心療内科
この間の休みに、心療内科に行ってきました。前回に行ったのは半年以上前。一時は落ち着いていたけれど、また症状が出てきて、以前よりもひどいため。接客中にも、めまいが起きて倒れそうになったこともあったし、話しているうちに舌がしびれて、ハッキリと話ができなくなったりしたため。今回は、前回よりも症状がひどいため、実家の母についてきてもらうことにしました。病院に行く前に、母に「どんな症状なの?」と聞かれて説明すると、「結局、あんたはお嬢なんよ。」と言われました。(決して、お嬢様ではない。母が言うには、何の苦労もなく、ひもじい思いもせず、寒さと戦うこともないという意味ではないらしい。)「4年制の大学に行って、頭でっかちになってるわ。『ジェンダー』とか、『人権』なんかのことを学んできて、知識はあるけど、実社会にはそれはなくって、『コレは違う、これは間違ってる』って思ってるんや。そういうすべてを捨てて、自分のプライドとか、何もかも捨てきって生きていかないと、あんたの状況は変わらん。それが、できないんやったら、徹底してお嬢として生きていくしかない。結局、オカンもお嬢や。そんなお嬢が育てた子供はお嬢にしかなれん。」と、母親に言われた。そして、母はさらに一言。「そんなオカンは、友達に『働かないアンタはえらい!!お嬢として徹底してる』って言われたわ」と。私は、そんな母の話を聴いた瞬間に、何かを失った気がした。以前、母に、私は学校でいじめられていて、家では異端児としてはみ出ていて、学校も家でも辛くて、居場所がなくて、いつだっていなくなりたかった。って、過去の自分の気持ちを話したときに母は、「それでも、アンタがアンタでいることをやめないでくれて、お母さんはよかったって思ってる」って言った。それを聞いて、私はそれってお母さんのエゴじゃんって思った。でも、母に救いの言葉を求めることは私のエゴなのかなっておもった。私は、小学生の頃に母から「私は、アンタを産みたくって産んだんじゃない。お父さんがどうしても産んでくれって言ったから産んだんや」って言われて、ずっとそれを引きずって、母にそんな話をさせた自分の罪を背負って生きてきた。そんな私が、今さら、母に救いを求めること自体が私のエゴなんじゃないかって思う。そういう、全てを先生か、カウンセラーの人に聞いてもらったら、何か見えてくるのかな。なんだか、自転車のペダルを、右・左・右・左‥とこいで坂道を登ってるけど先が見えないというような状態です。