花輪囃を観に
夏休みで帰省中の息子は、今日一人で夫の生家に出かけた。日本三大ばやしのひとつ、花輪ばやしを観るのが目的のひとつ。三大のほかの二つは、神田ばやし、祇園ばやしだ。花輪ばやしは息子が2歳か3歳のころ観たことがある。各町が1台ずつのきらびやかな屋台を引き、屋台には子供から青年までのお囃子隊が乗り込んでいる。笛、太鼓、三味線、鐘などによるお囃子は毎年相当の稽古を積んで、代々受継がれているようで、付け焼刃でない年期が感じられる。何より、お祭りらしい熱がある。暗い沿道で、屋台が次々に、それぞれのお囃子を奏しながら進んで行くのを観ていると、身体の中から発熱してくるような感覚が湧き上がってくる。狂気がないのはお祭りではない。予定調和に行儀よく収まる冷え冷えした『お祭りもどき』も時に見られる中、花輪ばやしは本物だと思う。初めてそれを見せたとき、息子は目をいっぱいに見開いてそらそうとしなかった。未分化な、動物としての感覚にダイレクトに訴えてくるパワーを受け止めていたのだと思う。19歳になった今は、どういう感想を持つだろう。