カテゴリ:日々
ニュース記事 赤塚不二夫さんが昨日お亡くなりになってしまったようです・・・。 私は丁度絵茶に参加していて、参加メンバーの方が教えてくださいました。 どうやらテレビで速報がながれたようですが、そのときは実感がわきませんでした。 急いでぐぐると出てくるのは赤塚さんの病状、かなりひどい状態だったようです。 ※ここより私個人の考察になります、ご注意ください そこから色々調べてみましたが壮絶な人生だったそうですね、漫画家の人生って結構苦労人で語られることが多い、幸薄的印象が強いんです。 漫画=エンターテイメントの一部としてみている節があった私からしてみれば、あまり作者がどうのというのは関係がありませんでした。 ようはその漫画が好きになれるかなれないか、それだけじゃあないのかってね。 多くの人がそうなんじゃないかと思う、じゃなきゃたかが300円そこらのぺっらぺらの紙の集合体に描かれた漫画を、ぽいぽい捨てられないんじゃないかな。 多くの作者達はその漫画に生活がかかっているわけだし、その分思い入れとか、そういうものが込められているものだと思う。 その上で、作者、他人の人生にまで思いを馳せられる漫画ってのは存在しないのではないかと思う、作者自体の事を描いた漫画は別だけれど。 この作者のこの漫画が好きだ、というのは誰にだってある。 ゆえにこの作者が好きだからこの漫画が好きだってのはあって然り、だがそれは作者自体の好意には昇華しないのが普通。 漫画を通してどんな人柄か、よほど観察眼がある人か、思い込みが強い人でなければそんなものはわからない。 その人がわからなければ好き嫌いなんてはかることができない、多くの人にとっての芸能人などはそれだ、本当の人物なんて知りようがないんだから、好きなんてものは好意に過ぎない、LikeであってLoveには成りえないという意味だ、かなり傲慢な持論ではある、ところどころ不足してるのも再考察の余地ありだが。 漫画自体の価値付与は人それぞれだってのが真理だ、捨てる捨てないにしろ。 300円を大事に保存して持っている方もいるとは思う、かく言う私もその性質でね。 別に作者にこだわっているわけじゃあない、人生をかけられた漫画がそこにあるから安易に捨てられないとかそういう話でもない。 ただ捨てたくないのだ、そこに何かがあるとわかっているから。 今回の漫画家の死を経てわかってしまった、私は漫画が好きなのだと。 でもこのような形で、作者の事が大きく取り上げられないと気づけない 考えるに至らないのは生きるのに忙しいからだと思いたい。 他人の人生を考えて生きる仕事であるなら別だがね、人は人それぞれの人生を考えて生きているのだから。 だからこそやっぱり関係ないのだ、作者がどのような人生を歩みながらこの漫画を描いているのだということは。 だから捨てたくない何かはその漫画の漫画足るゆえんにあったのだと思う、好きなのだ、その漫画が。 エンターテイメントの本質はそこから何かを得ることではない、そんなに難しく考える必要はない、LikeかLoveかなんて何かなんて考えもしなくていい、作品が人生に影響を及ぼしたとかそういうのもいいんだ。 たんに自分がそれをどう感じるかでいい。 面白い、好き、楽しい、つまらない、嫌い、楽しくない。 この感情は与えられるものではない、あってはならないからこそ大切だ。 感じたままでいい、そこにこそ作者の求める結果があると私は思っている。 一人の漫画家の死だ、悲しもうじゃないか。 漫画が増えなくなってしまったのだから。 だが漫画家の死は漫画の死ではない、作品はおそらく残るし、残されたものは次の世代に受け継がれていくだろう。 私は漫画家の冥福を祈りながら待つことにするさ、新たな漫画家の誕生を。 では駄文長文失礼しました (*´・ω・)ぷいにゅ~ と鳴いて〆ておく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 3, 2008 01:36:20 PM
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