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名前を聞いたことがある程度でどういう人か知らなかった。 毎月届く生活クラブの冊子「生活と自治」は読み応えがあるものが多い。 以下、記録のために書いておく。 [メディアを読み解く力を] この3月まで大学で教鞭をとり、メディアについての授業を行ってきたのですが、気付いた事があります。 それは世の中には決まりごとや答があって、それを教えてもらいさえすれば、生きていけると考えている若者がとても多いという事です。 彼らは幼少期から親や教師が認める唯一の答を与えられ続け、それ以外の考え方を言ったりすると、馬鹿にされ否定される、異論を認めない生き方を身に付けているように思います。 だから自分で考えることをしない。 たとえば、靖国問題について調べなさいと宿題を出す。 でも出来上がったレポートを読むと、半分くらいの学生が右翼的なことを書いている。 そのことを指摘するとこう答えるのです。「先生、右翼って何ですか」と。 私は彼らに説明します。 自分がもっている考え方がどこから来るかと言えば、「誰かが言っているから」だと思います。 全部どこからか入ってきた情報です。 次に情報の集め方を教えます。 情報として 最も価値が高いのは第一次情報です。これは当事者に直接会って話を聞くことで得られるので、薬剤師に聞いたり近所の医師に取材することが出来ます。 ところがほとんどの学生が、「出来ない」というのです。恥ずかしくて気後れしてしまうのだと。 そういう若者達がメディアの世界に入って仕事をした時に、どうなるか。 いろいろな情報があるのを横目で見て、知っているけど無視する。おそらく、そうするようになるでしょう。 実はこれは今のマスメディアの現場では、当たり前のように行われていることです。 この情報を入れると内容が複雑になり、より困難な取材をしなければいけないということが分かると、そこは知らないふりをして、簡単に取材してメディアを作ってしまう。 そしてきれいな物語、より分かりやすく形が整ったものが提供され続けることで、そういうことをしてもよいのだと若者たちは直感的に感じ、刷り込まれていくのです。 先日、久しぶりにテレビ番組を作ろうと思って、ある局に企画を持ち込みました。 市民が国産より安価な中国産たけのこを選んだがために荒れた竹林を活用し、バイオガスを作って発電しようとしている農業者を取り上げたいと提案したのです。 しかしディレクターは「農業には興味がない」と一言。 取り上げられない情報に関しては視聴者は分かりません。 こうしたなかで近年、メディア・リテラシー、分かりやすく言えばメディアを読み解く力ということが叫ばれるようになっています。 どんなに客観的な事実を伝えようと努めても、メディアをつくる過程では必ず主観に基く情報の取捨選択が行われます。 第一次情報! そうなんだよね。伝言ゲームよろしく、中身が変貌してしまうのはよくある話。 私の弱小ブログも、誰も知らない私固有の話題なら書く意味もあると考える。 もしくは私の中に取り込んで沈みこんだ後改めて浮き上がってきたもの。
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