずっとずっと仲良くしてください(*^_^*)
2006.06.09
我が家のパパ、先月“大動脈弁閉鎖不全症”という心臓の病気で手術を行いました。いわゆる“心臓弁膜症”で大動脈に機械弁をいれたため障害者1級になりました。障害者手帳を発行してもらうため、今日は役所に行って申請してきました。この手帳が手元に届くまで2~3ヶ月もかかるんですって。一応、いろいろな審査があるのでしょうけど、そんなに時間かかるんですかねぇ( -_-)そして、この役所には手術前にも行きました。今回のパパのような大きな手術で負担が大きい場合に助成してもらえるものがあるのか相談に行ったのでした。我が家が住んでいる市は貧乏市なので、該当するものはなかったんですけどね(T_T)同じ手術して住んでいる場所が違うだけで、もらえる人がいたり、もらえない人がいたりっておかしいですよねぇ(-_-メ)おまけにパパが入院しているときにちぃちゃんまで入院しちゃったので、我が家の5月度医療費はものすごい金額。ちぃちゃんだって、もっと子供の制度が充実している市であれば入院費を負担してもらえたりとかあるのになぁ。毎月・毎月高い住民税払っているのに、こういう時くらい還元されたっていいじゃんっ!!ぷんっ(`ヘ´)長い間住むんだったら、こういう事もちゃんと調べて住む場所決めればよかったなぁ。。。(>_
2006.06.08
ちぃちゃん、昨日から幼稚園復活して今日で2日目。今日も2時頃、お迎えに行きました。帰るときは昨日よりもたくさんのお友達がお見送りをしてくれて、『ちぃちゃんバイバーイ』とずっと手を振ってくれました。そして、今日もお昼寝を2時間程しました。ちぃちゃんは寝ている間、夜も含めて殆どおねしょをしたことがありません。そのちぃちゃんが、たった2時間の昼寝でおねしょを3回しました。おしっこの量は本当に少しで布団までは濡れない程度。でも、パンツに跡がついて匂いも濃厚な感じ。寝ていても出たらわかるようで『パンツぬれちゃったぁ』とその都度起きてきました。そして、夜寝ている間も2回ありました。ネットで調べて、恐らく緊張性の頻尿ではないか?ということになりました。この3週間の間に幼稚園を休んでいただけでなく、大きな病気をして、普通の生活に戻ったばかり。楽しく幼稚園で過ごせても、気を遣ったり、みんなができてもちぃちゃんだけできなかったり、忘れていることもあるよね。小さいのにこんなすぐ身体にでてしまって。。。ちぃちゃんのペースでいいんだからね。
2006.06.07
ちぃちゃん、昨日の診察で先生から許可がおりたため、今日から幼稚園ですっ。実に3週間ぶり。ちぃちゃんが長い間お休みしていたので、クラスのお友達・同じバス停のお友達はとても心配してくれていました。(小さい子には長い間お友達がお休みすると不安になってしまうと思います)“幼稚園に行きたい!”という気持ちと“ママと一緒にいたい!”という気持ちが行ったり来たりしていましたが、通園バスが来ると元気に乗り込んでいきました元気に出かけていく姿が見れて、ホッと一安心。久しぶりの幼稚園なので、今週はお弁当が終わって少しした頃に迎えに行ってあげようと思います。13:30頃、お迎えにいくと園児の一斉戸外遊びが終わり、全員で並んではとぽっぽ体操をしていました。暑い日でしたので、ちぃちゃんはまぶしそうに目を細めて、先生の真似をしながら一生懸命体操していました教室に戻って、ちぃちゃんだけ帰り支度をしているとき。クラスのお友達がやってきて、『なんでもう帰るのー?』とか色々聞いてきます。みんなすっかり園に慣れた感じで、ちぃちゃんを温かく迎えてくれた様子が伝わりました。ちぃちゃんはニコニコ顔。久しぶりの幼稚園、楽しかったのでしょう。早く帰れること、お迎えにきてもらえたことも嬉しかったようです。園での感想を聞くと、整列しているときに先生が移動すると少し涙がでそうになったとか久しぶりだったので、先生が見えなくなると不安になってしまったのかもしれません。今日は疲れたのか、お昼寝3時間しました。明日もみんなちぃちゃんのこと、待ってるよ。楽しみだね。
2006.06.06
ちぃちゃんが退院してから初めての外来。今日の診察で先生からOKがでれば、明日から幼稚園へ通園できます。ちぃちゃんは5/17~ロタウイルスにかかり、脳症になり、入院しました。今日の診察も先生が何を診るというわけではなく、先生が『変わりはないですか?元気にしてましたか?』と私に質問するという感じ。ケガのようにはっきりと誰の目でもわかるのだったらいいんだけど、この病気は身近な人でないとわからないのだろう。脳波やCTですべてが解るわけではないようだし。私は家に帰ってからも以前のちぃちゃんと変わらないと思っていたので、そのことを伝えた。明日から日常生活に戻していいと許可がでた。よかった。先生が今後のことも踏まえたアドバイスという感じで『お母さん、やっぱりねぇ、もっと早く来ていたらこんなにヒドくならずに済んだと思うよ。』と言った。私は驚き、思わず『えーっ!?いつだったらよかったんですか?』と反応してしまった。ちぃちゃんの下痢が始まってすぐに近医にかかり、夜間診療にもかかった。次の日も点滴をうち、ひきつけを起こしたのは、かかりつけ医から帰って90分後の事だった。入院してからも度々『私の対応に間違いがあったのか?』と自問自答しながら、それでも自分なりに最善を尽くしたと思っていた。先生は『ちょっとおさらいしてみよう』とその時の経過をもう一度見直し、『あぁ、ごめん。これは、お母さんのせいじゃないわ。。。』と言った。シビアな状態で運ばれてくる子ども達を見慣れたこの先生にしてみると『もっと早くに脳症の可能性を疑うべきだった』『もっと早くに処置できていれば、こんなに危険なケースではなかった』という思いがあったようだ。「手遅れ」の口惜しい経験を多くしているのだろうと感じた。脳症の患者は、年間平均200人くらいだという。かかりつけ医が遭遇する確率は極めて低く、さらにそれがロタ起因のケースとなると確率はいったいどうなるのだろう。(圧倒的多数が「冬場」の「インフルエンザ」によるモノらしい。教科書にはロタも書いてはあるが。。。)毎日診る同じような症状の患者の中から、それを的確に見極めろというのは難しいことなのかもしれない。今日は診察のみで、1ヶ月後に脳波とMRIをとることになった。これで特別異常がなければ、とりあえずこの病気の経過は見なくてもよいことになる。今回脳症になったが、次回からひきつけを起こしやすい体質になるのか?とかは症例自体が少ないため実際よくわからないのだそうだ。この先生は『また高熱がでたら遠慮せず救急車呼んで来ればいいから』と言ってくれた。その程度でバンバン急患がくれば、先生も大変だろうに。。。でもありがたい言葉だった。いつも疲れ切っていて一見頼りなげな若いこの先生に不安を感じたこともあったが、心から信頼できる医師であった。ありがたい出会いだったなぁとしみじみ思った。この病院の帰りに先にかかっていた近医に寄ることにした。点滴を打つ際に血液検査をしていたのでその結果確認を口実に、今回の経緯を伝えておこうと思ったからだ。(あくまで今後の為にとの意図だった)私は『先日の受診90分後にひきつけを起こし救急で運ばれました。脳症と診断され、入院治療を受けました。』と経過を伝えた。先生は一瞬動揺した素振りを見せたが、『それは災難でしたね。ロタからも脳症になるという報告はありますよ。』と妙に事務的に言った。こちらの意図が分からなかった(クレーム?)のだろうけど、『自分に落ち度はなかった』と言わんばかり。ちぃちゃんはもう元気になっているわけだし、この先生に今さら何か言ってやろうなんて思っていなかったけれど、そりゃないだろ! もう少し気の利いた言葉が欲しかった。『あなたが気付いてくれていたら、こんなツライ思いをさせなくてもよかったのに!』と心の中で叫んだ。明日から日常生活に戻れる喜びと、あのとき早くちぃちゃんの異変に気付いて、動いてあげられていたら。。。という思いとで複雑な気持ちになった。
2006.06.05
5/29に退院できたちぃちゃん。一応、1週間は外出禁止の自宅療養となっています。そして、明日の外来で先生の許可がもらえれば晴れて幼稚園復帰となります。が。。。学校の用事があったり、いーちゃんがお友達と外遊びに出かけるのを見て付いていったりf(^ー^;お昼寝こそするけれども名ばかりの自宅療養となっております(^_^;)先週末、3週間たまった幼稚園のお手紙が届きました。その中にクラス写真が入っていることに今日気付きました。久しぶりに見るお友達の顔。名前のわかる子もいれば、まだ覚えていない子も。。。写真を見ていると幼稚園に行きたくなってきたちぃちゃん。久しぶりの幼稚園に不安もあったようですが、この写真でぐぐぐっと行きたい気持ちが盛り上がってきた様子。明日、先生からOKでるといいね(*^_^*)
2006.06.04
パパは先月『大動脈弁閉鎖不全症』のため弁置換術を行いました。先日も書きましたが、首の下から約30cmの傷とおへその左右にドレーンの管が入っていた時の傷ができました。(ドレーンは体内に溜まる血や体液を排出する装置)このドレーンは手術後2日目にとれたのだが、麻酔もなくいきなり腹部に埋められている管を引き抜くのだそうだ(○_○)実際には数秒のことなのだが、延々と腸を引き出されているかのような激痛と気味悪さだったらしい。「じゃ次、反対側ね」と言われたときには、いっそ失神してしまいたいとさえ思ったという。。。その後は、傷口にペタっとガーゼを貼っただけ。(直後にうっかり体を動かしたため、だだ漏れでベットが血の海のようになり驚愕したらしい)あとは自然治癒を待つという原始的なやり方にパパも不安になったそうだ。術後約2週間たった現在、30cmの縫い傷よりもこのドレーンの傷の方が気になる様子。傷も深いため、お腹に2つぽこっと穴があいている。常に液が滲み出ている状態で、かさぶたが取れては穴を覗き込んで悲しい気持ちに。。。。この傷がキレイになるのはいつになるのか。。。まだまだ先のことになりそうです。そして、心臓に入れた人工弁。部屋が静かになるとこの人工弁がチャッチャッと動いている音が聞こえます。ちゃんとパパの左心室~大動脈の所でフタをしてくれている証拠。この音がないと心配ですが、パパにはうるさいようです。最初は音が気になってなかなか眠れなかったのだそう。しかも、時々何らかの姿勢になったとき、この振動が骨を伝わり耳のそばで響くらしく、それもイヤみたいです。一番ツライのは寝起き。胸骨を切ったので体の動かし具合が難しく、寝起きは相当慎重に動かなければ激痛を伴います。この胸骨がひっつくまで3~6ヶ月かかるようです。そういう状態なので、寝返りをうつのも一苦労。子供と同じ部屋で寝ているため、寝ている間もいつ回し蹴りが飛んでくるかわからない状態。夜中、絶叫している時はたいてい子供の足が身体に触れた時です。別の部屋で寝ることを勧めるのですが、好んで一緒に寝ています(-。-;)パパの手術は、輸血なしでできたそうだ。そのため、貧血気味。立ったり座ったりをついいつもの要領でしてしまうため、立った後クラクラしています。これも、自然に赤血球が増えるまでの日にち薬といえるようです。昨日、退院後初めての診察でした。これらの痛みが普通なのか聞いてみたところ、先生に『慣れますから』と秒殺されたようです。どういう姿勢になったとき、どういう力が加わった時に痛くなるのかまだよくわからないパパ。1日中悲鳴が響いている状態です。そして術後2週間で肥大していた心臓が小さくなっていたそうです。すごいなぁ。手術前は夜寝るのがしんどくて(心臓に負担がかかっていた)横になって寝ることができずに壁にもたれた状態で寝たりしていた。朝もすぐに起きることができず、よくグズグズ寝ていた。そういうのがなくなったような気がする。イビキも小さくなったし、心臓が悪かったからなんだろうなぁ。傷も血液検査も心電図もすべて良好とのこと。社会復帰まで約1ヶ月の自宅療養。社会復帰できるまでに身体がどこまで復活できるのか不安がっていますが、焦らず無理せず療養してください。
2006.06.03
今日はいーちゃんの学校で一年生の保護者を対象に給食試食会が行われました。普段からいーちゃんは給食がおいしいと学校に行く楽しみの一つになっています。私も先日の参観日も行けなかったし、今回の給食試食会はとても楽しみにしていました。学校の食器がまだアルミだったのでちょっと驚きましたが、味はとてもおいしかったです。といっても、自宅療養中のちぃちゃんが一緒だったのでほとんど私の口に入りませんでした(T_T)ちぃちゃん、完全復活ですO(^-^)O学校給食の説明を色々と聞きました。栄養士さんはじめ調理師さん達が生徒達を我が子のように考えながら、色々と工夫・改善されている姿勢には驚き、感謝の思いです。給食がおいしいはずです(^_^)試食会が終わり、いーちゃんのクラスをのぞきに行きました。あ。。。クラスの半数以上は食べ終わっているのに、まだ食べてるよ(^_^;)しかも、ニコニコしながら焦っている感じはまるでゼロ。だから、昼休憩なくなっちゃうんだよ。頑張れ~。先生が『参観見れなかったから教室に入って後の掲示板とか見ていいですよ』と言ってくれた。掲示板には先日行った遠足の絵とひらがなが貼られていた。みんなと比べるとペースは遅いけれど、丁寧に頑張って書いている様子が伝わってきました。次回の参観日楽しみにしているよ。
2006.06.02
本当は半月以上前の予定だったいーちゃんの家庭訪問。パパとちぃちゃんの入院が重なり、延期してもらっていました。そして、今日担任の先生に来てもらえることになりました。いーちゃんはずっとずっと先生が家に来てくれることを楽しみにしていたので“やっと”という感じです。“先生が来てくれたら、コーヒーを入れる”と張り切っていたのに、いざ“どうぞ”するときには照れて最後まで自分でできませんでした。さて、先生の第一声。先生『マイペースな子ですね。』あ。。。やっぱり。。。でも、いきなりそう言われるとはf(^ー^;聞くと、特に給食を食べるのが遅いらしい。あとは、先生が言われたことにすぐ反応が返ってこないらしい。もう一つヒントなり、説明があるとわかっている反応があるとのこと。あんまり先生の話、ちゃんと聞いてないんだろうなぁ。。。私は、いーちゃんがトロいのでクラスでついていけているのか心配だった。先生が来たら、聞いてみたいことの一つだった。ママ『家での宿題も2~3時間かかるんですけど。。。』先生はとてもびっくりしていた。ひらがな数十コ書くだけでそんなに時間かけているのはいーちゃんだけだろう。先生の真後ろでパパと宿題をしていたいーちゃん。時々宿題をしている様子を先生が振り返って見ていた。先生から『あれから、1コしかすすんでないやん!』『あー、それはもう消さないっ!次を書くっ!』と言われながらやってました。先生は一人だけの家庭訪問だったので我が家に20~30分いたけれど、話した内容はいーちゃんがどれだけノロマであるか という事だけだったσ(^◇^;)私も幼い頃は何でも遅かったので、いーちゃんには言える義理はないんですが。似なくていいところは似てしまうんですね。はぁ(-。-;)とりあえず、ずっとのびのびになっていた家庭訪問、無事終了してやれやれです。
2006.06.01
昨日、3週間ぶりに家族4人になった我が家。いーちゃんは嬉しくて、担任の先生に報告したとか。学校から帰ってきたいーちゃんは『先生がいつでも行っていい?て聞いてたよ。』いろんな事が重なって、我が家だけまだ家庭訪問が済んでいないのでした。げっ。先生、少しは猶予くれないかなぁ。。。それを聞いてしまっては、やはり連絡を入れないわけにもいかず(-。-;)明日が我が家の家庭訪問となりました。今日は家の大掃除。といっても、リビングを片づけて拭き掃除するのが精一杯で退院の荷物などは一部屋に隠してしまいました(^_^;)
2006.05.31
ちぃちゃんが昨日無事退院したので、私の両親・妹は今朝広島に帰りました。今回、ちぃちゃんがロタウイルスからかかった脳症。振り返ってみた。パパが手術直後だったので、たまたま両親・妹が大阪にいてくれたのはとてもラッキーだった。そして、3人とも特別な用が入っていなかったことも。家族4人のうち2人が入院していた状態では、この3人のうち誰か一人欠けても絶対回らなかったと思う。 おじぃちゃん 道もわからず、交通量も多く、地名もわからない場所での運転。 パパの病院・ちぃちゃんの病院と全く違う方向で大変だったと思います。 とても疲れたでしょう。 ありがとうございました。 おばぁちゃん 膝が痛かったり、おばあちゃんが病院に行きたかっただろうに家のことどうもありがとう。 安心して任せられたので、いーちゃんのことも心配せずにいられました。 どこに何があるかわからない台所で大変だったでしょう。 ありがとうございました。 taroちゃん 交代でちぃちゃんの相手をしている時間はとても長く感じたでしょう。 ちぃちゃんから完璧無視されていた時もあったようで、その頃は病院に向かう時胃が痛くなる 思いをしたと聞きました。 交代してくれたのでいーちゃんと過ごす事もできたし、助かりました。 帰国したばかりでやりたいこともやらないといけないこともたくさんあっただろうに、 ごめんね。ありがとうございました。私はロタウイルスに感染したちぃちゃんを奥の部屋に寝かせていた。いーちゃんや他の人に移ると思ったし、人が動いていない部屋の方がよく眠れると思った。でも痙攣が起こったとき、もし私がお風呂に入っていて誰も気付かなかったら。。。と思うと恐ろしい。これから病気の時は、みんなの目が届くところで寝かせないと怖いと思った。もしかしたら今回ももっと早くからひきつけていたかもしれないし、そうしていれば異変が起きたときに誰かが気付くだろうから。私は救急車はすごく大変な時でないと呼んではいけないと思っていた。だから、ちぃちゃんがひきつけをおこした時、熱性痙攣かもしれないと思い、どのくらい待てば非常事態と判断してよいのだろう。。。と思っていた。おじぃちゃんがすぐに救急車を呼んでくれたのだけど、子供に異変が起きたときは呼ばないよりも呼んだ方がよいと思った。後で「これくらいのことで」と怒られる事もあるかもしれないけれど、命には代えられない。遠慮して手遅れになるより、怒られた方がいい。ちぃちゃんのかかった脳症という病気。退院後に調べてわかったけど、治療法は未だ確立されているわけではないそうだ。2~3年前にステロイド療法の有効性が認められてきたところらしい。ちぃちゃんは救急搬送されてすぐにいろいろな検査をした。「念のため」の検査も多かったけれど、そういう検査もしておかなければ死亡・後遺障害時に裁判で医師が責任を問われた判例もあるそうだ。今回、救急で運ばれた病院はこのような症例をよく見ている病院だったようで運が良かった。最初に救急隊員が電話して断られた病院に行っていたら。。。そこは近くて便利だけど、当直が若手医師だし、まれなロタ脳症の診断・治療経験があったかわからない。救急隊員にもどこか希望はあるかと聞かれたが、突然の時に自分で病院・先生を選ぶのは難しい。普段からどこの病院が小児科に力を入れているかとか調べておくのは、知らないより知っておいた方がよいと感じた。そして、転勤族として考えてしまったのは、こういう稀な病気にかかったとき、前住んでいたような医療システムがビミョーな町だったら、ちぃちゃんは助かったのだろうか。。。ということ。夜間にかかる小児科もなければ、何かにつけて100kmれた大学病院に送ってしまう町では、手遅れになっていたかもしれない。こと特殊な病気に関しては、経験の多い都会の方がよかったなぁと感じた。いろいろな事が本当にラッキーだったと思う。これは、ちぃちゃんが無事に治ったから思える事かもしれないけれど。退院して改めてネットでこの病気を調べてみると、ちぃちゃんがこの短い時間でほぼ後遺症なく治ったことも奇跡的に思えてくる。元気な子が突然に変わってしまうことを思うと本当に恐ろしい。ちぃちゃんはとても元気になったけれど、手放しで喜んでいるわけではない。見えないところだけに、これから(後遺症が)わかることもあるのではないか。。。という不安もある。でも、家で過ごしているちぃちゃんを見る限り、今までのちぃちゃんと変わらないと思っている。パパが言った。『たとえこの先、ちぃちゃんが例えば数字が覚えられないとか何か障害がでてきたとしても、ちぃちゃんらしさが失われたわけではないんだから。勉強ができてもちぃちゃんらしさが失われた方が哀しい。だからよかったよ。』
2006.05.30
パパは『検査当日の退院はないだろう』と言っていたのですが、私は先生の口振りからなんか今日退院のお許しがでそうな気がしてなりませんでした。パパが術後ということもあり、朝検便をして退院の判断をすることになっていたのですが、起きてすぐから部屋の荷物を片づけて始めてしまいました。こんなに元気なのに検査は必要あるのかなぁ?仮にちぃちゃんの体内にまだウイルスがいたとして感染力はあるの?もし、その程度でパパの身体に異常が起きるとしたら、パパは無菌室で過ごさないといけないじゃないのっ!という思いになっていました。朝、先生が回診に来られました。『元気そうだねぇ。もし、菌がでたとしてももう感染力ないと思うんだよねぇ。検査する?』ということで結局検査はせず、めでたく今日退院が決まりましたっ。急いで残りの片づけを済ませ、パパ達の到着を待って会計を済ませました。結局、ちぃちゃんは12日間入院生活を送りました。私の食事代を含めて約17万円でした。でも、17万で命が救えたなんて安いものです。初めて、病室から出ることができたちぃちゃん。とても嬉しそうでした。久しぶりに外に出ての感想は『風がこしょばい(くすぐったい)(*^_^*)』でした。ちぃちゃんとこうして手をつないで外を歩けること。普通のことがとても嬉しいなぁと思いました。今朝、目覚めてすぐにいーちゃんが言った言葉。『ちぃちゃん、検査大丈夫だった?もう帰ってきた?』検査がよければ帰ってくるよと言っていたからでした。私たちはお昼頃に家に戻りました。いーちゃん、どんな顔で帰ってくるかな?学校から帰ってきたいーちゃん。玄関のドアをあけ、ちぃちゃの姿を見たいーちゃんは一瞬言葉を失っていました。いーちゃんがちぃちゃんに会えたのは10日ぶり。この日はずっとずっと2人で仲良く遊んでいました。もういーちゃんのちぃちゃんを見る目が違っていました。ちぃちゃんが口を開くと優しく見つめながら『うん、うん』と聞いてやり、何でも『いいよ、いいよ』と対応していました。おばあちゃんもいーちゃんとちぃちゃんの笑い声が家に響き、『よかった、よかった』と何度も言っていました。ちぃちゃんがいない間はとても笑えるような状況ではなかったでしょうから。私たち家族4人が揃ったのは実に3週間ぶりでした。本当に長い長い時間でした。
2006.05.29
ちぃちゃんは点滴が外れてから、リバウンドもなく順調に感じます。病室にいても点滴がなくなったため、検温くらいしかすることがなく。。。入院していることがスタッフの人たちにもなんか申し訳ないくらいに思えるようになってきました。主治医の先生も昨日を除き毎日回診に来てくださり、ちぃちゃんが元気になってきた今、ようやく先生を信頼できるような気持ちにもなってきたし、感謝の気持ちでいっぱいです。先生からは『明朝、検便をして問題がなければ退院も考えましょう』との言葉をもらえました。なんか、ようやくゴールが見えてきた感じで、サッカーで言えばロスタイムを守りきれば勝ちみたいな。。。明日が待ち遠しいような気分になってきました。そんな状態で妹と交代し、家に戻った私。大人達は安堵から少し気が抜けた感じになり、ついついおしゃべりになってしまいました。いーちゃんは限られたわずかな時間、ママを独占したいのに自分だけにむいてくれないので怒っていました。おじぃちゃんと妹をストレスのはけ口にしていたいーちゃんでしたが、我慢の限界にきていたと思います。元気な子にはついつい我慢させてしまって、解っていながらもかわいそうな思いをさせました。もう、私が誰かと口をきこうものならキレてしまったので、奥の部屋で二人っきりになりました。それでも時間がすぐ経ち、病院に行く時間になるとまた大泣きになってしまいました。この時点で、ちぃちゃんの退院が明日なのかあさってなのかはっきりしないので、いーちゃんに約束できなかったのはつらかったです。いーちゃん、ごめんね。後もう少しで、ちぃちゃんもママも帰ってこれるからね。
2006.05.28
今日はいーちゃんのバスケとピアノがあり、パパは早速いーちゃんと一緒に出かけたようです。いーちゃんのバスケ。最初はお笑い芸人のような動きだったのに、もう笑えなくなってきたとのこと。最初は下手でもやっているうちにそれなりになってくるものなのでしょうか。。。あの動きが見られないのは少し淋しい気もしますが。その後、ピアノが終わって2人でお昼ご飯(と言っても某ハンバーガー屋に行ったようですが)を食べに行ったようです。そこでパパが食べ物を運んでいると、いーちゃんが血相を変えて『いーちゃんが持つよ!』と飛んできたようです。パパの身体を気遣っての行動だったらしいです。パパの傷は首からみぞおち位まで約30cm。胸骨を切っての手術だったので、今胸骨をワイヤーで固定している状態。骨がひっつくまで3~6ヶ月かかるようです。そのため、パパは重いものが持てません。両手を上に上げることもできず、茶碗を持つのもツライらしい。。。家でもつい、いつもの調子で動こうものなら、パパの悲鳴が響きます。胸にはチェストバンドというものも巻いてますし、見た目も痛々しいです。パパの『痛っ。。。』という言葉に敏感に反応して、気遣ういーちゃん。パパは退院後、以前のように子供達がまとわりついてくると思っていたようなので、いーちゃんが自分のことをとても気遣ってくれてることに正直驚いたようです。いーちゃんはパパの病気を理解して、気遣えるような年齢にいつの間にか成長していたようです。
2006.05.27
今日、パパが退院しました。本当は5月末までの入院予定でしたが、ちぃちゃんの入院・いーちゃんの事が心配で1日も早めの退院を希望していました。10日分くらいのリハビリを3日でやったそうです。この循環器系の病気自体、高齢者が多いのでスタッフの人に『若い、若い』と言われ、調子に乗ってやったと言ってましたが。。。(^_^;)主治医の先生からは『まぁ問題ない』と言われたそうですが、看護師長さんからはかなり反対されたようです。私も私の両親達も早い退院に後々何かでてくるのでは?と心配しました。ただし、先生からは『下の子(ちぃちゃん)の世話をするために退院するのではないよね?』と強く念押しされたそうです。術後のパパには感染症は大敵なので、ちぃちゃんとの接触を先生は懸念されていた様子。(感染症になると人工弁に血栓がつきやすくなり、手術をやり直しということもあり得る)そして無事、お昼前に退院。手術・入院の費用は3割負担で127万円でした。パパの心臓に入った人工弁は国内では2年前くらいに認可された新しいもので、約100万円のものらしい。パパは『僕の持ち物の中で一番高い』と言ってます。昨日・おとといと2日間、母が広島へ一時帰りました。思いの外、大阪に滞在することになったため、家に戻りやっておかないといけないことをするためです。このため私は妹との交代はできず、いーちゃんとは会っていませんでした。いーちゃんとは2日ぶりのご対面。ご飯とお風呂と宿題をやって、じゃれあって遊びました。そして久しぶりにパパとも会えました。何日ぶりかなぁ?退院後のパパはかなりスリムになっていて、驚きました。あんなに減塩生活や減量生活をしても到達できなかったのに、夢の70キロ台になっていました。(四捨五入をすれば80キロですが。。。)出会ってからというもの、こんなスリムなパパを見たのは初めてでした。(この日以来『80キロを超えるな!』が私の口癖です)私が病院に戻るときにパパといーちゃんと一緒に行きました。先生に強く念押しされたにもかかわらず、パパはちぃちゃんの病室に少し入りました。ちぃちゃんは昨日から点滴も外れたので、とても元気!久しぶりにパパに会えて、テンションも高くなりました。いーちゃんは病室に入れないので、『ちぃちゃんに会いたい』と病棟の前で泣いてました。いーちゃんはママが病院に交代に行くとき必ず付いてきて、帰り際にはいつも外から大きな声で『ちぃちゃん頑張ってねー!!』と叫んでいました。が、ちぃちゃんの反応はありませんでした。今日もいつものように『もうちょっとだから頑張ってね~!!』と叫ぶと。。。『いーちゃーん!!』とちぃちゃんが初めて大きな声で答えたのです。久しぶりにちぃちゃんの元気な声を聞いたいーちゃんは、その場で泣き崩れてしまったそうです。パパはびっくりしていーちゃんに『どうしたん!?』と聞いてしまった程。いーちゃんは『嬉しい。。。』と言って涙が止まらなかったようです。一人、家族が戻り、いーちゃんはとても喜んだことでしょう。今日はパパと一緒に眠って、どんな夢をみたのかな?
2006.05.26
入院6日目。昨夜不安に思ったことを今朝の回診時に聞いてみた。『傾眠障害というものがあります』と先生は言われた。でも、今はハッキリどうこうとは言えない段階のようだ。今日は2回目の脳波検査の日。検査は眠らせて行うので、検査前には寝ないようにしておかねばならない。いつも午前中から眠くなってしまうため、できるだけ午前中に検査をしてもらうようお願いした。脳波検査は一番慣れている人も一緒に付きそう。前回はしっかりと眠った状態にならなかったため、できない検査もあったが、今日はちゃんと眠ってくれた。いっぱい頭にコードをつける。子供は汗をたくさんかくので、部屋には冷房・頭には扇風機で直接風をあてる。でないと、汗でクリームが浮いてコードが外れてしまう。眠らせたら検査。ライトをチカチカあて、このチカチカの速度をだんだんあげていく。その後、少しちぃちゃんの身体を起こして浅い眠りに変える。その状態で、私がちぃちゃんの耳元で名前を呼ぶ。ただし、身体に触れてはいけない。先生の指示に従いながら、名前を呼ぶ。結構、大きな声で叫ぶ感じ。“ちぃちゃんに届け!”と願いながら大きな声でちぃちゃんの名前を呼んだ。これで何がわかるのかよくわからないけれど、先生から『反応してる、してる。』と言われると嬉しかった。検査は約1時間かかった。検査の結果は多少の徐波(脳症特有の波形)は残っているものの、前回よりかなりよい波形になったとのこと。この脳波検査というのは結果を見るのが大変難しいようだ。大人であれば、たいてい皆同じ波形を示すらしいが、成長期の子供では個人差があるらしく中学生の子でも小学生の波形をする子もいたりする。もっと幼いちぃちゃんくらいの年齢になると、それが障害によるものなのか成長途上のものなのか判断が難しいところなのだそうだ。先生は『恐らく後遺症もなくいけそうな感じですね』と言われた。入院7日目。今日はCT検査の日。この検査も眠らせて行う。検査時間がはっきりせず、眠くなるちぃちゃんを寝かさないようにするのは苦労した。眠り薬を飲ませてから、点滴を入れている手が痛いとちぃちゃんが言い出した。見ると手がパンパンに膨らんでいる。午前中から痛みを訴えており、その都度確認してもらっていたのだが、やはり痛かったんだ。。。眠りそうにないので、看護師さんを呼び結局点滴を抜くことになった。15時くらいから検査が始まった。入院当日に撮ったものと比較した結果、腫れて確認できなかった脳室がちゃんと写っていた。脳圧も下がっていた。脳波の時も感じたが、前よりはよくなったのかもしれないが、ちぃちゃんの正常な時と比べられないのが少々不満というか不安だった。でも、健康なときのデータなんて無いからどうしようもない。入院当日よりは良くなっているかもしれないけれど、正常なちぃちゃんに戻したいという気持ちがあるからかもしれない。特に頭の中のことは目に見えない部分だし、そういう検査ではっきりと比較して見ることができたらすごく安心なのに。ちぃちゃんは一度点滴の針を抜き、また針をいれるのか。。。と思っていたが、結果が良好だったからか点滴なしで様子をみることになった。一応、脳波・CTの検査でよい結果がでたので、点滴をはずし3日程様子をみてリバウンドがなければ、退院できそうになってきた。
2006.05.25
ちぃちゃんが脳症にかかり、入院して5日目。ちぃちゃんは朝起きてすぐ『おやつまだ?』と何度も聞いてくる。食べることしか楽しみがないからだろう。今日は特別ボーっとしているように感じなくなった。グズるちぃちゃんが家から持ってきた人形でようやく仲良く遊び始めたとき。急に部屋に5~6人の先生や看護師さんが入って来て、『お母さんは部屋から出てください』と言われた。血液検査を行うためだった。身体が動かないようにするため大人数で押さえつけているのだろう。怖いし、痛いしでちぃちゃんは大泣きになっていた。部屋の外で待っている数分の間に声をかけられた。『いーちゃんのお母さん?』私はこんなところで声をかけられ、本当に驚いた。それは、なんといーちゃんの学校の隣の席の男の子のお母さんだった。この男の子、以前学校が始まって早々よく居眠りをするKくんだ。いーちゃんはKくんが居眠りをするので、お手紙をたたんであげたり色々お世話をしていた。Kくんのお母さんも他の人からこの事を聞いていて、先日の参観日に私といーちゃんにお礼が言いたかったそうなのだ。いーちゃんにお礼を言った後、話をして妹がこの病院に入院したことを知っていたらしい。私はこのKくんのお母さんはお勤めをしていて、忙しい人と噂で聞いていたので、夜もついつい寝かすのが遅くなるのかな?とずっと思っていた。『今日はどうしたの?』と尋ねると、Kくんの弟が入院しているとのこと。しかも、ちぃちゃんの隣の病室だった。あまり詳しい話は聞けなかったけれど、Kくんの弟は3年くらい入院していてずっと昏睡状態が続いているのだそうだ。夜、隣の部屋からの機械の音が響くのでどんな重い病気の子だろう。。。と思っていたのだった。それが、自分も知っている人の子だったなんて。Kくんのお母さんはこの病院生活も長く、病院の近くのお店やお風呂など色々アドバイスもくれた。子供がすごく重い症状だけれど、お母さんは前向きで強さを感じた。私は今日の出会いにすごく驚いたし、話はショッキングだった。いーちゃんから聞くKくんの話に色々思っていたけれど、そんな事情があったとは全然知らなかった。私はこの数日で“大変だ”と思っていたことが恥ずかしくなるくらいだった。そして、ちぃちゃんが元気なことに感謝。ちぃちゃんの血液検査では異常なしだった。脳圧を下げる薬・ステロイドなどが1日1回に減った。ちぃちゃんも私自身も少しラクになった。そして、部屋の中を歩くようになった。久しぶりで歩けるか心配だったけれど、ゆっくりとちゃんと歩けた。でも、腰が落ちお猿さんのよう。長い間、ベッドの上だったので身体がのばせないのかも。そして、浣腸をして便の検査をした。なんと、まだロタウイルスが残っているらしい。。。発病して1週間経っているのに、まだ残っているなんて!私はロタが憎い。今日は入院しているなかで、一番ちぃちゃんらしさを感じ、嬉しく思った。でも、ちぃちゃんは元気になっても午前中はほとんど寝ている。子供って元気になれば、昨日の病気が嘘のようになるのに。こんなに眠るものなのだろうか?これはもしかして、こういう障害だったりして。。。考え出すと不安になる。明日、もう一度脳波の検査がある。検査をしてはっきりしたことが判るのが少し怖い。
2006.05.24
パパもちょうど1週間前に心臓の『大動脈弁閉鎖不全症』の手術を終えたばかり。でも、ちぃちゃんが入院となり、パパのお見舞いに行けなくなった。代わりに私の父と妹が行ってくれた。パパの入院予定は術後2週間。でも、パパもちぃちゃんの病名を知り、情報がない環境でとても不安だったようだ。子供の顔も状態も見ていない状況を考えると私より不安は大きかっただろう。実際、病名を聞いた時点で命があっただけでホッとし(死亡率50%くらいと思っていた)、重度障害の後遺症は覚悟していたようだ。パパの主治医にもちぃちゃんの病気を伝え、一日も早い退院を希望したという。今日の心エコー検査で問題なければ、今週末に退院の可能性がでてきた。そのために約10日かけて行うリハビリを3日でクリアするつもりらしい。パパのおかれた状況ではいてもたってもいられなかっただろう。でも、今無理することで一生泣くことにならないようにしてほしい。誰も代わってあげることはできないのだから。入院4日目のちぃちゃんは、少し元気になったのでお粥からだけどご飯がはじまった。何日ぶりのご飯だろう!とっても喜んでお粥を食べた。ちゃんと自分の手で、いつもの食べっぷりで。そして、おやつもでた!といっても、赤ちゃんせんべい。それでも、今のちぃちゃんには立派なおやつ。先生は回診で『家にいるときと比べてどうですか?』と尋ねる。起き抜けはやはりボーとしていた。(日頃は、寝起きからスパッと起き、今まで起きていたかのように普通に喋りだす)でも、時間が経ち、おしゃべりしていくうちに違和感はあまりなくなった。少しろれつが回っていないときもあるけど。今日のちぃちゃんは昨日よりはいつものちぃちゃんに近くなったと思う。この環境にも少し慣れた感じもするし。でもね、環境が全く違うし『いつもと同じか?』と言われても比べるのが難しい。この病院の小児病棟には保育士さんが1人いる。遊戯室もあるけど、ちぃちゃんのような点滴をしている子はそこでは遊べない。部屋を出られない子・付き添いの親が所用で部屋を空けるときなど子供を見てくれたり、紙芝居や制作などその子に合わせた内容を考えて遊んでくれる。今日、初めて保育士さんが遊びに来てくれた。この息の詰まるような部屋で保育士さんは唯一ちぃちゃんにとって楽しい時間を作ってくれる人になった。でも、病室は他にもたくさんあるし、ちぃちゃんだけに時間を割くわけにはいかない。楽しい時間はあっという間だ。元気になったちぃちゃん。夜、寝返りをうつようになった。狭いベッドに添い寝しているので寝返りされるとツライ。特に夜間にも行われる脳圧を下げる薬が入ると血管痛があるらしく、うんうん唸りながら激しく回転する。点滴の管もぐるぐる巻きになっていくし、管が身体の下敷きになっては点滴が落ちない。点滴が終わればアラームがなるし、やっぱり私の睡眠不足はまだまだ解消されないようだ。でも、これもちぃちゃんが元気になってきている証拠だ。
2006.05.23
ちぃちゃんがロタウイルスから高熱をだし、ひきつけで救急車に運ばれた。そのまま入院し、脳症と診断されて、3日目。やっと熱が下がり少し元気がでてきたちぃちゃん。妹と交代すると、すぐに眠った。朝目が覚めて、泣きわめきだした。『ママがいいーっ!!』『早くお家に帰りたーい!!』昨夜、ちぃちゃんらしさが垣間見られたと思った。でもママがいるのに『ママがいい』と言う。昨夜自分が寝ている間に交代していたから、また交代していると思っているのだろうか?私と妹がよくわかっていない感じがする。なんかそう思えた。やっぱり、大きな病気をしたんだからそんなすぐには治るはずないよね。。。喜んだ分、現実を突きつけられまた落ち込んだ。ちぃちゃんだって一生懸命頑張ってるんだ。ちぃちゃんのペースに合わせなきゃ。平熱になって喜んでいたのもつかの間。ちぃちゃんは自分がどういう状況にいるのかが判り、『病院いやだー!家に帰りたーい!』『ママがいいーっ!!』とずっと泣いた。泣いている間ずっとベッドで抱っこしていた。今日だけで3時間以上この状態だった。これが毎日続くのかな。。。元気になって嬉しいんだけど、大変だ。。。黙って眠っていた時はオムツをはかせていても大丈夫だったけれど、抵抗する。ちぃちゃんは点滴や心電図などの機械をつけているだけでなく、菌を持っているので部屋からは出られない。なのにトイレに行きたいという。簡易トイレを部屋に入れてもらい、起きているときはトイレでするようになった。でも、点滴などのコードがたくさん付いている状態で、数日ご飯を口にしていないちぃちゃんは立つ力もない。脱力のちぃちゃんを抱えてトイレ・着替えをするには一人では無理でそのたびに看護師さんを呼んだ。水が飲みたいというので部屋の中の冷蔵庫まで数歩離れるだけで、ベッドで仁王立ちになり振り返ると点滴を抜こうとしている。トイレで部屋を出ることもできない。ちぃちゃんは置いていかれるような不安があるのだろうか。それより何より、狭く何もない病室で痛い点滴、自由にならない手。かなりのストレスを感じられた。今日はおじぃちゃん・おばぁちゃんが部屋に顔を見せてくれた。入ってきても遠い目をして反応のないちぃちゃん。誰かわかっていないのだろうか?私は医学的なことは全くわからないし、原因は違うけれど記憶喪失ってこんな感じなのかなぁ?と感じた。あれこれ家族のことや昔あった思い出など話してちぃちゃんの反応を見たい気持ちも少しあったけれど、そこに触れないように会話するよう努めた。『今日も雨だねぇ。いつ晴れるかな~?』とか。。。そして、いーちゃんも病院に来てくれていたのだけれど、いーちゃんは小児病棟へ入ることができない。病室に入ることができたら、ちぃちゃんにももちろん会えるし、私との時間ももっといっぱい過ごせたのに。いーちゃんは一緒に来た大人達は順番にちぃちゃんの部屋に入っていけるのをみて、とてもつらかっただろうと思う。ちぃちゃんの病室は3階。外は表の駐車場に面していたので、ベッドの上に立ち窓から顔をだせば会話はできなくとも、顔をみせることはできるかも!と思いやってみた。いーちゃんは大きな声で『ちぃちゃーん!病院頑張ってねー!!』と何度も何度も言ってくれた。ちぃちゃんはいーちゃんの顔をみても、あまり反応はなかった。ちぃちゃんはいーちゃん達が帰ってから、『いーちゃんと一緒に遊びたい。。。』と静かに泣いていた。そして、今日はずっと『イヤだ、イヤだ』と泣いていたのにいーちゃんからもらった手紙を見ながら静かに眠った。ちぃちゃんの後遺症は何がどの程度のこるのだろう。。。そして、ちぃちゃんの人生はどうなってしまうのだろう。人間は欲深い生き物だ。最初は生きてさえいてくれれば。。。て思っていたのに、今は障害が残らないことを願っている。今もちぃちゃんなんだけど、違う別人のように感じてしまう。前のちぃちゃんに会いたい。元気なちぃちゃんの笑顔を見たい。この時点で病気のことも後遺症のこともよくわからない私は、とても不安だった。
2006.05.22
今日は私の誕生日。一年前は一年後にこんなことに家族がなっているなんて思ってもみなかった。パパの心臓の病気(大動脈弁閉鎖不全症)の手術・入院中にちぃちゃんの脳症による入院。ダブルでこんなことあるのかって。。。悪いことが重なる事って本当にあるんだ。。。ちぃちゃんは諸々の検査から脳症であることがほぼ断定された。先生はこの脳波検査で決定的確認がとれたため、ステロイド等を投薬することを私に告げた。脳症って何?どんな病気なの?どんな後遺症があるの?詳しく知りたい!でも、24時間付き添い。家に戻れた短い時間はいーちゃんと思いっきり過ごしたい。パソコンで調べられるものであれば調べたかった。情報のない状態がとても不安だった。よく“インフルエンザ脳症”を耳にしたことがあると思います。ちぃちゃんがかかった“脳症”もこの“インフルエンザ脳症”と同じだったのです。原因がロタウイルスであっただけで症状は同じものなのだそうです。ただ、原因のほとんどがインフルエンザであることが多いためこのように呼ばれているようです。ロタでも突発性発疹でもまれにこのような症状が起こることがあるとのこと。【脳症とは】脳の中にウイルスも炎症細胞も見あたらないが(ある場合は脳炎という)それでも脳が腫れ、頭の中の圧力が高まる。このため、脳全体の機能が低下し、意識障害を起こす【脳症の特徴】○主に6歳以下の子供が多発し、発熱から数時間~1日と神経症状が出るまでの期間が短い○主に痙攣・意味不明な言動が急速に進行する意識障害が症状の中心である○死亡率30%・後遺症25%の重い疾患○現在まで我が国で多発・欧米での報告は非常に少ない(このときは上記のような情報は知るはずもなく、死亡率・後遺症率などそんな恐ろしい数字とは思いも寄らなかった。)年間にして約300人の人がかかると言われている脳症。その中でロタウイルスが原因でかかる人が何人いるのだろう。その内の一人が我が子になるなんて。。。気になればすぐ病院にかかっていたのに、しかも病院で点滴を受けた数時間後にこんなことになるなんて。私の行動でどこか悪いところがあったのだろうか?どこがいけなかったのだろうか?もし、違う処置をしていればこんなことにはならなかったのだろうか?色々考えた。ちぃちゃんはこの日の夕方(脳波検査後)平熱に戻った。とりあえず“熱だけでもさがって!”と思っていたので嬉しかった。今朝も平熱なので熱の心配はこれでしなくてもいいかもしれない。夕方、妹と付き添いを交代した。入院準備とお風呂も入ってないし。。。すごく落ち込んだ気分でいーちゃんにどうやって接すればいいのか帰りの車の中で悩んだ。車中でパパに電話をした。少し、気が晴れた。限られた時間だ!いーちゃんと目一杯楽しく過ごさねば。心を切り替えた。いーちゃんと過ごせる時間は約3時間。宿題・お風呂・夕飯・お布団でじゃれあいっこ・本読み・寝かしつけのフルコースができた。いーちゃん。おやすみ。ごめんね。ちぃちゃんのところへ行くね。明日の朝、目覚めて私がいなかったらどう思うかな。。。お手紙を書いて出かけた。とてもとてもつらかった。熱が下がったちぃちゃん。少し元気になったようだ。妹は独身。子供は少々ニガテ。病気の子供と付き合うのは大変だったろう。特に病気をしているときは母親が一番に決まっている。妹が付き添いしている間『ママがいいーっ!!』と泣き叫び、ベッドから降りようとしたらしい。妹はちぃちゃんに今朝のいーちゃんの話をしたらしい。妹:『今日、いーちゃん朝の支度すごかったんだよ。めちゃ早かったんだよ~』ちぃ:『そんなの今日だけに決まってるわ』(本当に1日だけでした。。。汗)この話を妹から聞いたときは耳を疑いました。その切り返し、その反応はまさにちぃちゃんだっ!!病気のなかでちぃちゃんらしさを感じられるとき、とても幸せを感じます。今までは当たり前の普通で何でもなかったことなんだけど。妹と交代するまでほとんど寝ていた状態だったので、嬉しかった。妹は私が帰ってくる間とても長くつらい時間だったのだろうけど。どんな後遺症が残るのかわからないけれど、“私はあきらめないぞ”と前向きな気持ちになっていった。
2006.05.21
いーちゃんの最初の参観日だった。親子でとても楽しみにしていたけれど、行くことができなかった。代わりにおばあちゃんが行ってくれた。とても大きな声で歌っていたらしい。学校の参観は4時間目の30分と給食の準備の様子30分になっていた。給食当番になっていたいーちゃん。当番の様子を友達が写メールで送ってくれた。頑張って配膳している様子が伝わってきた。後の掲示板には自分の宝物を3つ書いて貼っていたらしい。いーちゃんは“ピアノ・一輪車・家族”と書いてあったそうだ。パパの入院だけでも家族の大切さをわかっていたいーちゃん。聞いて涙がでた。いーちゃんは昨日の出来事をちぃちゃんを知っているお母さんを見つけたら話したらしい。参観に私が来ていなければ、みんな“?”と思うだろうけどまさかこんなにすぐ周りに知られるとは思っていなかった。いーちゃんも喋らずにはいられなかったんだと思うけど。朝出かける前、いつも支度が遅いいーちゃん。今日は30分以上前から支度が完了していたそうだ。いーちゃんなりにしっかりしなければと感じているのだろうか。この子が頑張りすぎてしまわないだろうか。。。と心配になった。私はパパにどう報告するか悩んでいた。パパも術後数日でこのことを知らせない方がよいのか。でも、ちぃちゃんが嘔吐下痢になっていた事はすでに知っている。今朝、熱が下がっていれば黙っておくことも考えたが、近日中にわかるのであればちぃちゃんの父親である彼には今日知らせる方がよいのかなと思った。何度も心配のメールをくれていたのに、返事を電話で直接話せたのはお昼だった。私から返事がなかなか返ってこないのでパパはこのことを予感していたと言った。パパは『自分は順調だからちぃちゃんにしっかりついていてあげて』と言った。ごめんね。パパのところに行けなくて。パパは自分の目で確認したかっただろう。ちぃちゃんのもとへ行きたくても行けず、とてもはがゆい思いをしたと思う。病院の小児病棟は面会禁止。そして、24時間付き添いが必要。先生からは最低1週間は入院が必要と言われた。たまたまパパの手術のために私の両親と妹が広島から来てくれていたので、父が運転・母が家事・妹がパパの病院と私の交代をしてくれた。私と会えるのは病院にお風呂がないため、家にお風呂とご飯に帰る時間だけ。いーちゃんはちぃちゃんの顔をみることもできない。おじぃちゃん・おばあちゃん達がいるとはいえ、いつも一緒に暮らしている家族が家からいなくなり、いーちゃんはどれだけ心細く淋しいことだろう。まだ6歳の幼い子供。未だに私にひっついて寝ないと眠れないのに。いーちゃんのことを思うと本当につらかった。でも、家族で元気なのはいーちゃんとママだけ。いーちゃんが入院中のパパに書いた手紙が二人の合い言葉だよ。“いつも みんな いっしょだよ”ちぃちゃんは今日もよく眠っていた。ただ、生きてくれさえすればそれでいいと思った。時折、ふっと目を開いた瞬間に笑うと笑い返してくれる。その顔を見れただけで、幸せに感じた。ちぃちゃんが目を覚ました時、ぽーとして表情がちぃちゃんらしくない感じがした。寝起きだから?誰が誰かよくわかっていないからだった。私が『ちぃちゃん』と呼ぶからなのか自分のことを『ちぃちゃんね。。。』と言った。私は自分で『ママがやろうか?』などと言うからなのか、ちぃちゃんは私のことを『ママ』と呼んでくれた。これは覚えてそう言っているのか、今刷り込まれて言っているものなのか区別がつかなかった。携帯の写真のいーちゃんを見せたけれど、遠い目をするだけでわからない様子だった。私の声もちぃちゃんの耳に届いているのか。。。よくわからない。ちぃちゃんに色々質問して確認したいという気持ちと知りたくない気持ちと。。。怖かった。そして、喋るとろれつが回っていないというか、ちぃちゃんが何を喋っているのか理解できなかった。今、この子の体の中で何が起ころうとしているのか?目に見えないだけにとても不安だった。見れるものなら、見てみたいと思った。今日は午後から脳波の検査だった。脳波の検査は眠らせて行う。眠り薬を飲んだけれど、ちぃちゃんは寝そうで結局寝なかった。が、頭にいっぱいコードをつけられていても大人しく、できる範囲で検査は行われた。検査の結果、徐波という脳症特有の波形が確認された。ちぃちゃんは、軽い脳症であると思って間違いないと診断された。
2006.05.20
昨夜、奥の部屋でスヤスヤ寝ていたちぃちゃん。私は疲れて食欲もなく、お風呂に入る気力もなくなっていた。21:30。いーちゃんを寝かしつけようとした時、ちぃちゃんの『ひっ』という声が聞こえた。見に行くと、ちぃちゃんはひきつけを起こしていた。ガタガタと震える手を押さえながら『誰かきて!!』と言うけれど声が届かない。私の大きな声に驚き、ちぃちゃんのひきつけがひどくなった。“どうしよう”と思ったけれど、もう一度助けを求めたら気付いてくれた。私が手を母が足をちぃちゃんのガタガタが少しでも治まるよう願いながら押さえていた。父と妹が救急車に連絡してくれた。ちぃちゃんの目は焦点が合わず、両手足の震えがひどく口からは泡をふいていた。いーちゃんはちぃちゃんの変わり様とパニックになったみんなの様子におびえて泣いていた。間もなく救急車が到着。酸素マスク(かな?)をつけ、しばらくするとひきつけは止まったものの、意識はなかった。この状況のこの映像を残したまま、私とちぃちゃんが去ってはいーちゃんのショックは計り知れないと思った。『いーちゃんも一緒にくるっ?』と聞くと『行く!』と答えたので連れて行った。小児科医が在中する病院に到着したのは22時をまわっていた。23時、ちぃちゃんの入院が決まったので妹と帰ってもらった。いーちゃんの寝る時間は遅くなってしまったけれど、多分、病院についてきていた方が精神面ではよかったのではないかと思う。いーちゃん、明日の参観(音楽)、行けなくてごめんね。でも、ママは見に行けなくても、病院にいても、いーちゃんの歌声は聞こえるから大きな声で歌ってね。ちぃちゃんには拷問のような検査が続いた。私はこの夜ここ2日間のちぃちゃんの症状を5人の医師やスタッフに話した。ちぃちゃんは採血・点滴・腰から髄液の検査・CT・浣腸(お腹に何もないので1時間くらい何もでなかった)検尿のための袋をお股に貼る(水様の便が混じるので何度もやり直し。柔らかい皮膚に粘着テープを何度も貼り直し。)ちぃちゃんは『痛いー!!やめてー!!』は言うのだが後はすべて『ばばばばば。。。』と意味不明な事を言う。痛み刺激はあるようだと先生が言っていた。目も、顔も。。。本当に怖い怖い顔だった。よい表現が見つからなくてこんな表現使いたくないのだけれど。“気がふれた”という言葉が合うかもしれない。。。先生は私の話と今のちぃちゃんの症状から、熱性けいれんと脳症とどちらかという判断は今は難しいと言った。が、脳症かもしれないということですぐに脳圧を下げる薬・抗生剤の点滴を入れるという。でも、この病気でなかった場合、この薬を入れていて大丈夫なのか?こんな検査が必要なのか?そんな事をしなければ普通のちぃちゃんに戻るのではないか?この病院は信用できるのだろうか?この先生は経験があるのだろうか?パパだったら先生にどんな質問をするだろうか?もしも私が“止めて!!”と言ったら。。。でも今さらよその病院には移れない。脳症って聞いたことあるけど、具体的にどんな病気なの?先生の言われるまま、何も言えない自分に無力さを感じずにはいれなかった。ちぃちゃんにとって本当に苦痛でしかない検査が続き、狂ったように泣きわめいた。そのうち看護師と私の顔も区別がつかなくなってしまった。。。私は顔の見える位置にいて声をかけていたのだが、声をかけるだけですごい形相で『イヤだー!!やめてー!!』と泣き叫んだ。『ちぃちゃん!!ママだよっ!!』何度か声をかけたけれど、ちぃちゃんがおびえて怖がるだけ。今は言えば言う程刺激してしまう。。。と思いあきらめた。ちぃちゃんはそんな検査が続く中、痛みを感じなければスッと眠りに入っていく。パパがいない分、しっかりしなければと気を張っていたけれど、こんな哀しいことはなく涙が止まらなかった。ちぃちゃんが私の顔もわからなくなってしまった。。。入院病棟へ移り、ちぃちゃんに心電図,酸素・心拍数を測る機械が取り付けられた。ちぃちゃんの体温を測ると39.7°看護師さんが座薬をいれるという。さっきもいれたのに。。。本当に大丈夫なのだろうか?体温が高いからか心拍数も190を超えるときもあった。(通常、子供で100。寝ているときは50を切ることもあったので相当高かったと思う。)やっと私が落ち着けたのは朝の3:30だった。看護師さんが部屋を出入りしたり、点滴や機械のアラームがなったり、寝付けなかったりで多分1時間くらい寝れただろうか。。。でも、朝になってもちぃちゃんの熱は39.4°なんで下がらないの!?私はどこかで“一晩経てばいつものちぃちゃんになってるはず”と思っていた。でも、それは現実にはならなかった。哀しくて哀しくて一人で泣いた。いっぱい泣いた。
2006.05.19
(私が今、パソコンを使えない状態なので代理で妹に入力してもらってます) 昨日のパパの状態を見て、できるだけ毎日、顔を見せにきたいな、と、思ったのですが、今日は、具合の悪いちぃちゃんの方に付いておく事に決めました。パパの病院へは術後、まだパパに会えていない、おじいちゃん、おばあちゃんにおまかせした。今日は歩行テストをしたらしい。ちぃちゃんは、昨夜、夜間診療で「峠は越えた」と言われていたし、それ以降、嘔吐もなく、安心していた。朝から、38°の発熱で眠っていたが、次起きればだいたいちぃちゃんの発熱は、夜、寝ている間になり、朝起きた時はひいてるパターン。お昼頃起きて水分を欲したので、薬と一緒に与えたら、嘔吐した。夜間診療で、「次の日も症状があれば、座薬もう一つ投与していい」と言われたので、”入れよう”と即決した。これで、座薬が3回目になるちぃちゃん。私がこれから何をしようとしているのかすぐわかり号泣(>__
2006.05.18
今朝、起きたらちぃちゃんのが昨夜かゆいと言っていたところに大きな発疹。色々考え、すぐに小児科へ連れて行き幼稚園バスに間に合うように行ければと思った。でも、トイレに行くと下痢が止まらなかった。。。パパが手術後ICUに入っており、今日の面会は11:15~15分間。なんでこんな時に(T_T)でも、小児科は今日午前中のみだし、早く行っておかねば。小児科で待っている間にちぃちゃんは嘔吐してしまった。。。(>_
2006.05.17
今日、パパの手術を行いました。とりあえず、手術は無事終わりました。先生から言われた時間通りぴったり5時間・15時頃終わりました。でも、意識が戻っていないためまだよくわかりません。少しICUに入り、顔を見ました。意識のない顔を見るのはつらいです。今後、このような状態の顔は見たくないものだと思いました。多分、明日の朝には目を覚ましていると思います。パパ、お疲れさまでした。頑張ったね。
2006.05.16
パパが『大動脈弁閉鎖不全症』と診断され、手術を受けることになりました。手術は明日です。今日は夕方18時~手術についての説明が行われました。手術前でも見た目はなんら普通で元気に見えるのに。まだ手術に関して、ピンとこない私でした。説明はおよそ1時間にわたり行われました。この病気の説明、そして手術のやり方、この手術をするにあたり予想される合併症の説明。パパはこの病気を治すためには、人工弁をつけることになります。生体弁と器械弁のうち、年齢が若いため器械弁をつけることになりました。生体弁ではすぐに痛んでしまうため、生きている間にまた何度か手術を行わなければならないためです。私はこの器械弁の実物を初めて見ました。こんなものを身体にいれるのか。。。となんとも言えない気持ちになり涙があふれてしまいました。パパの手術は胸骨を切って開き、心臓を取り出して行います。手術の間は特殊な薬につけて心臓を止めておくのだそうです。そのほかにも色々な説明を受けましたが、血が固まらないための薬を入れたり(心臓を取り出して機械を通して血液を循環させるため)器械弁を血管に縫いつけるなどなど、人間の身体はどこまで強いのか。。。そしてそれを人間(先生)がやる。医学のすごさにただただ驚くばかりです。本当にそんなことができるのだろうか。と。つい、説明する先生の手をみつめてしまいました。明日、よろしくお願いいたします。帰りの遅い私を子供達がまだか、まだかと待ってくれていました。帰るとかわいいお店やさんが並んでいます。私が留守の間、二人で鯉のぼり(幼稚園などで制作したからでしょう)を作って並べていました。帰るやいなや『いらっしゃい、いらっしゃ~い。鯉のぼりですよぉ』と大きな声。二人オリジナルのかわいくて、すごい力作の鯉のぼりでした。明日はパパの応援をしようね。
2006.05.15
パパの手術にあたり、私の両親と妹が来てくれました。今まで心細かったのが、家族が来てくれるだけで心強く思えます。遠方からありがたいものです。驚いたのは、実家の近くの神社で祈祷をしてきてくれたこと。私はそんなこと思いつきもしなかったので、感動でした。誰がしてくれるでしょう。ありがたいです。
2006.05.14
子供達を連れてのお見舞いは何度目でしょうか。パパは会えない分、そして術後しばらく今までのように遊べないため、いっぱいいっぱい抱っこします。あまり心臓に負担かけられないのに。今日は術前説明が行われる予定でした。でも、先生に緊急手術が入り長引いているためキャンセルとなりました。子連れで説明を受けることに少し不安があったのでほっとしたような。。。でも次回は手術前日の夕方18時から。手術当日の朝が早いので避けたいところでしたが、仕方ありません。病院の都合で待たされたり、キャンセルになったりということは少なくはありません。でも、小さな子供を抱えて、病院という場所で内容が重たいので、こちらも予定が変わると疲労を感じます。でも気分を切り替えて、頑張らなければ。
2006.05.13