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カテゴリ:英語
小学校英語の現場から離れてしばらく経ちましたが、導入されてから何年もたった今もなお、英語教育の内容があまり改善されていない事に強い懸念を感じます。
今日の新聞の鳥飼玖美子さんの記事にも、以前私が日記に記した事とほぼ同じ事が書かれていました。彼女も小学校の英語必修化に反対の立場です。理由はやはり導入条件が整っていないからです。 私たち親の世代を含む大人からは、よく「自分達は文法ばかりで英会話は教えてもらわなかったから英語を話せない」とか、「小学校から始めればしゃべれるようになっただろうに」等という声をよく聞きますが、本当にそうでしょうか? 中学から初めて英語を習う人がほとんどだった世代でも、英語が堪能な方は沢山います。中学から始めたって、英語力はつけられるという証拠です。そういう人は才能があったから、頭が良かったから・・・と言われるかもしれませんが、何事も努力なくして力はつきません。楽に英語ができるようになった人なんて皆さんの周りにいますか?海外に長く住んでいた以外(これはこれで現地での苦労がありますが)、皆努力してその力をつけたのです。それは、中学から始めようが、小学校から始めようが、今の丸投げ状態では結果は同じだと思います。逆に、早くから英語嫌いを生みだしてしまうだけかもしれません。 そもそも英語ができるって、どういう事を指すのでしょうか?挨拶ができる?簡単な日常会話ができる?外人とコミュニケーションがはかれる? オーストラリアにいた頃、簡単な日常会話はできるけれど、文法が滅茶苦茶で、単語を羅列してしゃべっているような20代の女の子がいました。英語があまり得意でない人から見れば、すごく英語ができるように見えますが、英語がわかる人間から見ると、しゃべっている英語はいい加減で、オマケに内容もなく、これでも英語ができるっていうのかなぁ~?と考え込んでしまうような状況でした。 つい先日も、職場から1ヶ月北米に英語研修に行った人の帰国報告があったのですが、英語力はアップした、友達との会話もあまり不自由はなかったと言いながら、単語を並べてしゃべっているような状況で、英語の先生からは、きちんとしてセンテンスで話すようにと注意されたと言っていました。単語の羅列で意思疎通ができるのを英語ができると言うのでしょうか? と、厳しい事を書きましたが、サバイバルイングリッシュであれば、意思疎通ができればいいので、正確な英語が話せなくても構わないのです。コミュニケーションできるという事が大事なのですから。 でも、「英語教育」として考える場合、それでは意味がありません。以前にも書きましたが、英語はツールです。それを使って何を伝えるか。伝える元の日本語力やコミュニケーション能力がない人に、英語で何が伝えられるでしょうか?小学校英語で考えて欲しいのは、そこなのです。日本語を育む前に英語を、それもいい加減に導入する必要があるのでしょうか? 鳥飼さんも、あいさつや買い物の決まり文句を早くから教え込む必要はない、大事なのは中身だと書かれていましたが、本当にその通りだと思います。サバイバルイングリッシュであれば、なにも小学校から英語を導入しなくてもよいと思うのですが・・・。 英語は勿論できないよりできた方がよいと思いますが、絶対に全員できなければいけない物ではないと思います。英語を使って伝える「中身」のある人間性を育む事の方が大事なような気がしてなりません。 ・・・とは書きましたが、以前も書いたように、私は決して全面反対派な訳ではありません。きちんとしたポリシー、教材、人材、長期的展望などの条件さえ整備されれば、小学校から英語を導入するのは賛成です。それにしても、最初に「小学校に英語を!」という声が上がってから早10年経とうとしているのに、依然として整備されない日本の小学校英語教育、早く何とかして欲しいです~~~! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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