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カテゴリ:政治経済
キーワードは、これです。↓ 「 だから、私は「税の無駄遣いをやめよ」という言い方の代わりにこういう言い方をしたいと考えました。「税の使い方の優先順位を見直せ」と。」 はじめ。 ●世の中を騒がすNewsとOLの考察 【消費税増税は必要か?】家計のやりくりからの考察 http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-30.html ↑日常生活のひとコマから国家予算について思いをはせた、政治と日常生活の接点について考える良いきっかけになるこちらの記事にコメントをつけながら思ったことを少し書きます。 「(税金からの)支出の無駄を削れ」と多くの人が政府に求めますよね。「増税の前に支出の無駄を削れ」とか、「税の無駄遣いをやめよ」とか、新聞の読者投稿欄でもよく見る投書です。それ自体一般論として当り前で、誰もが他人からの賛同を求めて口にできる内容です。 た だ、私は、「無駄遣いをやめよ」という言葉を皆が口にすることに危なさも感じています。それは、「無駄遣いをやめよ」というあまりにも当たり前の標語はそ の政治や行政にだけ都合よく解釈される危険性があると恐れるからであり、現実に、「無駄遣いをやめよ」という要求が、国民生活に直結する福祉、医療、社会 保障、年金、労働政策などの予算削減の後押しに力を貸しているように思えてならないからです。 たとえば、後期高齢者医療制度というのは、 医療費削減を至上目的として導入されましたが、その原動力には、「こんなところに医療費を投入するのは税金の無駄遣いである。財政赤字の拡大の原因であ る。だから削減しなければならない」という官僚側の発想を感じるのです。「無駄遣いをやめよ」とだけ唱えて、何が無駄遣いなのかしっかりと検証しないと、 政治・行政側にいいようにされてしまう象徴的な例ではないでしょうか。あるいは、同じことが「障害者自立支援法」という名の障害者自己負担法にも言えると 思います。 官僚の娯楽のためのカラオケセットやさくらんぼ狩りに税金が使われるのをやめるだけならいいのですが、「無駄を削れ」という一般論が「何が何でも削れ」といつの間にか変換されて、国民生活に切実に直結している分野の予算を削減する後押しになってしまうことを私は恐れます。 ここで、植草一秀さんの記事を読んでみます。 ●植草一秀の『知られざる真実』 福田改造内閣の新政策「偽装3兄弟」 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_c723.html ここで、植草さんは小泉政権以来の自民党の政策のポイントをあげて批判しています。 (引用ここまで) そして、それに対して自公政権が用意した偽装対策を指摘しています。 (引用ここまで) 「無 駄を削れ」という、当然だけど具体性を欠く要求に対しては、「偽装無駄ゼロ政策」でこたえようとするのが今の自公政権だということです。あるいは、自公の 政治家や高級官僚ネットワークの持つ利権構造はそのままにして赤字財政解消の名目で国民生活に直結した分野の予算を削るだけだということです。 植 草さんは「真正改革勢力」と「偽装改革勢力」の見分け方として、「天下り問題への対応」をあげていますが、それになぞらえて言えば、「無駄を削れ」と求め る代わりに、たとえば、「天下り利権の確保に使われている予算を福祉、医療、社会保障、年金、労働政策に振り向けよ」と有権者、納税者は主張するべきでは ないかと思うのです。 あるいは、「大企業優遇の法人税減税分を福祉、医療、社会保障、年金、労働政策に振り向けよ」でもいいと思います。 あるいは、「不要不急の防衛装備費を少しでも福祉、医療、社会保障、年金、労働政策に振り向けよ」でもいいと思います。 あるいは、「議員歳費の一部や政党交付金の一部を福祉、医療、社会保障、年金、労働政策に振り向けよ」でもいいと思います。 「無駄を削れ」という安易な言葉が「偽装カイカク」に逆用されないようにしなければならないと思います。 だから、私は「税の無駄遣いをやめよ」という言い方の代わりにこういう言い方をしたいと考えました。「税の使い方の優先順位を見直せ」と。
」 以上です。 最後少々カットしました。(文字制限) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月09日 00時25分52秒
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