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もし 人を ミラーボールに 例えるなら
たくさんの 面を 持っていることになる いい面も 様々。 悪い面も 様々。 自分の ミラーボールの面を 全て 知っている人なんて いない。 だからこそ 相手のことも 全部 知っている なんてことも ない。 普段は 自分も相手も 一面を みて その人を 語っている場合が多い。 しかも その一面は その人の 本質の ほんの 一部であったり もしくは 一面を 捉える見方が 自分の観念、 心によって 常に 左右されるから なお 不安定だ。 自分が イライラしている ときには 相手を イライラした目で 見るし 逆も同じく 自分がハッピーなら 相手を 愛の目で みれる。 でも その 目、見方ですら 当たり前と 思っていることが じつは 当たりまえ でない場合が ほとんど。 同じ、モノ、 人、 状況を 体験しながらも 同じように 捉えてる人は ないかもしれない。 例えば 私と ぷりん(ウサギ) テーブルをみて 私は 物を置く場所 と認識 ぷりんは 隠れる場所 と認識している ティッシュ箱をみて 私は 単なる ティッシュが入ってる箱 と見ているが ぷりんは 一緒に寝るモノ として みている ぷりんに とっては 単なる あご毛が 私にとっては マフマフした 天国のような フワ毛に 見える 夕焼け ひとつ とっても そう。 私は ピンクと黄色の 美しさに感動して 撮ったが 見る人が みれば 単なる雲。 今 見てるものが 当たり前か どうなのか、 そして それは 今の 自分の心によって 見え方が 変わる。 起きてる事柄を 感情で 流さないで そこに 自分の 見方、観念を 発見すると 面白い。 起きてる事柄は 自分を さらに 知るための ツールになるから。 起きてる事柄は 単なる事象 それに 意味づけをするのは 本当に 人それぞれで 解釈が違う。 見方を 考えていた時に 昨日 お見舞いからの 帰り道 教会で 「目を天に」と 書かれていた。 目を天に向ける & 天からの目線で いようと 思えた。 今日もありがとうございます 人気ブログランキングへ ↑ 応援よろしくお願いします 精神世界ランキング ↑ 応援ポチット押して頂けると うれしいです ^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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