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カテゴリ:本
かれこれ2月がかりでようやく「輿論と世論」を読み終わる。 輿論と世論 図書館の本なので、2週間目には電話で延長を依頼し、再度の延長は認められないので、次は館まで出向きカウンターで改めて借りる手続きをする。 まだ消化し切れた訳ではないが、色々考えさせられた。 一部引用。 「 5月12日、文化審議会国語分科会漢字小委員会は、常用漢字表に追加する可能性のある220字を発表した。 素案が純粋な使用頻度であれば、妖艶の「妖」や淫乱の「淫」など週刊誌系の語彙が多いのはやむを得ない事だろう。 日本世論調査協会は「世論(せろん)と書いてヨロンと読む」と苦しい説明をしているが、これこそ戦後の文化的混乱の象徴である。 そもそも、世論と輿論はまったく別の言葉であった。 明治天皇の用例がわかりやすい。 一方、軍人勅諭の「世論に惑はず、政治に拘らず」が示すとおり、世論とは暴走を阻止すべき私情である。 もちろん、1925年普通選挙法成立に至る「政治の大衆化」の中で、理性的な討議より情緒的共感を重視する「輿論の世論化」が生じた。 「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たとひピストルを用ふる代わりに新聞の記事を用ひたとしても。」 なるほど、今日のメディア報道被害を連想させる文章である。 敗戦後、当用漢字表で「輿」が制限漢字となったとき、毎日新聞社からの照会に対して、内閣参事官・吉原一真はこう回答した。 「全く逆の建設的なニュアンスだから問題だとは思うが、いま輿の字がなくなると、よろんという言葉は後世に残らなくなるだろう。 毎日新聞社は朝日新聞社と協議し、「輿論」を「世論」に置き換える処置が採用された。 神輿(みこし)という言葉が示すように、輿とは担ぐものである。 目から鱗が落ちる思いだった。 道は遠い・・・・
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