昨日の小熊英二
朝日新聞はやめてはいませんが読むモノは限られています。これはその少ない一例。10月31日論壇時評「 明日を探る 小熊英二「脱原発」実現しつつある日本福島第一原発事故後に、もっとも劇的に脱原発した国はどこか。そう質問すると、多くの人が「ドイツ」と答える。しかしドイツは、政府が脱原発を宣言したが、実際には多くの原発を動かしている。 では、政府は宣言していないが、実質的に脱原発した国はどこか。いうまでもなく日本である。いま日本では、一基の原発も動いていない。 ではこの状況を作ったのは誰か。政治家がリーダーシップをとったのか。賢明な官僚が立案したのか。財界やマスコミの誘導か。アメリカの「外圧」か。いずれでもない。答えはただ一つ、「原発反対の民意が強いから」だ。それ以外に何かあるというのなら、ぜひ挙げてみてほしい。 民意は脱原発を望み、政官財の抵抗を押し切り、実質的な脱原発を実現しつつある。この明白かつ平凡な事実を認識できない人々、というより認めたがらない人々がいる。政界や財界など、狭い村社会の住人たちだ。彼らの内輪では、異論を排除して島宇宙を作り、「脱原発など極論だ」とうそぶくことはできるだろう。しかし、強大な権力を持っていると思い込んでいる彼らさえ、それならなぜ再稼働すら進まないのかと問えば、「民の反対が強いから」としか答えられないではないか。 昨年来の選挙結果は何か、と問う人々がいる。即席で脱原発を唱えた政党が信用されなかったのは、むしろ健全と言うべきだ。自民党の比例区得票数は大敗した2009年の数を回復しておらず、09年の民主党の約6割である。自民党は棄権の多さと野党の分裂で、少ない得票で漁夫の利を得たに過ぎず、基盤強固とはいえない。しかも自民党の得票の約7割は脱原発支持者のものだ。(小熊編著『原発を止める人々』参照) 民意など冷めやすい、と称する人々がいる。しかし震災以降の世論調査では、一貫して脱原発支持が約7割である。しかも11年6月には「段階的に減らして将来は止める」が約7割という程度だったものが、13年6月には「再稼働に反対」が約6割を占めた。つまり民意の脱原発要求は、水準が上がっているのだ。 思い起こしてみよう。震災直後の時点で、稼働原発ゼロという事態が実現しうると予測した人は、ほとんどいなかったはずだ。電力の3割を担う原発を止めれば経済も生活も崩壊する、と思われていたからだ。しかし人々は、原発の危険性を知り、原発を巡る政治経済の構造を知った。そのj結果として節電が進み、デモがおこり、原発は止まってゆき、それでも生活に支障はなかった。すでに関西電力管内以外は原発無しで二夏をすごし、稼働原発無しは既成事実になりつつある。この既成事実は時間が経てば経つほど定着し、支障がないのになぜ原発が要るのかという意見が強まる。事故から時間がたてば脱原発の民意は弱まるだろうといった見方は、この事実に比べれば根拠薄弱な憶測といえる。 今となっては、電力供給の必要から原発を再稼働するという説明に、納得する国民は少ない。近年の貿易赤字は、火力発電燃料の輸入増の影響というより、スマートフォンの輸入急増に象徴される、日本の貿易構造と世界経済に占める位置の変化によるものだ。市場規制と補助金に依存した重厚長大産業である原発は、震災以前から斜陽産業で、廃炉促進に転換した方が優秀な人材も産業も育つだろう。一部業界の利権と、思考停止の惰性のほかに、将来も原発を維持する理由があるというなら、これもぜひ説明してもらいたい。 「 日本には偉大なリーダーはいないが、民衆の実行力はすごい」というのが、高度成長期から一貫した日本評価である。政治家が脱原発を華やかに宣言したドイツとは対照的に古い既得権に足をとられた政官財の抵抗を押し切り、脱原発を実質的に実現しつつある震災後の日本は、こうした評価がよくあてはまる。あとは政治家が、この明白な趨勢を認識し、応えられるかの問題だ。」 何だか明るい見通しで嬉しいこと!