亀山カラマーゾフの大審問官の章を読み終わった。
イワンの作り出した「大審問官」は究極の政治家だとおもう。
悪魔と手を握り、真実は己の胸深くかくしたまま、民衆からは自由を取り上げる代わりに安心を与える。
それが奴等(民衆)の幸せだとうそぶく。
何も反論しないイエスに向かい延々と述べられるのは高度な政治テクニックのようだ。
「自由」を使いこなすには民衆はあまりに弱く愚かだ、というのが彼の見立てだ。
これは恐ろしい真実なのかもしれない。
現実の世界を見て、100年たっても人間はたいして賢くなっていないのかと思う。
いまの政治家で大審問官ほどにも民衆を愛している人は居るだろうか?
イエスの信頼に足るほど人は強くなれるだろうか?
自由の重さに耐えられるだろうか?