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カテゴリ:平和
お言葉について
そうそう!腑に落ちました!! やっぱり転載しておきます。 「晴耕雨読「「聴き手の知性を信頼して語られる言葉」:内田樹氏」 その他 https://twitter.com/levinassien AERAのげんこだん。「お言葉」について。 コンテンツよりも「宛て先」が重要だったと思います。 宛て先は「私の言葉を受け止め、理解し、共感できるほどに知性的・感性的に成熟した日本国民」でした。 実体的にそのような国民が実在するのかどうかは別として、あえて「それ」を聴き手に想定した。 「聴き手の知性を信頼して語られる言葉」を「公人」の口から聞くのは、本当に(記憶にないくらい)久しぶりのことでした。 「バカだからどんな嘘をついても平気」「バカだから死ぬほどシンプルな話じゃないとわからない」というシニスムに日本の「公人」たちは骨の髄まで毒されていましたから。 誰も言わないでしょうけれど、陛下の言葉が聴き手の胸にしみいるのは、そこに 「国民に対する敬意」と「国民への祝意」がはっきりと感じられるからです。 政治家たちの言葉があれほど空疎なのはなぜか、その理由もそこから知れるはずです。 陛下のお言葉についての各紙の社説は賛否こもごもなようです。 そのコンテンツの当否については脇へ置きます。 でも、「お言葉」と「社説」のどちらが「受信者の知性」を信じて語られているかはわかるはずです。 受信者の知性に対する敬意に基づかないで発される言葉は、それがどれほど論理的に見えようとも、科学的根拠に基づいているように見えようとも、聞くに値しません。 でも、その逆の、「上から目線の断定」にこそ人は耳を傾けると信じている人があまりに多いのですが。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年08月09日 22時17分38秒
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